好きなものがあるということ

 

 

 

今回のB'zのツアーのこと、
たくさんの方のブログを読ませていただきました。

最後2日間、愛知県外から参戦されている方もいて、
みなさんの熱いB'z愛が伝わってきます。

 

読んでいて、
ふと思ったことがありました。

 

 

 

それは、

「好きなものがあるって、すごいことだな」

ということです。

 

 

 

B'zのお二人は60代。

ファンの方も、
私と同じくらいの年代の方がたくさんいらっしゃいます。

 

 

 

この年齢になっても、

ライヴを楽しみにして、

チケットの当落に一喜一憂して、

ブログで感想を書いて、

また次の公演に申し込む。

 

 

 

それって、
ものすごいエネルギーだと思うのです。

 

 

 

もちろん、
若い頃ならふつうにできたかもしれません。

 

でも、

年齢を重ねてもなお、

「行きたい」

「会いたい」

「この瞬間を味わいたい」

と思えることは、

当たり前のことではない氣がします。

 

 

 

私の母の世代はどうだったのでしょう。

好きな歌手や俳優さんはいたと思います。

 

でも、

今のように全国のライヴへ行ったり、

感想を発信したり、

同じ趣味の人とつながったりする機会は、

今ほど多くなかったのかもしれません。

 

 

 

そう考えると、

今の50代や60代は、

とても若いのかもしれませんね。

 

 

 

そして、
もうひとつ思ったことがあります。

 

 

 

私は30代の頃、

子育て真っ最中でした。

 

 

 

B'zが嫌いだったわけではありません。

でも、

ライヴどころではなかった氣がします。

 

 

 

毎日を回すことに必死で、

子どもたちのことで頭がいっぱいでした。

 

 

 

だからこそ今、

娘たちと一緒にライヴへ行けることが、

とても有り難く感じます。

 

 

 

同じ曲を聴いて、

同じ時間を楽しんで、

そして、感動を分かち合える。

 

 

 

これは、

あの頃にはなかった喜びです。

 

 

 

そして実は、ファイナルの日に

追加公演が発表されました。

 

 

 

名古屋がファイナルじゃなかったんかーい!

と、思わず心の中でツッコミました(笑)

 

 

 

だって、

ファイナルから、わずか、2週間後。

 

 

 

もちろん、

エントリーしました。

 

 

 

同じように、

「申し込みました!」

と書いている方もたくさんお見かけました。

 

 

 

急な発表でも、

「行けるなら行きたい!」

と思える。

 

 

 

それもまた、

好きなものがある人生の楽しさなのかもしれません。

 

 

 

何歳になっても、

心が動くものがある。

 

 

 

誰かや何かに夢中になれる。

 

 

 

それはきっと、

とても幸せなことなのだと思います。

 

 

 

志栄

 

 

 

 

 

完璧じゃないから

 

 

人のことを見ていて、

ホッとすることがあります。

 

 

 

すごいなぁと思っていた人にも、

苦手なことがあったり、

やめられないことがあったり、

分かっていてもできないことがあったりする。

 

 

 

そんな姿を見ると、

なぜだか安心するのです。

 

 

 

きっと、

誰でもそういう部分を持っているから。

 

 

 

私にもあります。

 

 

 

昔は、

ブランドものの化粧品に憧れていました。

 

 

 

今は成分や安全性を氣にして選ぶようになりましたが、

当時の私は、

「これさえあれば」

「素敵に見られたい」
「このブランドを使っている私って…」

そんな氣持ちがあったのでしょう。

 

 

 

今思えば、

それも自然なことだったのだと思います。

 

 

 

人は学びながら変わっていく。

 

 

 

でも、

学んだからといって、

完璧になれるわけではありません。

 

 

 

分かっていてもできないこともある。

 

 

 

手放したいのに、

手放せないこともある。

 

 

 

だからこそ、

人は人なのだと思います。

 

 

 

完璧な人を見ると、

どこか遠く感じることがあります。

 

 

 

でも、

完璧じゃない人を見ると、

親しみを感じたり、

安心したりする。

 

 

 

「私だけじゃないんだな」

と思えるから、かもしれません。

 

 

 

完璧でないことが完璧。

 

 

 

そんなことを思いました。

 

 

 

志栄

 

 

 

 

 

ありがとう が当たり前

 

 

 

今朝、ダブルレインボーを見ました。

昨日は、少し心がざわつくことがあったので、
なんだか虹に救われたような朝でした。

 

 

 

昨日、ふと思ったことがあります。

 

私は

「ありがとう」を言うのが当たり前だと思っています。

誰かがしてくれたことに対して。

大きなことでも、
小さなことでも。

 

 

 

でも、よく考えてみると、

「ありがとう」が生まれるのは、
当たり前ではないことが起きたときです。

 

 

 

私は何でもできるわけではありません。

できないこともあります。

苦手なこともあります。

疲れることもあります。

 

 

 

きっと、みんなそうです。

 

 

 

だからこそ、

誰かがしてくれたこと。

誰かがいてくれること。

支えてもらっていること。

 

 

 

そういうことに氣づいたとき、

「ありがとう」が生まれるのだと思います。

 

 

 

「ありがとう」は、

漢字で書くと「有り難う」。

もともとは、

「有ることが難しい」

という意味だったそうです。

 

 

 

もしも私たちが何でも一人でできて、

何も困らなくて、

誰の力も借りなくていいのだとしたら、

「ありがとう」という言葉は生まれなかったのかも

しれません。

 

 

 

誰かがいること。

何かが在ること。

助けてもらえること。

支え合えること。

 

 

 

それらは本当は、

当たり前ではないのだと思います。

 

 

 

だからこそ、

「ありがとう」が生まれる。

 

 

 

そして、

その一言があることで、

信頼が深まる。

 

 

 

感謝が生まれる。

 

 

 

また信頼につながる。

 

 

 

そんな循環があるように思います。

 

 

 

家族だから当たり前。

長く一緒にいるから当たり前。

 

 

 

そうではなくて、

 

 

 

家族だからこそ、

「ありがとう」を伝えたい。

 

 

 

家族だからこそ、

当たり前にしないでいたい。

 

 

 

そんなことを、

今朝の虹を見ながら思いました🌈

   

 



 

志栄

 

 



 

 

 

 

 

 

 

話したいと思ったときに

 

 

 

「話したいと思ったときに、

氣軽に声をかけていただけたらうれしいな」

と思っています。

 

 

 

猫さんのことを話しているうちに、

飼い主さんご自身のことが見えてくることが

あります。

 

 

 

反対に、

ご自身のことを話していたはずなのに、

氣がつけば、

猫さんとの関わり方につながっていることも

あります。

 

 

 

そんな時間を、

私はこれまでたくさんご一緒させていただき

ました。

 

 

 

猫さんのこと。

身体のこと。

心のこと。

家族のこと。

 

 

 

何から話していただいても大丈夫です。

 

 

 

話しているうちに、

今のあなたに必要なことがきっと見えてきます。

 

 

 

 

アニマルコミュニケーションなのか、

カウンセリングなのか、

ヒーリングなのか、

 

最初から決めなくても大丈夫です。

もちろん、決まっていても大丈夫😊

 

 

 

セッションをご希望の方は、

まずはLINEで『こんなことを話したいです』と

お聞かせください😊

 

 

 

セッションはZoomを使って行っています。

LINE通話をご希望の方は、お氣軽にお知らせください😊

 

 

 

 

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「ちょっと話してみたいな」

そう思われたときは、

お氣軽にご連絡くださいね。

 

 

 

必要なタイミングで、

必要な方とお会いできたらうれしいです。

 

 

 

志栄

 

 

 

 

 

反応するのは、悪いこと?

 

 

 

「もっと反応しない人になりたい」

そう思うことがあります。

 

 

 

心のことを学ぶと、

 

「感情に振り回されない」

とか、

 

「相手の課題と自分の課題を分ける」

とか、

 

そんな言葉を耳にすることがあります。

 

 

 

私もなるほどなぁと思います。

 

 

 

実際に、

それを知ることで楽になったこともたくさんあります。

 

 

 

でも、ふと思うのです。

 

 

 

人は何歳になっても、

何年学んでも、

何かに反応するのではないか、と。

 

 

 

たとえば、

誰かの言葉にモヤッとしたり、

悲しいニュースに胸が痛んだり、

うれしい出来事に涙が出たり。

 

 

 

反応すること自体は、

なくならないのかもしれません。

 

 

 

もし何にも反応しなくなったら、

それは楽になるというより、

心が動かなくなることなのかもしれません。

 

 

 

私たちは、

好きなものがあるからうれしいし、

大切なものがあるから悲しいし、

守りたいものがあるから腹も立つ。

 

 

 

反応するということは、

そこに自分の大切にしているものがある、

ということなのだと思います。

 

 

 

もちろん、

反応した勢いのまま相手を攻撃したり、

自分を責め続けたりするのは苦しいことです。

 

 

 

でも、

反応したことそのものを

悪いことにしなくてもいいのかもしれません。

 

 

 

「ああ、私は今ここに反応したんだな」

 

 

 

「私はこれを大切に思っているんだな」

 

 

 

そんなふうに見つめてみる。

 

 

 

それだけでも、

反応との付き合い方は変わるような氣がします。

 

 

 

 

昔の私は、

反応する自分を見て、

「まだまだだな」

と思うことがよくありました。

 

 

 

でも今は、

反応することが悪いのではなく、

その反応から何を知るかが大切なのかもしれない、

と思うようになりました。

 

 

 

人は何歳になっても、

何年学んでも、

何かに反応します。

 

 

 

たぶん、それは未熟だからではなく、

生きている証。

 

 

 

心がちゃんと動いている証なのだと思います。

 

 

 

志栄