やましたひでこ憤る!~コレが本物のカニでないように、ソレは「断捨離」ではありません。
ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。
やましたひでこ憤る!
~コレが本物のカニでないように、ソレは「断捨離」ではありません。

(写真:shutterstock)
もしもあなたが、日本橋「三越」の食品売り場で、「ニッスイのカニ缶詰」のギフトセットを大切な人に贈ったとして。
その贈られた箱の中身が「スギヨのロイヤルカリブ」だったとしたら、それを受け取った人はどんなに驚くことだろう。そして、驚いたその人は慌てて「三越」に電話をして、ことの真偽を糾すことだろう。
いったい、どういう経緯があってこんな事が起きてしまったのか、本当のことを教えてほしいと尋ねるに違いない。
もしも私が、「ゴディバ」のチョコレートを「アマゾン」に注文して、本場ベルギーの逸品をお取り寄せしたとして。
届いた素敵な箱の中身が「チロルチョコ」だったとしたら、私は驚く以上に、残念な気持ちでいっぱいになるだろう。そして、どうしてこんなことが起きてしまうのか、その齟齬の原因を知りたいと願うに違いない。
言っておくが、私は「ロイヤルカリブ」も「チロルチョコ」も、子供の頃は大好きだった。今は、あまり食べる機会がないだけのこと。
つまり、私がとても訝っていて、また、ひどく残念に感じていることはこれ。
届けられた箱と中身の不一致!
実際、このようなことが老舗デパートで起きたとしたら、大手ネット通販で起きたとしたら、一大事。社会的な信用問題であり、消費者を裏切った道義的責任も追及されることは免れない。食品偽装事件に発展したとしても不思議はないだろう。
ところが今、これと同じことが私の周りに起きている、それも大小さまざま頻繁に。
その顕著な例が、過日のこれ。
ある著名な女性経済評論家が、私やましたひでこ個人の登録商標である「断捨離」を語っている。それも、公共放送であるNHKの朝の人気情報番組の中で。
「断捨離(R)」を言葉として用いることはいくらでもあること。誰しも、日常で特定の商品名を口にすることはあるのだから。だから、それについて私はとやかく言うつもりは毛頭ない。
けれど、私やましたひでこが長い歳月と努力を重ねて構築してきた自己探訪メソッド「断捨離(R)」を、そして多くの私の断捨離講座の受講生とともに深め高めてきた日常の行法哲学である「断捨離(R)」の内容を、まるで違っているものでありながら、その評論家とNHKが「究極の断捨離」として語り流布することに、憤りを覚えない訳にはいかない。
なぜ、こんなことが起きるのか。
知識人文化人として広く知られる存在が、なぜこのような稚拙な齟齬、つまり、例えるならば「ロイヤルカリブ」を本物のカニと思い込んでとうとうと語るような真似をするのか。
また、国民の公共放送として大きな責任を担っているNHKが、なぜこのような浅薄な番組づくりをするのか。つまり、例えるならば「チロルチョコ」を本場ベルギーのチョコレートとみなして番組で喧伝するのか。
それが、私やましたひでこがいちばんに問いたいこと。
繰り返しておこう、私は「ロイヤルカリブ」も「チロルチョコ」も好きで食べた。
だとしたら、この女性経済評論家の貴重な個人体験「2週間で汚部屋脱出」は、その名のとおり語り、その名のとおり番組のタイトルとしたとしても、価値はあるはず。
なぜ、「似て非なるもの」に彼女は「断捨離(R)」の冠をつけて登場し、また、NHKは登場させるのか、その理由を私は知りたい。
◇◇◇◇◇
このような出来事は後を絶ちません。
けれど、私やましたひでこはずっと沈黙を守ってきました。
もちろん、断捨離もどきの横行、偽断捨離の跋扈には、ずっとずっと心を痛めておりましたが。
「断捨離」は、やましたひでこ個人の登録商標です。
決して、一般名詞ではありません。
つまり、「非常に広く知れ渡っている」と評価されるべき登録商標です。
私は、十五年以上前、断捨離を登録商標とし、正しく伝える決意とその社会的な正当性を確保担保して、断捨離を守り育て広めることを自分に課してきました。
そう、記事に書いたとおり、断捨離は、
私やましたひでこが長い歳月と努力を重ねて構築してきた自己探訪メソッド。
多くの私の断捨離講座の受講生とともに深め高めてきた日常の実践哲学。
そして、今、
私の断捨離の著作は、現在、日本のみならず、
中国、台湾、韓国、および、東南アジア各国、ヨーロッパは、フランス、イタリア、ドイツをはじめとして11カ国の言語で、
翻訳され、出版されております。
もちろん、以上の国々でも、私やましたひでこの登録商標です。
そして、私やましたひでこの断捨離関連書籍は、国内外累計400万部を超え500万部になろうとするミリオンセラーです。
このような、事実、実績もあるにもかかわらず、今尚、勝手に、
とても断捨離とは言えない内容を、「究極の断捨離」という言葉を用いて語る存在がいることに、そのメディアが存在することに、驚きと憤りを禁じ得えません。
究極の断捨離など存在しえないのです。
なぜなら、断捨離は、極めようとしても極めきれることなく、私たちを、もっともっとと、さらなるステージに誘うものです。
事実、このやましたひでこも、まだまだ、断捨離の螺旋階段を懸命に登っている途中であると思っております。
だからなおのこと、このような安直なことがおこるのか、残念で悲しくてなりません。
2018/10/06<追記>
あらためまして。
この記事に、たくさんのアクセス、そして、リブログを頂戴いたしました。
有難うございます。
いっぱいの感謝をあなたに。
やましたひでこ