昨日今日と太陽の顔が見え、洗濯ができて嬉しい日です。
先日書いた記事「幼き日の願いは叶っていた!」をお読みいただいた方から、嬉しいお声をいただきました。
子どもの頃を振り返ってくださったということ。
そして、子どもの頃に描いたことはかなっているということをお知らせくださいました。
やっぱりこどもはピュアなんですね〜
シェアしてくださりありがとうございました!
この連絡を機に、私も今一度振り返ってみました。
そして、朝の瞑想中にポワーンと浮かんできたのが↓
小学生の時に私がフェルトで作った野菜たち
表情が可愛くて作ったのを覚えています。
あれから半世紀近く経ちました。その間何回も引越ししましたが、捨てることなく今も手元にあります。
私は手作りのものたちを見るのが好きで、作り手の想いが込められたものに心惹かれます。
けれども、手先が器用ではないので作るのは得意ではないです。
「それは手作りですか?」と聞かれると
「手作り苦手なので手作りされたものを買ってます。」といつも言ってきました。
先日もある人に「不器用な私に出来るかどうか〜」と言ったばかりです。
振り返ってみると、
器用ではないので、とても不器用なので
とずっと言い続けてきました。
ふと、ここで「?」と思いました。
果たして私は不器用なのか?
手先が器用ではないのか?
小学校の低学年の頃にフェルトで野菜を作った私。
可愛いから、作りたいから作った。
上手いとか下手とか、器用だから不器用だからとは思わずに作ったのです。
子どもの頃はそういうことは考えない。
作りたいから作った。
そして、今見てもソコソコよくできています♪
「不器用と思っているのはもしかしたら私だけではないか⁈」
という疑問が私の中に生まれました。
何故そのように思ってきたのか?
ここで自己分析してみます。
私の母は手先が器用で手芸が大好きでした。色々と手作りをしていました。
レース編、コサージュ、革細工、手編み、洋裁、刺繍、人形作り、折りびな………
どれも丁寧に綺麗に作られていて、作ったものをプレゼントしたりしてました。
母が作ったものたちです↓
そしてもう1人、私の妹。彼女も器用で手が早い。テキパキやるタイプです。おまけに手のひらが大きく、力の入れ方も加減も上手。何事においてもスムーズにこなしていました。もちろん手芸も得意。大人になってからは木工細工に懲り、ちょっとした棚なども手作りしていました。
私は手のひらが小さくて動きもゆっくりしているので、妹にはいつも「遅い」とか「不器用」「下手」とか言われていました。どこにでもある姉妹の会話です 笑
そんなことを考えた時、私の中では器用と不器用の境目であるスタンダードが相当高い、ということに気がつきました。
母と妹。家族がとても器用だったのでそれと比較して私は不器用だ、かなり不器用だと思い込んでいたのかもしれません。
それほど不器用ではないのかもしれない。
これは大きな発見です!
実はかなり前から、いつか作りたいと思って買いためた刺繍のセットがあります。1つや2つではありません。
出来上がったらこんな風に飾ろう、というイメージもあります。作っている間のワクワクする気持ちや、出来上がったら素敵だろうな〜とも思います。
でも、ずっと作らなかった。作らないなら捨てるか誰かに譲ろうと思うこともありました。が、何故か実現しない。
それは、
作りたいからなんですね。
好きだからなんですね。
刺繍作家になるのではないのだから、上手い下手も関係ないのです。
自分で使うのだから、ソコソコに出来上がったら良いのです。
この発見のおかげで、見方が変わりました。
とても不器用だから私にはできない。
↓
それはど器用ではないかもしれないけどやりたいのでやってみる。
さてさて。
これで「五十の手習い」がまた増えるかもしれません。




