競馬の騎手から東大へ、そして社長に | 好奇心を満たせば育児は本当に楽になる

好奇心を満たせば育児は本当に楽になる

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こんにちは 柴田です。


今日は、競馬の騎手から東大へ、そして社長にという異色の経歴の持ち主のお話です。ご主人に是非読んでもらって下さいね。






あなたは、SNSのミクシィをご存じですか?


僕も、昔は頻繁に書き込みをしていました。気分転換が目的でした。でも、今はさっぱりご無沙汰です。


そのミクシィが赤字に陥りました。それを救ったのが今はすでにミクシィーを退社している朝倉祐介氏です。


2006年9月の上場からおよそ7年後の2013年にミクシィの株価は当時の10分の1に下落しています。


そのミクシィが、起死回生を図るために、新しい社長に抜擢したのが、朝倉祐介氏です。


[東洋経済]に掲載されていた彼の半生は、実に興味深いので、あなたにもご紹介したいと思います。


朝倉祐介氏は、1982年7月生まれの31歳。


生まれは兵庫県西宮市。阪神競馬場が実家のすぐそばにありました。


「小学生の頃、友達と頻繁に競馬場へ通い、駐車場で野球をして遊んでいた」。


あこがれたのは、武豊騎手だ。当時、武騎手は三冠馬のナリタブライアンに騎乗していた絶頂期。


だが、競馬騎手を職業に選ぼうとした少年は朝倉氏ぐらいだった。


「単純に競馬騎手がかっこいいというあこがれがあった」と本人は言う。


「騎手は自分の腕で食っていくことができる職人的生き方ができる。日本だけにとどまらず、海外でも活躍できる」という魅力があった。


ただ、騎手の道を選んだ理由はそれだけではない。


「中学校に進学し、高校受験を控えたとき将来のことに思いを巡らした際、単純にいい学校へ行って、いい大学、会社に入るということがいいのか。自分の尺度ではなく、人の尺度で決めている人生ではないか」


と疑問を抱いたことが、この職業を志す決め手となった。


思いついたら即、行動である。資料を取り寄せ、オーストラリアの競馬養成学校に願書をファックスで提出した。


両親は当然、反対したが、「若いほうがすぐに方針転換できる」と説き伏せ、中学卒業後、単身でオーストラリアに渡った。


結果的に、朝倉氏はオーストラリアからは1年間で戻ってきている。


あまりに身長が伸びすぎたからだ。


競馬騎手が維持しなければいけない体重は45キログラム前後。


平均的な身長は160センチメートルが相場という中で、朝倉氏の身長は175センチメートルまで伸びた。


「体重を抑えるために、1日1000キロカロリー以下しか摂取しなかった。体脂肪は3%まで下がったが、それでも伸びる身体を止められなかった」という。


それでも、競馬に関連する職業へ就く夢はあきらめめなかった。


調教助手の募集が北海道浦河町にあることを見つけ、オーストラリアから北海道に渡り、名馬メジロマックイーンの子どもなどを担当した。


当時16歳、「騎手の道をあきらめたとはいえ、馬のない生活は考えられなかった」。


しかし、ここで不慮の事故に会う。


バイクに乗車していた際、浦河町の近く、様似町の道路でカーブの先に止まっていた車と衝突し、左足の大腿骨と下腿骨を両方粉砕骨折したのだ。


複雑骨折よりも重傷なケガだった。後遺症は今でも残っている。


「一度、大学に行ったほうがいいかもしれない」。


浦河町で調教助手をし始めた頃、漠然と抱いていた思いが、この事故によって鮮明になる。朝倉氏は1年半ぶりに実家の兵庫県西宮市に戻る。


そこからは、大学受験資格をもらえる専門学校に3年間通った。


「北大の獣医学部に行きたかったが、数学が苦手なのであきらめた。東大にどうしても入りたいわけではなかったが、もともと、勉強はそれなりに得意だった」とさらりと言う。






当時、大学入学直後は「焦燥感が強かった」という。9割方が現役で入学する東大の中で、朝倉氏は入学時点で20歳。


実質2浪という立場だったことが、逆に行動を起こす際の原動力になった。


最も精を入れたのは課外活動だ。


「京論壇」という東大と中国・北京大の学生によって結成された国際学生討論団体での活動や、政治家のかばん持ちまでこなした。


起業も2回経験している。そのひとつが、のちにミクシィに買収されることになる、ネイキッドテクノロジーという会社だ。


大学卒業後、朝倉氏は自身が立ち上げたネイキッドから離れ、マッキンゼーに入社している。


狙いは「一度、マネジメントの基礎を学びたかったから」だ。


マッキンゼーには3年4カ月勤務し、その後、ネイキッドに舞い戻っている。


本人によれば、「当時は(ネイキッドが)資金調達ができる人を探していたため、メンバーから声がかかった」という。


ただ、朝倉氏とマッキンゼーの新卒同期で、現在、スポットライト社長を務める柴田陽氏は別の見方をする。


「当時のネイキッドはビジネスがうまくいかず、そうとうしんどかったはず。立て直しのために朝倉君の力が必要とされていた」。


朝倉氏もミクシィへの株式売却が決まったときは「渡りに船」の心境で、厳しい経営状況だったことを認めている。


ミクシィ入社後は、少人数でサービスを運営するユニット制の導入や、新事業立ち上げの仕組み作りに奔走した。


その成果を買われ、2012年7月に執行役員経営企画室長に抜擢されている。


「このときから、(社長の)笠原との話し合いの中で、社長は自分になるという雰囲気は醸成されていた」(朝倉氏)。


競馬養成学校から東大法学部に入学し、外資系企業のマッキンゼーに勤めた後、自身が学生時代に立ち上げたベンチャー企業に出戻った。


2011年9月にその会社がミクシィに買収されたことをきっかけで、ミクシィへ入社している。


被買収企業の社長から買収元企業の社長へ。自身の経歴だけでなく、日本では異例づくしの展開で社長に就任した朝倉氏。


しかし、その人となりはいわゆる「エリート」という言葉では語り尽くせない。


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以上です。自分の進むべき道をしっかりと持ち、それに向かってどんどん勉強し、突き進む。


そんな若者が、まだまだいるということです。あなたのお子様も将来、社会から注目されるような人間に育てて下さいね。



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