こんにちは、
ヒーリングアート起業を軌道に乗せる専門家:梅邑智恵です。
アメブロで、記事を書き始めて16年が過ぎました。
正確に言うと、このブログをスタートして16年
その前にも別のアカウントで開設していたので、
「ブログ」と言うものを書き始めて20年くらいになるのかな?
振り返ってみると、すごい年月が過ぎていたんだな~と、、、
おぎゃ~と生まれた子が、大人になっている
そんな感じですものね、、、![]()
私自身も当然年月とともにお年を召していくわけで、、、
ブログを始めた頃、3歳くらいだった末娘は、
お母さんになっているんだから、ほんとに月日を感じます。
で、、この機会に、私自身の幼少期の頃からを
振り返ってみたいな~と言う気持ちになったので、
振り返る機会を持つことにしました。
実は、これまでにも、
こんな気持ちになった事が何度かあったんだけど、
お仕事や日常が忙しく、立ち止まって振り返る!
と言う事を、後回しにしていたので、![]()
今度こそは、、という事で
不定期になると思いますが、記していきたいと思います。
(ここ↑↑私の産土神社です)
私が生まれたのは、四国愛媛「松山」と言う場所です。
坊ちゃん、道後温泉と言うと、
あ~あそこね!と言う方もいるでしょうか。。
観光地では有名な場所ですね
二人姉弟の長女として生まれました。
もちろん生まれた時の記憶は、ないのですが、、、
後付けで、(生まれる瞬間を体験するワーク)
自分がどんな気持ちで生まれてきたのかを知る機会がありました。
私は、お母さんのお腹から生まれてくるときに
「ごめんね」「ごめんね」と言いながら、生まれてきました。
実際にしゃべれるわけじゃないから、エネルギー的に
「ごめんなさい」と言う気持ちだったという事なのですが、
なんでごめんねなのか?と言うと、
出産って、どんなに安産でもやっぱり大変だし痛みも伴う
そんな痛みを持ってまで生んでくれてありがとう
と言う気持ちと、
痛い思いさせてごめんなさい。
だったんですよね、、、
このワークを体験したのは、
もう17-8年くらい前だったと思いますが、
覚えているもんですね。
今でも、その状況が浮かびます![]()
そんな不思議な感覚を持った
子供だった私の幼少期の環境は、
アルコール依存症の父と、、、、
時には優しい、
時には、厳しい?きつい?
すぐに言っていることがコロコロ変わる
母の元に長女として生まれました。
(母と末娘の後ろ姿:2013年ごろ)
3歳下に弟がいて、4人家族と、
隣の家に祖父母が暮らしてました。
父は、靴の卸し売りの小さな会社に勤めていて、
母は、自営業(スナックを経営してました)
子供の頃の記憶に思いを馳せると、
楽しいというよりは、
憂鬱な日が多かったのを思い出します。
普段は、一滴もお酒を飲まない父は、
一度飲み始めると仕事もいかず、
一週間くらいはずっと飲み続けていました。
飲んでは寝、飲んでは寝、のくり返しで
それが一週間くらい過ぎると、
ほんとにある日突然なんだけど、
また普段の父に戻る。と言った繰り返しでした。
そのスパンは、決まってないけど、
子供心にそろそろ、また飲み始めるんだろうな~と
なんとなくの気配を察知しては、
父にお酒を飲んでほしくない私は、
当時ポケベル(懐かしい時代です)で
父に連絡して、電話の前でかかってくるのを
今か、今かと待っていたことを思い出します。
すぐに電話がかかってくると安心して、
かかってこないと、不安になる
そんな事を日常で繰り返していたことも思い出します。
何度か、かけても、かかってこない時は、
決まって、お酒を飲んでいる時![]()
そして、帰ってきてからは、
また酒浸りの日が一週間ほど続く。
こんな事の繰り返しだったので
今思い返すと、私の心は、いつも不安と
憂鬱さでいっぱいだったんだな~と思います。
だから必然的に、毎日憂鬱で、
生きてるって楽しい!
なんて感じたことがなかったように思います。
かといって、苦しくって、苦しくって
もうどうしようもない。
ってこともなかったんですよね
私、雨降りが好きだったんですが、
(雨降りが好きと言うと、
ちょっと変わっているといわれるんだけど
、、、)
その理由が、雨降りの日に、
アルコールを飲み続けている父が
飲むのをやめて、いつもの父に
戻ってくれた時が多かったので、
私の脳中で
「雨降り=いつもの優しい父に戻ってくれる」
こんな方程式ができてたんですよね。
なので、雨が降ると、
いつもの優しい父に会える。![]()
そして、閉まっているカーテンと
敷かれているお布団もたたまれて、
お部屋には明かりがつき、お家にみんながいる。
そんな状況だったから、よけいに、雨降りが私にとって
とても良い印象に残っているんです。![]()
雨の音が聞こえると、心が静かに満たされていく
そんな感覚は、今も残っています。
母は、カメレオンのような人で、
ほんとに不思議な存在なのですが、、、
(これは今もそう感じているので、ほんとに不思議な人)
さっき言った事と、今言う事が違っているのは、
日常茶飯事の事
子供の頃は、戸惑いましたね~![]()
どっちがほんと?
どっちを信じればいいの?
どれが、本当のことなのか、わからないのです![]()
母は、悪気があってコロコロ話が変わるわけではなくて、
その一瞬、一瞬は、その時思った事なんですよね。
聞く側は、たまったもんじゃない
あれ?今こうだって言わなかった?
え?違うの?と、、、ね![]()
私には、3つ違いの弟がいるのですが、
弟が生まれて生後10か月くらいの頃に
母が出稼ぎに行く事になり、
どのくらいの期間だろうか?
私と弟は、祖父母の家で育てられました。
と言っても隣に祖父母の家があったので、
遠くに行って育てられたという事はないのですが、
私が、幼稚園に入る前の事でしたから、
当時の記憶は残っているので、
寂しかった記憶は今でも覚えています。
どのくらいの期間だったのかは、
わからないのですが、母から聞いた話だと
1年くらいだったとか、、、
祖父母に預けられている時に、
はしかにかかり、高熱の中
「お母さん、お母さん、早く帰ってきてよ~」
と心の中でつぶやき
高熱を耐えていた記憶は
今でも、鮮明に覚えていて、
その時寝ていた祖母の家の情景も覚えています。
1年の間に、1度だけ母が帰ってきて、
その時に、「りかちゃんハウス」を買って帰ってくれたことが
とっても嬉しかった事を覚えています。
一日、二日いたんだろうか?
またすぐに出稼ぎに戻っていき
母がいない間、ひたすら我慢をして、
早く帰ってきてくれないかな~と、
それだけを願っていたことを思い出します。
今振り返ると、子の頃の体験が、
「我慢する」「耐え忍ぶ」と言った事の起因に
なっていたんだな~と思います。
(だから、子供の頃に何を体験したのかが、のちの人生体系を
作り上げていくんですよね、、、良いも悪いもね
)
そして、無事に母が帰ってきて、
そんな我慢の日々も、終わり、、、
毎日どこに行くにも母にくっついていたことを思い出します。
母が念願のお店を出すための
準備を始め、私が幼稚園に入園する少し前に
お店をオープンさせました
(そのための資金を稼ぐために出稼ぎに行ってたとか)
母は、アル中の父のお給料はあてにできない
と思ったのでしょうか、、、
自分で稼いでいくことで、生活への安心感
そして、私たちを育てるためのお金を
確保したかったのだと思います。
母が育った環境は、戦争時代で学校にも行けずに
丁稚奉公に出て、働いていたと聞いたことがあります。
母の実家は、鉄工所を経営していたらしく
当時は裕福な家庭環境だったとか、
戦争によって、すべて焼けてしまったらしく
その後は、掘っ立て小屋のようなところで
家族9人(子供が7人?だったかな)で暮らしていた
という事を、子供の頃に聞いた記憶が残っています。
「貧乏は嫌だ!」
読み書きもできない、学校にも行けない
好きでもない仕事(丁稚奉公に出されて)をして、
家のため、兄弟のために頑張って働いた
そんな思いはもうしたくない!
と言う思いで、自分のお店を持ちたかったのでしょう
こうやって振り返ると、
子供だった私は、私なりに寂しい想い、
体験、経験をしましたが
母も頑張っていたんだな~と思います。
過ぎ去った事だから、こうやって
俯瞰することが出来ますけどね![]()
母は無事にお店をオープンすることが出来て、
そして、そのお店は大盛況だったようです。
当時、その地域で、知らない人はいない!
と言うほど、盛況で、いつも満席
ありがたい事ですね![]()
(頑張った母のおかげ様です)
家族四人での生活にも慣れてきて、
私は、幼稚園に入園する年になりました。
当時、子供の足で、歩いて15分くらいのところに
カトリック系の幼稚園がありました
(私はカトリックではありませんが)
その幼稚園は、地域では有名な幼稚園で、
いわゆるお嬢様学校的な所でした
(幼稚園と、高校が同じ系列にある)
かわいい制服を着て、楽しく毎日登園
と言えればいいのですが、、
幼稚園楽しいなんて思った事は
一度もなくて、、、![]()
仕方ないから行くといった記憶が残っています。
今だったら考えられませんが、
子供たちだけで、15分ほどかけて
幼稚園に行きます。
途中狭く、暗い道を通り、
人通りの少ない場所もある、
そんなところを通って、行くなんて考えられませんが、
当時は、子供たちだけで行くって事も
当たりまえで、、、
家の前まで見送りがあるなんて事も想像できず
時間になれば勝手に行くって感じでした。
特に我が家は、母親が夜時間にお仕事をしているので
朝は寝ているので、一人で行くのが当たり前だったのです
入園して少しの間は、朝起きてくれてましたが、
慣れてきた頃には、祖父母が朝ごはんを準備してくれて
登園していたような記憶があります。
しばらくすると、幼稚園で
体操服を隠されたり、上履きを隠されたり
と言ういじめにあうようになりました。
その話を母にすると、すぐに先生に話してくれ
そして、ものを隠していた子に、隠さないように
言いに行ってくれたりする母親でしたので、
解決はするのですが、、、
子供ながらに、またそのことで
いじめにあうんじゃないのか?と言う不安や
行きたくないな~と言う気持ちがあった事を
思い出します。
(2013年作:インナーチャイルド)
幼稚園で楽しかった事って何があるだろう?
とその当時に思いを馳せても、、、
すぐに出てこないんですよね~![]()
遊び時間の砂場も、お友達を見つけるのに
なんとなくいやな時間だったし、
体操の時間は、跳び箱が苦手(怖い)だったので
嫌いだったし、、、
遠足も楽しくなかったし、、、![]()
楽しい事が今一つ、すぐに出てこないんですよね。
一人だけ、親友と言えるお友達がいて、
その子と遊ぶ時間が唯一の
楽しみだった時間だったのかもしれません。
そして、幼稚園も卒園の時を迎え、
親友だった子と、小学校は別々になり、
卒園後一度だけ、遊びに我が家に来てくれた事だけ
40年以上も前の出来事ですが、覚えています。
仲良しもいない、小学校へ入学すること、
またまた、ここも、不安といやな思いを背負って
その時を迎えていたことを思い出します。
こうやって振り返っていくと、
過去の自分がどんな事を思い、
どんな行動をとり、
その時の思考はどんな事を考えていたのか
それらが分かるので、
自分を知る機会にもなっています![]()
長くなったので、また次回タイミングを見て
小学校からの自分の歴史を言葉にしていきたいと思います。
ここまで読んでくださった方、長文にかかわらず
読んでくださってありがとうございます![]()
つづく、、
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