物語「心の花束」 26
第5章 心の花束
[素直に生きる 2-1]
打ち合わせも後半を迎え、
「お互いによく頑張ってきたね」
「辛いほうへ、辛いほうへと突き進んだ結果、
なりたい自分になったね」
「もう、辛いほうへの追及は最後にして、
今・ここを楽しんでいこう」
と、言葉を掛け合った。
その日から半年後の2011年6月、
私はあるセラピストBさんのお茶会に参加した。
10名前後が集まり、
主催者を中心に情報交換の場が創造されたカフェで、
私は堂々とした態度で自分の想いを伝えながら、
自信が育つ過程を楽しんだ。
憧れていたAさんの姿に
私は自然なカタチでなりきっていた。
物おじせず、心地よい場所がそこにあった。
その時の私に最高のメッセーがBさんから届いた。
そして、その時の私に必要な情報が溢れていた。
Aさんと関わりながら・・・
水面下で育ててきた強い自分に光を当ててきたが、
その状態に至るまでの一途な私の努力や想いが
お茶会に参加することにより、ねぎらいのシャワーが
降り注ぎ、あたたかく包み込まれていくのを感じた。
これまでの事は、今の自分になる為の修行だったと
明確になり、過去にそれぞれの場に居た意義が
みつかった。
‘人生に無駄はない!!’
というのはこの事だと想った。
どんな出逢いも自分が選び、
自分にとって、必要な学びの場であると捉えると、
周りへの不平や不満は感謝に変わる。
完璧な人はいないし、自分も不完全な人間だ。
だからこそ、なりたい自分になる為に、
自分の心を映し出す相手を見て、
自分の心を磨いていく。
そんな自分を愛し、ねぎらっていく。
その繰り返し。
その時にわからなくても、
あとからわかる時が来る。
過去を意味づけるのは、
今の自分・未来の自分なのだから。
☆ ☆ ☆
2014年2月20日
~ 今。おもうこと ~
いろんな事に傷つきながら
日々生きている人々。
ストレスを感じる生活に癒しを求め、
優しい言葉の詩を読み漁り
やりきれない想いに
心は晴れぬまま・・・
今話題の
明日、ママがいない
昨日の放送で・・・
‘傷ついたんじゃない、磨かれたんだ’
と子供たちに話す施設長の姿がありました。
周りから、されたのは
どうしようもないこと!!
だと、想いがち・・・
自分が望んで、
周りに磨いてもらった!!
そう、捉えると・・・
<自分が源>
自分にエネルギーが戻ってきます。
自分で人生を変えていく
その光が見えてきます。
☆ ☆ ☆
親に捨てられた子
子どもを捨てた親
争いごとの絶えなかった家庭環境
などなど・・・
親を責めているようで
自分を責めて
自分を責めているようで
親を責めて
そんな目にみえない心の
堂々巡り・・・
自分の人生を変えていく
チカラがある事
想いださないとね♪
☆ ☆ ☆
私は社会の流れに反発して
人が見たがらない
醜い自分と向き合ってきました。
ドラマでは
人を殴った、
その事だけで人を判断し
社会の目を恐れ
排除しようとする、一部の子どもたちに対して・・・
‘心にクッションを持ちなさい’
‘この状況を胸に入れて、考える事をしなさい’
‘受け止めてみる事をしなさい’
と、子どもたちに施設長が話します。
その人の本質を見ないで
煙たいもの蓋をする(^^;
自分の良さも
手放すことに繋がっているんだけどな(^^;
☆ ☆ ☆
私は相手に怒りを感じ
心のマグマが爆発し
自分が源に戻してきたこともあります。
そうすることで、
自由と愛が育ってきました。
周りにされたことに
フォーカスすると、見えない相手の愛に気付けない
人は愛からはじまり、愛に終わるのだから♪
☆ ☆ ☆
‘世界に存在する穢れや醜さから
目を背けず、一度受け止めてみなさい。
それが、できる人間は一方で、
この世界の美しさ、
愛おしさを知ることができるだろう’
と、子どもたちにドラマで伝えられていました。
これは、ドラマの子供を通して
このドラマを批判した人たちへの
メッセージでもあるような気がします。
*相手に見る偏見は
自分の心の内側に潜在しているのですから(^^;
という被害者意識があれば、
自分を守りたくなり、
‘醜いもの’‘自分と違うもの’
‘自分と違う考え・想い’
を、批判したり、排除したがる。
自分と同じ想い・考えの人が集まり
安心を手にする(^^;
☆‘醜いもの’‘自分と違う想い・考え’
受け入れるのは、
たくさんの恐怖や不安があるけれど、
心は磨かれる。
☆表面的に見る相手ではなく、
その人の本質(愛からはじまる言動)に
意識を向け、関わりあいながら
共に心を磨いていく。
☆人が人を想う愛の修行が
人が人を幸せへと共に導いていく
ひだまり