玄人を気取る。
マウントをとる。
調子に乗る。
自分に注力する。
裏を返せば、他人の痛みや悲しみを、
知りつつそれでも、自分を貫く。



こーゆーの、悪いと思ってたけど、



この逆で、
いつまでも初心者の心構えで、
マウントは取られ放題、プライドも無く、
一寸先は闇と思って、
どこまでも他人の為に尽くす。
裏を返せば、自分の痛みや悲しみを、
知りつつそれでも、他人に尽くす。




この2択しかないとしたら




前者を引き受ける強さが、あなたにはあるか?
わたしは、無かった。
でも、持たなければならないと痛感した。




裸の王様を、私は気取れるか?
無理に安定しようとすると、
結局、
低い方に合わせるしか、なくなる。

だって、
沈んでる時は、
どーーーーーーーしたって、
上がれないから。

だから、
今まで、
浮上して、イケイケ(死語)な自分を、
一生懸命、落とそうとしてた。



沈んでたときの自分を
わざわざ思い出しては、

「この辛さ、忘れたか!」
とばかりに、
足を引っ張って、引きずり落として、


せっかく浮上してる自分のこと、
「馬鹿みたい!」とか、思ってたんだ。




でもさ、
そんなことばっかしてるから、




「楽しい」を見失ったり、
「ワクワク」を見失ったりして、




そーゆーキラキラした発信する人を、
さも平然を装って、羨んでたり。

(本当、めんどくせー奴だわ)





そんなさ、
雲の上の人なんか見てないでさ、

せめて、
調子ノッてる自分だけでも、
許して、認めて、

解放してやれよ。




後悔は後から、いくらでもできるんだから。
ちょっと斜に構えてる方が、
カッコイイんじゃないか?って思ってる。

そんな自分に、愕然。





いつの時代の価値観だよ!




いや、それどころか、
お母さん教限定の価値観じゃないか!


しかも、母子ともに、かなりの歪曲解釈。



あいたたたー。








素直で、自己肯定感が高くて、
ちゃんと傷付いて、ちゃんと怒れる人のこと。

カッコ悪いと思ってたけど、

それは果たして、本当にそうなんだろうか?



イジってくる周囲の奴らは、
悪意や嫌味でしかない と思ってたけど、

それは果たして、本当にそうなんだろうか?







褒められもされず、苦にもされず、
そういう者では、生きていけない世の中なのだなぁ。
変化をすること。
これを、とても恐怖している。

そんな自分に、出会った。



変わることが、怖い。

今まで、
散々色々変わりながら生きてきたし、
生きること=変わること
くらいの勢いで、

変化と生命活動は、密接なのに。





それなのに、



何だか、




変わってしまうことが、
それまでの自分を、

棄てているようで、否定してるようで。

他人に言われて止むを得ず、なら、
他人のせいにできるから、まだしも、

自分発で、能動的に変化することは、
何だかとても、禁忌に感じてしまう。



これについては、相当根が深いので、
まだまだ全然、暗中模索の真っ只中なんだけど、



ただ一つ、言えることは、

私は恐らく「変化」の意味を、履き違えているんだろう、ということ。


怖い、は、トライ!


自分発で、能動的に変わることの何が怖いって、

「良くなりたい、よく思われたい、好かれたい、という気持ちが、周囲にバレるのが、怖い」
んだけど、

絶対、もう、バレてるパターン、だよね。(とほほ



これは本当に根深いので、
今日は宣伝する余裕がないので、このままおしまい。



来月の7月11日に、
仙台市内とzoomで、
寸劇セラピーLife directをやるんだけど、


そのセラピーの意義を、
そのセラピーの効果効能を、
手放しました。



最初(2018年頃)はまだ、
サイコドラマと名乗ってて、
あれやこれや注意事項やら、
効果効能、技法云々、

とにかく、効果がすごいことだけは確実だから、
それを暴走させなおように、
それで誰かを傷付けないように、

って、
気付けば、めちゃくちゃ、力んでた。




あれから2年。
寸劇セラピーLife directと名前を変え、
完全にオリジナルとなったとき、


もう、あれこれ考えるの、面倒な自分がいた。


ただ、
気の置けない仲間と、
ワイワイ楽しく劇団ごっこして、
泣いて、笑って、怒って、吠えて、

それでもう、満足な自分がいた。






でも、そんな自分を認めたくなくて、
必死に、過去の在り方に戻ろうとしている自分をみつけて


あぁ、私は、
変化することすら、
自分に許せてなかったんだ、と、

こっちの方が、愕然とした。



(これもまた、追々、記事にするけど)




ということで、
来月の寸劇セラピーLife directは、
ゆるーく、ゆるーく、楽しくやります。


自分に、どんな変化が出るのか、
今から楽しみです。
人生って、ドラマでしかないと思っていて。


ドラマって必ず、主人公がいるんだよね。


主人公のいないドラマは無いし、
ドラマとは主人公の主観でしかない。



そしてあなたは、間違いなく主人公で、
そして私も、間違いなく主人公。



主人公は、
どんなシナリオも書き換えられる権限があって、

それをみんなに伝えたいんだけど、
肝心の私が、まだ、小さな書き換えしかできてないから、

説得力、無いんだよね(笑)




別に、説得したいわけじゃないけど、

ただ、

こうやって、地球に生まれて、

スマホいじれる程度の生活ができていて、

そして、

私という、駆け出しのディレクターと繋がっているんだから、

時間くらい、簡単に飛び越えて、
シナリオなんか、平気に書き換えて、
どん底の嫌われ者も、
最高の人気者も、
どっちも、好きなように選べるということを、


もっと、活用すれば良いのに(・∀・)と思う。




私は今回、
上司と喧嘩した挙句に、次の日から出社拒否して役職外された件を、

「有能すぎる私に、上司が嫉妬した」

というシナリオに書き換えるよ。



めちゃ怖い。


今から、怖い。


でもね、出来るって知ってるから、やる。


みんなも、よかったら見に来てね。
私は割と能動的だから、
愛されるより愛したいタイプで。

最も恐るものの1つに、
大切な人を無意識に傷つけてしまってやいないか?
というのが、かなりあって。

自分自身に欠乏感は無いんだけど、
その代わり、
溢れ出た情熱が他人様に及ぼす影響
(この場合は悪影響/あくまで当社調べ)
の方が、心をすり減らす原因だったりするんだ。



(大切な余り、握り潰してしまいそうな、そんな感覚)




そんな私への、処方箋。


私は多分、許されたいんだと思うの。


割と、なんでもできるし、
怒り狂うことも、欠乏感を振りかざすのも、ちょっと違って、


私が、抱えるのは、
過剰が故の、罪悪感、かなぁって。
今日、気付きました。



ぶっちゃけ、行動を起こすことには、何の抵抗も無いし、人並み以上にはできると思ってて、

そんな私が、何にこんなに、怯えてるのかと言えば、それはやっぱり、





他人を、大事な人を、傷付けてしまったんじゃないか?って、罪。

そしてその罪が、死ぬまで(死んでも)、許されないんじゃないか?って、罰。





この2つに、物凄く縛られていた。





そう、私は、許されたかったんだ。

未熟故に、配慮不足故に、全力過ぎたが故に、愛故に、傷付けてしまったことを、悪影響を与えてしまったことを、


私は許されたかったんだなぁ。





でも、
本当は、

もうとっくに許されていることを、
私の魂は、まだ、知らない。



許されない罪なんて、本当は無いって、
頭では分かっているのに、

魂が、それを、まだ信じられずにいるんだ。



だから疑心暗鬼な態度を取ってしまって、
一言謝れば許されるものを、


何年も、何十年も、
「許されない前提」で、頑なに、放置している。




でも、もう、それも、終わりにしたい。

許されて、愛されてる現実に、
早く魂も並列化させたい。


だから、今度のイベントでは、
時間があれば、私の魂の並列化も、
ワークとして取り入れようと思います。


直接参加されると、
その場で、間近で、魂の並列化を見る事ができますよ!(詳細は↓へ)

私の欲しい言葉は、許しの言葉だったんだ。。。

愛よりお金の方が、受け取りやすかった。

愛よりお金の方が、価値があると思ってた。

それはつまり、
本当の意味で「愛とは何か」を知らなかったし、
知ろうともしなかったからなんだと思う。
(お金ならほぼ人類全員が価値を感じることができるから、楽だよね、単純に。)




愛って人それぞれ千差万別で、
それを受け取るのは至難の技だと思ってた。
(今でも割とそう思ってる)

それと同じ理由で、
私が愛と思うものは、誰にも理解できないと思ってたし、受け取ってもらえるとも思ってなかった。

愛の循環とかって、素敵だとは思うけど、
自分が愛だと思って循環させたソレが、
受け取り手を嫌な気分にさせるんじゃないか?って、いつも思ってた。

割と今も、そう思う節がある。



けど、何か、


何か、


違うんじゃないか?って。





まだ、答えにはたどり着いてないけど、
今まで、信じて疑わなかったロジックが、
今、ちょっとだけ、疑いを持って見ることができたんだ。



もし、もし、もし、
愛が、お金と同じだけの価値を共有していたのなら?
愛が、お金以上に受け取り手を選ばない通貨だったとしたら?
私の思う愛を、せめて接する機会のある人だけでも、理解して受け取ってくれたら?


それは、とても素敵なことであると同時に、
それは、少しだけ怖いこと。



今まで信じて疑わなかったロジックが、
音を立てて崩れることだから。



お金を払うことしか、価値が無いと思っていた私に、
お金を払わなくても、その価値を見出してくれる人が現れたら、
お金を払うことだけが価値だと信じてきた過去の自分が、怒るような、泣くような、叫ぶような、


そんな気がして、今日もまた、
愛の受け取りを先延ばしにしてしまうのでした。



でも、
今回は期限を設けた。

7/11(土)、私は人生初の無料イベントをやります。
お金を介さない、お金を纏わない、コミュニケーションから逃げない、そんな裏テーマのあるイベントです。

詳しくはこちら

主催のくせに、
こんなガクブルしてる私を、見に来てください(笑)
自分を出す快感って、
自分を表現する楽しさって、


やってみないと分からない。



そして、それと同時に、



いかに自分を殺していたのか、
いかに自分を我慢していたのか、
いかに自分に無理を強いていたか、

にも、気付くんだなー。これが。






私はこの前、
13年積み上げたキャリアが吹っ飛んで←

いかに自分が、
キャリアに支えられていたのかを知った。

吹っ飛ぶその瞬間まで、
「キャリアなんて関係ない!」
とか
「やりたいことを、やる!社会の枠組みなんか糞食らえ!」
って思ってた節があったけど、

いざ、
吹っ飛んでみると、


やっぱり自分には、
ハリボテだったとしても
キャリアって、必要だったんだなぁ、
と、痛感する。




地位。
家柄。
学歴。
肩書き。


散々毛嫌いしてきたくせに、
実は、自分が、
これらに1番敏感で、


また
これらに1番、助けられてきたんだなぁ。




悔しいなぁ。
あんなに、あんなに、肩書きを毛嫌いしてたのに。
あんなに、あんなに、自分には肩書きじゃ測れない価値があるんだー!って、気張っていたのに。

結局、1番こだわってたのは、自分だったんだ。





でもそんな、情けなくてミジメな自分を認めたら、
それ以下の情けなさやミジメさは、全く気にならなくなったよ(笑)


空気読めなくても、場違いでも、退屈な話を延々喋っちゃっても、感覚ズレてても。
そんなの、気にならなくなった!!
大丈夫、多分誰も、私の話なんか聞いてない(笑)

そう、素直に思えるようになったら、とても気が楽になった。



大嫌いだった奴に、助けられた。
これ以上ミジメなことなんか、無いもんね(笑)
気付いたら、
お金のことを、真剣に考えすぎていました。


でも多分、これが世の中の普通で、
どちらかと言えば私は、浪費家で楽天家で、
世の中より、全然お金には無頓着な方だと思ってました。



でも、どうやら、違ったみたいで。



「楽しみ」にフォーカスするのが、足りてなかったみたいで、その原因として私は、お金について考えてしまうということのようで。



そもそも私は、計算とか苦手だったし、
リスクとかコストとか収益とか、そういうものを、必要とは思ってこそいれど、ワクワクはしてなかった。




だからそれ、ぜーーーんぶ、手放します。





料金、決めない。





コストとか収益とか考えたって、
そもそもが、皮算用でしかないし。

だから勿論、赤字だし。


ならいっそ、

赤字前提でやろう!って、

どーーーせ、死ぬまでの暇つぶし、

赤字だろーが、黒字だろーが、

私が楽しまなきゃ、全くの無意味で無価値!
って、割り切りました。




しばらくは、全部、お気持ち金にします。



開催できる費用ができたら、次を開催する、って感じにしようかと思ってます。