いつもありがとうございます。
ハッピーダイエットライフの船田です。
巨人軍の終身名誉監督の長嶋茂雄氏が死去しました。
私はプロ野球ファンではありませんが、多くの日本人に勇気と喜びを与えたという点では英雄だと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
しかしプロ野球がGHQの3C政策の推進役だったと思うし、読売グループはCIA売国グループなので、巨人軍の応援はしません。
情報確認のために読売新聞は購読したりしていますが、ちらっと見出しを見て、あとはペットの排泄物処理に使っています。
1936年、千葉県臼井町(現佐倉市)生まれ。佐倉一高(現佐倉高)から立教大に進み、東京六大学リーグでは、57年秋に、当時の六大学記録を破る通算8本塁打の新記録を作った。
58年に巨人に入団し、打点王、本塁打王の2冠に輝いて新人王を獲得。翌59年には、初の天覧試合でサヨナラ本塁打を放つなど、無類の勝負強さで、ブームを巻き起こした。王貞治選手とのコンビは「ON」と呼ばれ、65年からのV9の中心選手として、黄金時代を築き上げた。
背番号「3」は巨人軍の永久欠番。74年、後楽園球場で「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言を残し、17年間の現役生活に別れを告げた。同時に巨人監督に就任し、2度のリーグ優勝を果たした。93年に巨人監督に復帰。3度リーグを制し、94年と2000年には日本一に輝いた。01年に勇退し、終身名誉監督となった。
03年にはアテネ五輪アジア予選で日本代表監督として指揮を執り、予選を突破したが、04年3月、脳梗塞(こうそく)を発症し、五輪での指揮を断念した。それでも懸命にリハビリに打ち込み、「もう一度、走りたい」と目標を掲げ、回復に努めた。13年には巨人で指導した松井秀喜さんとともに、国民栄誉賞を受賞した。21年の東京五輪では王さん、松井さんと3人で聖火ランナーを務め、同年秋、野球界から初となる文化勲章を受章した。

