こんにちは、STTメソッド創始者

晄 尚徳(ひかり ひさのり)です。

 

 

 

前回の続きです。

沖縄の居酒屋で
エイサーの音に触れた瞬間
理由もなく号泣しました。

 

あのとき、最初に浮かんだのは

「この涙、何やろう?」

という問いでした。

 

人は何かが起きると
すぐに意味を探そうとします。

・先祖の何か?
・魂の記憶?
・何かのメッセージ?

 

でも今回は
途中で、それをやめました。

 

「あ、これ、意味つけたらズレるな」

そう感じたからです。

 

そこからは

ただ泣いていました。

 

結果的に言えるのは

店内に響いた太鼓の音に
ただ号泣していただけ

 

そこに

 特別な意味はありません。

 

いくらでも意味は作れます。

 

・こういう意味だ
・ああいうサインだ
・これはこういう流れだ

 

でも

 どれも正解ではない

 

むしろ

 意味をつけた瞬間に
 体験は“物語”に変わります。

 

自我はストーリーが大好きです。

意味を作ることで
「理解した」と安心したがる。

 

でもその時点で

 体験そのものから離れていく

 

今回のあの涙は

理解するものではなく
ただ 起きたもの

 

もう少しだけ丁寧に言うと

「分離が一瞬消えた」

 

自分と外側
感じているものと感じている自分

その境目がなくなったとき

理由のない涙が出ることがあります。

 

でもそれすら

 説明のひとつにすぎません。

 

だから今回の結論は

何も結論を持たないこと

 

一言で言うなら

「事は、ただ起きているだけ」

 

そして

もうひとつ大事なこと。

 

 意味を探せば探すほど
本質から遠ざかる

 

良い解釈を作ろうとすればするほど

 ストーリーに嵌る

 

そのストーリーの中にいる間は

体験の純度はどんどん薄れていく

 

ただ

 起きることが起きた

 

それで十分です。

 

じつは、このような考え方、在り方が

最強なんですね。

 

 

「こういうの、

説明いらん人には、ほんまいらんやつです(笑)

でも、

“あ、これやな”

ってなる人には、一発で分かります。

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