(鼻からスイカとは、帝王切開後にも関わらず、どうしても下から産みたい私の奮闘記)

前回の出産で、言われるがままに何となくで分娩予約した大病院。
救急ヘリポート、NICU完備の、言わば管内の拠点病院。

今回、鼻からスイカにチャレンジするということで、前回の切開実績のあるこの病院に分娩予約したものの、チャレンジそのものを拒否された。

仕方なく、チャレンジを受け付けてくれる病院を必死で探し、僻地の産科に分娩予約をした。
これで、ダブルブッキング状態。

さて、これから大病院の予約を、キャンセルしなければならない。

しかし、兼ねてから

「1度キャンセルしたら、2度とうちでは診察しません」

と釘を刺されていた。

ここまで言われると、怖い。
別に、管内にある大病院は、ここだけではないけど、、、

それでも、

なんだろ、

ここまで言い切られると、怖い。

でも、
私自身、もう、チャレンジするって決めたんだし、

どっちにしろもう行かないんだから、
とっととキャンセルした方がお互いのためなんだけど、

それでも、怖い。

これはバンジーなんだってのは、分かる。

だから飛ぶ。

だから飛ぶんだけど、怖い。
どうか、私に勇気を分けてください💦
昨日からのパッカンで、
かなり根本的な部分で、変わった気がする。
ウワモノはまだ変えきれてないけど、
根っこが変われば、時間の問題かと。❤️

これで良いんだ、と自分を説得したり、
砂を噛むような虚無感を隠したり、
決断したものの、次にする事を見失ったり、

そういうのって、
要するに「自分を生きてない」証拠だったんだよね。

何となく、血の熱さを感じる。❤️
そうか‼️
みんなの足並みを揃えようとするから、
苦しくてしんどいんだ‼️

足並みなんか、揃わなくて良い‼️
勝手に決めて、勝手にやる‼️
旦那も子供もエキストラ程度で良いんだ‼️

結婚3年目にして、結婚式がしたくなった。
でも、1番呼びたくないのは、実母。
1200%、クソバイスしてくる。
しかも田舎だから、私の死後も語られ続ける。
事前に相談すれば、あれはダメこれはダメと、10年経っても決まらないだろうし、
お客様として呼んだところで、何故相談しなかった?相談してくれたら教えたのに!のオンパレード。

実母だけ呼ばないって、可能なの?
もういっそ、ハリボテで良いんだけど。←
【鼻からスイカ チャレンジ】←
(帝王切開から2年経った今、それでも下から産みたい私の、命がけチャレンジ)

とりあえず‼️とりあえず‼️

「この状況なら"充分に"挑戦できるでしょう」

と、言われた‼️

嬉しい‼️
嬉しい‼️
可能性を信じてもらえた‼️
それだけでも、とても嬉しい‼️

今かかってる病院に、
キャンセル厳禁‼️って釘刺されてる
って言ったら、

「里帰りってことにすれば良いよ。
 あそこのドクターは、僕もよく知ってるんだ」

って言ってくれた。

嬉しい。
嬉しい。

なんとかしよう!
ってしてくれる姿勢だけでも、
人ってこんなに感動できるんだ。

諦めたくないんだよ。
「仕方ない」で済まされたくないんだよ。
仕方なく無い‼️って、言いたいんだよ。

あー、あー、あー、泣けるー。
何のビジネスでもないけど、
命かけてるから、ここに書いてみる。

2年前に帝王切開で、
それはそれは大きな可愛い娘を産んで、
それはそれで、とても満足なんだけど。

で、今回、2度目のオメデタ。

そうなると、むくむく出てくるのが、
やっぱり「鼻からスイカ」って、やってみたい!
という、思い。衝動。

どーーーしても、下から産んでみたいんです。

でもこれは、
子宮破裂の危険があるからって、
あちこちの産科に脅されまくって、
挙句、断られまくって。

それでもね、諦めがつかない自分がいるんです。

もうね、
ここまで来たら、しゃーーーーない!

今まで34年間、
割と幸せに生きてこれた感謝も込めて、

命かけたる! と、ハラを決めました。

そしたら、僻地の産科が見つかって、
まぁまぁグレーな感じ。(YESでもNOでもない)

もうこちとら、
失うものなんか、なーーーんも無いから、
明日、先生を説き伏せる勢いで、診察に行く。

自分と子供の命を投げ打ってまで、
って、
普通に考えて馬鹿だと思う。
(しかも帝王切開なら保険金満額おりるし)

でもね、
損得じゃないんだ。

やりたいんだ。

やってみたいんだ。

旦那にも「そんなにか?」
って、言われたから

「童貞で死にたくない!」ってのと同じだ!

と言ったら、渋々納得してくれた。笑

死んだらごめん。
でもそれは、私が満足いく挑戦をした証でもあるから。
私は割と、動くのは得意な方で、
活動宮な天秤座というのもあって、
考えるより動く方が、結果的に、良い方向に行っていた。

(考えすぎるとドツボにハマって、抜けられなくなるから、それよりは、動いた方が、何かしら結果は出るので)



で、
ちょうど20か月前。

せっせ、せっせと動き回って、
よーーーやく、よーーーやく、
収支がプラマイ0になって、
それでようやく、産休に入ることにした。

(それまでは、赤字でした。でも、楽しかったから、悔いは無いけど!)




そして今、20ヶ月後。


子供もいて、身重で、まぁ動けない。



今までの私なら、
動けない事をストレスに感じていたかもしれないし、
八つ当たりのネタにしてしまってたかもしれない。


でも、幸いなことに、
今は、こう、思える。



「これは、動かなくても活動を続けるためのトレーニングなんだ!」と。



頭を、
グルグルと自責めすることだけに使うのは止めろ!と。

勝手に好みの迷宮を作って、
勝手に迷宮入りして、ホクホクするのは、
そろそろ止めろ!と。





なめんなよ!と。




スカすなよ!と。





そう言われてる気がするんだ、




未来の自分から。




だから、来月も、
またここ、仙台でイベントします。

未来の自分から、
1200%本物の言葉を、
あなたも受け取れる、そういうイベントです。



無理矢理な開催はしないけど、
可能な限り、開催の方向でいきますので、

先日の寸劇セラピーの余韻が、まだ抜けません。
いやーーーーー、楽しすぎた(笑



何度も書いてるけど、
寸劇セラピーは効果&影響が深すぎるので、
やる側も本当に、劇薬レベルで扱ってて。

それは勿論、
参加者さんの安全第一を考えてのことだし、
出来れば、いい影響を持ち帰ってもらいたいし、
出来れば、楽しんでいってもらいたいし、

っていう、
素直な主催者側の気持ちがあってのことなんだけど。




今回は、例によって、
それらを、かなーーり、省いたわけで、

こちとら、ガクブル((((;゜Д゜))))よね。



でもさ、
ブランクはあったにしろ、

私は間違いなく、
サイコドラマ(旧  寸劇セラピー)を真剣に取り組んだ時期があったし、
その時は、
本当に本当に、慎重に慎重を重ねたし。



その経験と、実績は、
必ず私の中に、蓄積していると信じて、
思い切って決行した、寸劇セラピーだった。



結果、みんな、予想以上に楽しんでくれて、
主催者側としては、嬉しい限りなんだけども❤





今になって振り返ると、
なんつーか、ステージ上がった気がする。

私も、だけど、
サイコドラマが寸劇セラピーという、
汎用性に特化したワークに進化した気がする。



諸事情で、サイコドラマという名称は使えないけど、
私はきっと、そういった、
劇場型再現セラピーを普及させるのが、
今世でのお役目なんだと思う。


死ぬ前に、人生のお役目を自覚できて良かった✨


とりあえず、
通算1000人(オンライン込)の寸劇セラピーを目指そう!
本日、約20ヶ月ぶりのワークショップ開催。

めちゃ緊張するかと思いきや、
そうでもなくて、
良い感じ?に力が抜けてのスタート。



今回は、
自分的にはかなりバンジーな回で、

今までは、
ライセンス不所持(爆)を気にして、
おっかなびっくりなワーク運びだったのを、

思い切って、

バッサリ!!!

寸劇部分「だけ」を抽出した。





トラウマにしてしまったら、どうしよう!
とか
日本サイコドラマ協会にタレこまれたらどうしよう!
とか
そういう恐怖心があったけど、

思い切ってやってみたら、
サクサク進んで、
楽しい寸劇がたくさんできて、
時間も短く済んで、
結果、とても良かった(♡˙︶˙♡)

(次から、この時間運びでやろう❤)



で、今回は、
自分的に、もう1つバンジーがあって、

それは、
自分が主役で、寸劇をやること。

ディレクターは、のーのーにお願いして、
寸劇スタート。






そこでは、
今まで、
無意識に、
所有放棄していた自分が出てきた。



「捨てる」というほどの自覚もない。
「無視した」といあ記憶すらない。

むしろ
「こんなの私じゃありません」と、
1度も認識すらしなかった、そんな自分。
激しい自分。
怖い自分。
強烈で高圧な自分。

が、

溢れて溢れて止まらなくて。

(相手役してくれた方、本当に有難うございました!
(怖くて怖くて、役の間ずっと目を閉じてましたね、分かります。



でも、
そんな自分を、後で見返したら、
何だか、凄く可愛いく思えて、

酷いことばかり怒鳴っているのに、
(何なら今にも殴りそうな勢いなのに

それすら、虚勢に見えて。





めっちゃ弱い自分に、
めっちゃダメだと思ってた自分に、
また1人、出逢えた気がした。





自分のこと、
平凡で薄くて、味気ない人間だと思ってたけど、

それって、
この激しさを、必死に隠すために、
この激しさに、釣り合うために、
どんどん後付けしていった要素だったんだと。


本来の自分からすれば過剰な要素だったからこそ、
個性のように見えて、
どうしても個性という自覚が湧かない。

それは、
自分を隠す「ためだけ」のモノだったから。


そーゆーことか。





そして今回は、
初めてのzoom配信も挑戦して、
たくさんの方に来ていただきました!

内容は、
単に寸劇を垂れ流すだけだったけど、
臨場感は伝わったみたいで、良かった(*^_^*)


参加者のみちるさんが、早速感想書いてくれました❗嬉し過ぎる((o(*>ω<*)o))

多少のトラブルもあったので、
改善して、
次は、せめてもう少し、
スムーズに配信出来るようにします。




参加者の皆様、
協力してくれた皆様、
有難うございました!

またやります❤
応援してください。



正しさと楽しさが、
両立できたら、良いけれど、

それはたまに、
相反することもある。

そういう時、
楽しさを選べる覚悟が、
私には、多分、無い。



いや、無「かった」に、なった。
今日。





何故、その覚悟ができたかって、
それはね、写真。

写真というものの在り方を鑑みて、
「これは、正しさを求めても、得られるものは少ないな」
と、感じたの。




だってさ、
写真で、正しさを追い求めた先にあるものを、
私も、あなたも、きっとよく知っているよ?



それはつまり、証明写真。
プリクラみたいな今風のじゃなくて、
免許センターで撮る、
ブルーバックの、アレ‼️

顔の凹凸(つーかシミシワたるみ)まで、
くっきり、しっかり、写す事が、
正しさの正義。





これさ、追求したいかね?




って
自分に聞いたら、
そりゃー、全力拒否するさね。





この、
写真の例えは、
とても分かりやすいと思う。

でもこれが、
あらゆる生活の場面で、
他人ならまだしも(価値観は人それぞれだからね)、
自分に対してまで、ちくいち繰り広げられているんだとしたら、
とてもナンセンスだなぁ、と思った。




写真なんて、
自分以外、誰も困らないんだし、

写真以外にも、
楽しさを求めた方が、裾の広がりが大きいよね。





正しさの行き着く先は、
結局、妥協点でしかないし、
人の数だけ解釈と都合があるわけだから、
多少なりとも妥協するしかなくなるんだよね。


正しさの先にあるものが、妥協。
なんか、滑稽だね。




正しい私と、
楽しい私。

どっちを選んでも良いし、
どっちも選ばなくても良いけど、

正しさに、「逃げ」るなよ。