「ちゃんと」は他人軸の呪い | こころひとつのおきどころ  

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自分の中の罪悪感
劣等感・無価値感を

よーく観察してみると


必ずと言っていいほど
そこには


「ちゃんと」


が、枕言葉のように
ついてくる。


例えば


遅刻はするべきじゃない


という法律を私はずっと
握り締めていたのだけど

なぜそう思うのかというと


時間や規則は「ちゃんと」
守らなきゃいけない

と思っているから。



また

長女はしっかりするべき

ということを
決まりごとみたいに思ってて


長女なんだから「ちゃんと」
してなきゃいけない

とも思ってた。


でも・・・

「ちゃんと」


って結局何だ?



ちゃんとしてない自分だと

何が問題なんだろう?


そう考えてみると


私がちゃんとしてないと

親が大人が喜んでくれない


私がちゃんとしてないと

お母さんがおばあちゃんに
いじめられる


そんな思いが出てきた。


うちは嫁姑の関係が酷かったので

子供の頃はよく


祖母からは母親の悪口を聞かされ

母からは祖母の悪口を聞かされ


子供の私は母の被害者意識に
すっぽり包まれてしまってたので
(洗脳とも言えるかも・・)

母親の悪口を言う祖母は

敵だと思ってた。


今は
身内を敵視するってなんか
悲しいな~ って思うけど


子供心に

お母さんかわいそう

って刻まれてしまってたから

お母さんを守りたくて
仕方なかったんだね。。



だから

私がちゃんとしてないと

またお母さんがいじめられる

って思ってしまったんだね~。



だから

「ちゃんと」してない自分は

人の役に立てないし
人を喜ばせることができない


逆を言えば

「ちゃんと」してさえいれば

人の役に立てるし
人を喜ばせることができる

って思ってた。


でもこれってまさに


他人軸



さらに

他人に対して
「ちゃんと」を求めるときって

正しくあること
完璧であること

を期待しているようにも思う。



それは

自分に対して
「ちゃんと」していることで

正しくあること
完璧であること

を期待しているってことでもある。



どんだけ「ちゃんと」に

がんじがらめになっていたんだろう・・(iДi)



でもきっと

私がちゃんとしてなくたって

人の役に立つこともあるし
人を喜ばせることもできるんだよね

お母さんがいじめられることも
ないんだよね



「ちゃんと」は他人軸の呪い


変わろうとする自分を
他人軸の自分が必死に
引きとめようとしている


そんな風に思うと

「ちゃんと」に縛られてた自分を

否定したり嫌いだと思わず
それも自分だと愛おしく感じられる。


そして

もうその呪いはそろそろ
必要ないんだな、って思えてくる。


そうやって少しずつ

自分の心を
解放していけるんだろうね~



今日も
読んでくださり
ありがとうございます。