前回の記事はこちらです→この仕事につくまで ①


元々小さい頃から絵を描くのが好きで
自分でお話を考えるのも好きな子どもだった

幼稚園の先生に
自作の絵本を見せていた記憶がある


父親は私や妹の描いた絵や作文を
とても喜んで見てくれた


ただ、それを職業に となると話は別で
小さい頃から
安定した職につけ と言われていた気がする


高校生になり
進路を考える時期に来たころ
「新しい世界を見てみたい」 
という気持ちが強くなっていった



私は、当時九州では珍しかった
「編集デザイン科」がある専門学校に
どうしても行きたくなっていた


通っていた高校は進学校で
なおかつ新設校で
大学入学への高い進学率を目指していたので
担任からは当然止められたし説得をされた



だけど説得されればされるほど
窮屈に感じた


「編集デザイン科」がある専門学校は
福岡にあった
地元を離れて暮らすことになる

その事を初めて父親に言ったときの怖さ


具体的に何と言われたかは忘れたが
ひどく怒られ
怖くて何も言えなくなったことをはっきり覚えている

身体が固くなって
反抗もできなかった


その時母親が
「行かせてあげたらいいじゃないですか!」と泣きながら父親に言ってくれた


そんな母親を見るのも初めてだった


結果として
私は自分の願いが叶い、
福岡の専門学校に入学したのだった


だけど


前回書いたように
業種は損害保険の代理店業務


専門学校で学んだこととは
畑違いの職種


だが、両親からしてみれば
専門学校を卒業後も
フワフワと暮らしていた娘が
ようやく会社員として
働くことになったことで
ホッとしたことだろう



母親は算数の苦手な私のことを
危惧していたけれど
20代前半の私がやることといえば
お茶を淹れたり、電話を取ったり
ものすごく難しい ということはなかった


折しも世の中はバブル時代

お給料がさほど高くなくても
遊ぶには充分だった

海外旅行に行っていたのもこの頃


自分が何をしたいか 
なんてことを考えるのも忘れ
目の前の「楽しいこと」を満喫していた


 につづく