2023年7月9日の記事です。
お盆なので再投稿いたします!
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東京日本橋にある鍼灸治療室クリスタ、院長のかとうようこです。
今日はわたしの祖父の話にお付き合いください。
明治後半にうまれ昭和後半まで生きた人です。
なんで彼の話を書こうとおもったかというと、
きっかけはNHK朝ドラの「らんまん」
ドラマの中ででてきた、
万太郎の友人が「札幌農学校卒」
これがトリガーとなりました。
あら、おじいちゃんと同じ学校じゃん!
って思って調べてたら...
あれれ、うちの祖父は1900年生れのはず....
だったらどう考えても1918年くらいに入学してるよね?
わたし、勝手に農学校の人っておもってたけど
時代錯誤も甚だしかった!
当時、
すでに北海道帝国大学になっていたようです。
そろそろお盆ということもあり、
祖父の供養もかねて、彼の一生の振り返りを書いてみようと思います。
(ショートカットしすぎて怒られるかな?)
長男なのに「菊三郎」という名
祖父のふるさとは奈良県十津川村というところ。おそらく皆さん未踏の地かと。
(後日わかったのですが、ふるさとはここじゃなかった
)
(ガセネタをわたしに伝えたのは父
)
(奈良県吉野郡川上村がふるさとでした)
ものすんごい山奥です。
わたしも2009年に始めて足を踏み入れた場所。
日本で唯一悪魔払いをすると言われている玉置神社があるところです。
なんとなくわたしのDNAがありそうな地域でしょ。(玉置神社にはまだ行ったことはないです)
曾祖父母の名前もわたしは知らないのですが、
夫婦の間には女の子ばかり4人?生れ、初めての男子として誕生したのが祖父。
長男だけど早死にしないように
という願いをこめて「菊三郎」と名付けられたそうです。
なんで「菊」なのかはわかりませんが、
おそらく皇室バンザイ的なことかと推察しています。
激動の昭和~戦争へ行った祖父
祖父は背も高くしっかりしたカラダつきで運動神経も抜群によかったようです。
剣道は全国大会で二位(残念)をとったこともあるって言ってました。
ある意味当時の一家の星だったのでしょう。
北海道にわたり大学に入学(農学部)
その後林野庁営林局(現森林管理局)入局します。
からの結婚、子宝に恵まれて、
昭和初期、祖父にとって順風満帆の時代だったのかな。
そんな中、第二次世界大戦が勃発。
祖父は年齢的に徴兵されることはないと思われていたのですが、
赤紙がきて戦争に行くことになったそうです。
40歳をとっくに過ぎてからの兵役、
詳しいことはわかりませんが、戦争末期だったことは確実。
このあたりのことは父がよく覚えていて、
赤紙がきた日、祖母は押し入れの布団に顔をつっこんで泣いていたそうです。
戦後、祖父の口から戦争の話はいっさいでてこなかったと聞きます。
話すことができないほどの辛い経験をしたということなのだと思います。
祖父の戦後
戦後、
再び営林局で働いていた祖父ですが、
ある時期なぜか退職します。
そして、
世界一周の船旅に出かけたんです。
帰国後に北海道で木材を扱う会社を設立。
時代の後押しもあり、1000人以上の従業員を抱えるまでの大きさに会社を育てます。
家庭人としてお金の管理は全て祖父がやっていたそう。
授かった子どもは男子6人女子1人。
全員が「論語」由来の名前です。
子どもに関して言うと、
・唯一の女の子は火傷がもとでなくなり家族が慟哭した
・父(次男)が祖父と同じ北海道大学に入学したことをことのほか喜んだ
・祖父は178㎝と体格もよかったのに子ども達は全員165㎝以下(残念)
祖父の人を見る目を知る逸話があります。
四男が大学をでていざ就職!という際に
「君は日本がむいていないからブラジルに行ってみたらどうだろう」
と、祖父に言われ叔父は卒業後すぐブラジルに移住。
現地で貿易業を営み、現在もブラジルで元気に過ごしています。
孫も含めると、日本での生活があわず海外で暮らしたり、日本と行ったり来たりの人が多い家族だと思います。
祖父との会話
わたしの父は親戚付き合いをあまりしない人だったので、
祖父とさほど話した記憶がありません。
口数が少なく厳しい人
そんな印象です。
唯一覚えているのが、
祖父が亡くなる1年前、わたしが中学二年生のときのこと。
当時すでに食道がんを患っていた祖父と、
親戚一同最後の旅行にでかけました。
夕食の宴の準備ができたことを祖父に知らせるよう言われまして、
祖父が休んでいる部屋に入りました。
旅館の窓際にある椅子に腰掛けている祖父のシルエット。
未だによく覚えています。
そのとき祖父に言われた
「あなたは孫の中では○○だからね、期待しています」
当時○○の意味がわからなかったんだよね![]()
このことばが、最近わたしの心の支えになっています。
言霊ってあるよね。
家族はシステムで動いている
こうやって故人のことを思い出すこと、文字におこすこと。
それ自体が供養になっているのだと思います。
前の世代の人々は、
後の世代が幸せに暮らしてくれることを間違いなく望んでいる。
家族はシステム。
誰がかけても成り立たない。
この文章を書いていてそんな気持ちがより強くなりました。
わたしのセッションでも、
家族システムの話題を必要があればお伝えしています。
祖父の話、お読みいただきありがとうございました。
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