こんにちは 柴田です。
日経DUALで面白い記事を見つけましたよ。
小島慶子 「家事ハラ男」のとんでもない勘違い
家事ハラ誤用男を女性が批判するだけでは、いつまでも男女がすれ違う
「ぼく、せっかくお手伝いをしたのにさ、ママがやり方が違うって言うんだよ! これって、ぎゃくたいだよね?」
……と億面もなく言ってのける大人の男がいるというのだから驚きだ。妻に家事のやり方を直されただけで「家事ハラされた!」と言う男たち。
元々の「家事労働ハラスメント」の意味をまるっきり理解していない上に、自分が被害者面とは呆れる。
■妻は“セッ○スできるママ”じゃないよ
家事は、人が生きるために必要な労働だ。自分で自分の世話が出来ないのは赤ん坊と同じこと。家事、全く出来ませーん! 育児、かみさんに任せっきりでーす! って平気で言う男がいるけど「ぼく、ママがいないと生きて行けないんでちゅ」って言っているようなものだ。
一緒に寝てくれて、世話までしてくれる女を手に入れる。それが彼らの結婚だったのだろう。つまり、セッ○スできるママを確保したわけだ。
実際に子どもが産まれると、当然のように自分も子どもの座に収まる。彼らにとって「ママ」とは、家族みんなの世話係のこと。だから妻が子どもを産むと「僕のこともよろしくね」と嬉々として妻を「ママ」と呼び始めるのだ。
彼らにとって、家事はあくまでも「してもらう」か「手伝う」もので、「する」ものではない。そもそも家事が何だかわかっていない。
■ママに感心してもらいたくて家事をするって何だそれ?
たとえば汚れた皿を洗うのは、また使えるようにするためで、ママに感心してもらうためじゃない。
だがそれをはき違えた男達は、自分が慣れない手つきで洗った皿を見た妻が、より効率的なやり方を指南すると
「せっかくお手伝いしたのにダメ出しかよ!」
と拗ねる。あげく「家事ハラ」を誤用して妻を鬼ヨメ呼ばわりするとは、まったく噴飯ものだ。
子どもだって、顔を洗ったり服を着たりするのをいつまでも親にしてもらったりしない。まして大人が自分で食べるものを作ったり、散らかしたものを片付けたり、自立できない人の世話をするのは当然のこと。
多忙や共働きを理由に家事や育児を外部委託することはある。私もそうやって夫婦で子育てを乗り切ってきた。
だけど、「めんどくさいことはしたくないから」という理由で家事や育児をしないのは、自立した生活を放棄しているのも同然だ。
本来、家事も育児もやり方がわからなくて困るのは自分だが、そういう人たちが困らずに済んでいるのは、自分が生きて行くための家事労働を誰かに丸投げしているからじゃないかしら?
家事も育児も妻任せの男たちがそうだろう。
彼らは、それを当然のこととして相手を労うこともせず、自身の経済的な優位性や性別を理由に隷属を求めることすらあるという、まさに竹信三恵子さんが指摘している「家事労働ハラスメント」の加害者となっていることがある。
そのことに全く無自覚な男達が、「家事を手伝ってやったのに妻がほめてくれない」などと被害者ぶってみせるのだから、つける薬がない。
■男性から「自立しろよ」の声、待ち望む!
DUAL読者の男性は、家事も育児も当事者意識を持ってやっている人が殆どだろうから、そんな男たちの相手をするのもバカバカしいと聞き流しているかもしれない。
でも、彼らに会ったら是非、「お前、何言ってんの? みっともないよ」ってハッキリ言ってやって欲しい。
家事ハラ誤用男を女性が批判するだけでは、いつまでたっても男女のすれ違いの話で済まされてしまう。
「家事の“手伝い”、育児に“参加”? はあ? なに他人事みたいに言ってるんだよ。これって自立の問題だろ?」
と彼らに対して男性からの批判の声が挙がったときにようやく、問題の本質が鮮明になる。
「大人にならなくても構わない、お金さえ稼いでいれば一人前なのだから」
という考え方をもう捨てよう。そんな大きな子どものお世話係を黙って引き受けられるほど、世の中にはもう余裕はない。
日本社会が子育てに冷淡なのは、コドモの既得権益を譲りたくない大人が多いからだ。彼らに、もういい加減大人になれよ! と言うべき時が来たのだ。
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