続きです。
自分が何に喜んだり
何にイライラしたり
何に悲しくなったり
今どんな「気持ち」なのか
淡々と見る、とは
こうあるべきとかの常識や今までの
観念からの正誤・ジャッジしない
ということかな、と思ってるんですが、
・自分を明らかにする
・まる裸の自分を見る
・等身大の自分を見る
・今生きている自分を見る
↑フィットする言葉で拾ってください
の「最大の恩恵」は、
誰のせいにも何のせいにも
できない代わりに
自分とのつながりが強くなること。
↑
損したくない!
恥かきたくない!
そんな恐怖があってもそんなことが
ちっぽけすぎてアホくさくなるくらい
最高の「大丈夫」という安心感と
私が自分の人生を生きていいんだ!という可能性に
感謝が湧きます。
私にとっての安心感とは、
私が私の気持ちをわかってあげていること
でした。
それがわかってくると、
〇〇したいな〜と自然と
浮かぶようになってきます。
だから
感謝も意欲も
「する」ものじゃなくて
勝手に湧いてきます❤️
今感謝できなくても
意欲がわかなくても
何の問題もない。
わからないから当然です。
私のように
わからないままやることが
怖すぎる怖がりさんの為に
自分を見て行くとどうなるかの
結果を先にお伝えしましたが、
結果というのは「物質」の前に
「自分が味わう感覚」の
ことですのでお間違えなく。
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ノートを何のために書くか、ですが
私は自分のデータ収集として
毎日自分のペットを観察して
日記をつけるような感覚で
・感じたこと
・思ったこと
自由に書くのですが、
この「自由」も最初は不自由です。
誰にも見られなくても
綺麗に書こうとか(汚いのはダメ)
まとめようとか(すぐ結論を出さねばと焦る)
何ページ書けばいいの?とか(決まりないのに)
やっちゃうんですけど
全然やってもダメじゃないんです。
冷やし中華始めました。
データ収集始めました。
↑こんなノリで大丈夫。
ペットの観察と敢えて書いたのも
うちの家の場合
魚とエビの水槽があるんですが
よ〜く見ていたら
どの魚もエビも個性があって
あ、またエサ取り合いのケンカしてるわ。
この魚威張ってるな〜
とか「ただ見る」感じだから
ジャッジなしのイメージとして
例えています。
自分観察のノートを書くときに、
さきこさんが言う
「カオスの中の完璧な秩序」
を用いるのであれば
カオスになるぐらいに
自分のデータが集まってくれば、
その中から自分の秩序を
見つけ出すことができるよ♡
それは自分だけのもので
本当に尊いんですよ♡
という解釈しています。
今の私がマイナスである
という錯覚も
幸せになる条件なんてなかったと
気持ちを汲み取って行くうちに
なんとなく
だんだんと
じわじわと
着実に体感が集まってくれば、
本当に別世界かと思えるくらいの
優しい世界が待っていました。
次回タイトルが違いますが、
繋がったので、
我慢強い人は現実を受け入れてしまう
に続く・・![]()
