1999年8月11日、地球と人類防衛のためブラジル・サンパウロ郊外で深見東州先生の手による神事が行われた。これは、その神事に参加した1週間の旅行記録である。

 

☆★☆ 8月8日 ☆★☆

 正午頃、東京大塚のアパートを出発し、京成線の特急に乗り、集合時刻の午後1時45分には成田に着いた。

<成田空港>

 ところがスットコドッコイ、チャンちゃんが帰属するB2グループのフライト時刻は4時55分とのこと。3時間も早く集合させるとは一体全体……。正直なところ少々憮然。

 それでも近隣に座ったこれから共に神業に参加する同胞達と話をしながら時間を過ごす。一人は北海道から参加したチャンちゃんと同じくらいの年齢の幸田さん。もう一人は同じグループとなった京大博士課程でバイオの研究をしている豊田君。彼は支部の皆さんからカンパを頂いての参加だと言う。どちらも明るく感じの良い人たちであった。

 おこずかい4万円を$330($1=\121)に両替してアメリカン航空の飛行機に乗る。

 国旗と同じ赤と青を基調にデザインされたアメリカン航空の機体は、いかにもアメリカ的である。

 午後5時に飛行機は成田を飛び立ち、12時間の飛行の後、現地時間で8月8日の午後4時にアメリカ5大湖の南に有るシカゴに着陸する。時差11時間と日付変更線を越えたため、出発時の現地時間と到着時の現地時間はほぼ同じということになる。

 

<シカゴ空港>

 シカゴは快晴。空港の建物も採光を考慮した造りで、とても明るくハッピーな感じ。アメリカが大好きになってしまいそうな雰囲気。国内旅行のアメリカ人の青年男女が実に楽しそうに空港構内を闊歩していた。

シカゴは全米一の犯罪多発都市と言われているが、少なくとも空港周辺にそんな感じは全く無い。しかし空港内で手荷物を置いて3m程離れたところで話していただけで、女性の保安係員が「置きっぱなしにするな」と注意してくれた。

 スーツケースを国内線に運び終えた我々男性6人ほどのメンバーは、先に空港の外に出てノー天気に写真などを撮っていたため、ガイドの鈴木さんはパニック状態だった様子。幸か不幸かオンタイムでフライト時間に間に合った。豊田君が名づけたアンパンマンことガイドの鈴木さんは「私の指示が不徹底だったので申し訳ありませんでした」と言っていたけど、そのパニックぶりは気の毒なほどに見て取れた。カワイソー。

 到着から2時間後に国内線に乗換え、アメリカの南端にあるマイアミに向かう。飛行時間は3時間。国内線の機内クルーの質は、成田~シカゴ間の国際線よりも良かった。この時、隣りに乗り合わせたのは黒人の母子。初めて飛行機に乗ったのだろうか、10歳くらいの女の子は搭乗してすぐマクドナルドのハンバーガーを頬張ってしまったため、出された機内食に手を付けたけれど、殆ど食べられずに残してしまった。母親は窓側の席に座って外を眺めたまま感傷的な物思いに耽っている様子。きっと久し振りに南部に住む母親の所にでも帰るのだろう。

 

<マイアミ空港>

 着陸前に見えたマイアミの夜景は美しく、都市の道路は碁盤目状に何処までも広がっていた。「きっと心を癒すために一人で訪れるには最適かな」などとロマンチィクなセンチメンタル・ジャーニー気分に浸りたくさせる夜景だった。現地時間で夜の8時頃到着。

 夜ともなると、大きなマイアミ空港であても流石に人もまばら。出発ゲートがチケットにかかれていた番号と違っていたため、我々は長蛇の列をなしてタ-ミナル内をほぼ3分の2周歩いた。広い通路の両側に展示してあった現地の高校生が作った石膏のオブジェは目を楽しませてくれた。

 お店もハンバーガーショップも閉まってしまい、我々は次のフライトまで3時間近くを、出発カウンター前の椅子に座って過ごさざるをえなかった。この時、大学院生の豊田君といろんなことを話した。チャンちゃんが大学生であったころ読んだ、ジャーナリスト作家・落合信彦や、広瀬隆の本の内容のこと、そして田中角栄やケネディーやリンカーンなどのことを彼と興味深く語った。

 機内持込の鞄に入れておいた本は読んでしまったため、ブラジルまでの機内での退屈を思い、彼に本を借りようとしたが、彼が持っていた本は『たちばな教養文庫』ばっかり。これじゃぁ殆ど睡眠薬。それでもやむを得ず「武士道」の本を借りた。これを以前に読んだのは、三島由紀夫に触発されて読んだ15年も前のことか。

 現地時間の夜10時にマイアミを離陸。さすがにこの飛行機に乗る客はやや褐色の肌色をしたラテン系の人々が目立つ。無理もない、アイアミは北米から南米への最大拠点なのである。

 隣に座った一人の日本人男性は、長期有給休暇を取って南米を一人歩きしに来たそうである。成田~サンパウロの片道航空券は11万円だったと言っていた。我々は総額45万円を払っているから、彼の航空運賃を往復分で差し引くと23万円になる、これが4泊分の現地滞在費だから、明らかに旅行会社はボッている。

 成田から別のコース経由でマイアミまで来た別のグループの人々と機内で乗り合わせた。ペガサスのスタッフの話によると100名の募集に対して、参加者は220名だったそうである。ブラジルへ直行で行ったのは名古屋発の便のみ。他はいずれも、フロリダのマイアミかテキサスのダラスを経由しての便だという。

 

☆★☆ 8月9日 ☆★☆

<サンパウロ空港>

 9時間の飛行の後、ブラジル・サンパウロ空港に到着。現地時間で8月9日の朝8時。成田からサンパウロまでの正味飛行時間はジャスト24時間。乗り継ぎに5時間を要したため合計29時間である。マイアミとの時差は1時間。日本との時差は12時間。当に昼夜真反対。地理的にも真反対。なのに何故か時差ボケはまったくない。絶好調というべきか。

 サンパウロは朝霧に包まれていた。国際空港だというのに入国審査のカウンターが異常に少ない。5つくらいしかなかった。だから全員が通過するのにかれこれ1時間半近くもかかった。成田を我々よりも1時間近く遅い便で出発したグループが我々より先に出て行った。つまり成田~シカゴ~マイアミ~サンパウロという我々のたどったコースは最長だったようである。

 この地で人々が語る言葉はポルトガル語。聞いていても全然分からない。つまらない。仕方が無い。

 空港でUS$をブラジルの通貨レアルに交換する。ブラジルの貨幣価値に信頼性がないためか、240$以上はレアルに交換できない。そこで100$を残して230$を交換してほぼ400レアルを手にした。円に換算すると1レアルはほぼ70円である。

 空港の到着ゲートを出たところで集合した時、いきなり要注意文書が配られた。ブラジルで少年院を脱走した少年たちが射殺事件を起し何十人もの人々を殺したという昨日の新聞記事や、深見先生に起こった最近の出来事などが書かれた文書である。

 この後、さらにスタッフから口頭で注意事項が語られていたが、チャンちゃんは全く意に介せず先ほど通りがけに見かけたケーキショップにショートケーキを買に行った。値段はいずれも一つ3レアル(210円)程度。日本で買うのとほぼ同じ値段だから、ブラジルの貨幣価値を考えると空港の価格はかなり高いことになる。一つはジャンボ餃子のような形をしたピザパン。他の二つはショートケーキで、1つは何だか分からないものが乗っており、もう一つは死にそうにただ甘いだけの代物。食べながら帰ってきてもまだ注意事項を話していたので、チャンちゃんは外に出て景色を眺めながらケーキを食べつづけた。飲み物が無かったので、甘いやつにはかなり応えた。

 

<サンパウロ郊外の風景>

バスが出て周辺の風景を見るが、山らしいものは見えない。ほとんで平地でノッペリした丘のようなものがあるだけ。

 空港からホテルまでのバスの中で現地の日系人ガイドさんの話を聞く。「サンパウロ市内を流れる水路幅15m程度しかない汚いこの川は、海へは流れず内陸に向い、有名なイグアスの滝を流れ落ち、やがてラプラタ川となってアルゼンチンに入り、それから海に流れ出す」そうである。また、この時聞いたブラジルの一般的な貨幣価値が、後々の行動に大いに役立った。

 みんな神業に来ているという自覚があるせいか、妙に真面目でカメラを出している人は全くいない。チャンちゃんは一番後ろの座席で、カメラを出して観光客そのものに成りきっていた。

 

<サンパウロ・ヒルトン・ホテル>

 11時頃、サンパウロ・ヒルトン・ホテルに着く。部屋割りが発表された。同室は長崎県諌早市に住む盲学校の先生で森崎三郎さんという。生年月日はたったの一日違い。マンガに出てくる正に牛乳ビンの底眼鏡である。ユニーク。超ユニーク。

 ホテルからの外出は不可。昼食もホテルで、という禁足令が出た。「冗談じゃない、やりたいこともやらずに心伸びやかでいられなかったら、祈るべき時にだって祈れやしないよ」と心の中。ほぼ全員この禁足令を守ったと思われるが、チャンちゃんと同室の相棒は、規則とかいうものに対する自覚というものがてんで無い。シャワーを終えて直後、ホテルの裏口から脱走。

 

<サンパウロ市内>

 市内はカラフルなバスが多い。同じ模様のバスはほとんど見かけなかった。路線バスは架線から動力を取り込むいわゆるトロリーバスである。日本車は殆ど見かけなかった。

 古い建物が並ぶ町並みはやはりヨーロッパ的な情景。近代的なビルも多いが、あえて昔の風情を保つ外観に仕上げているビルも多い。鉄道の駅舎は映画で見るヨーロッパの駅舎と同じ。

 何と言っても一番面白いのが、黄色い大きな花のような形をしたもの。これが街中にある。公衆電話である。

 人種は雑多。肌の色を多い順に書けば、褐色、黒色、白色、黄色か。インディオ系の顔つきは多いが、アジア系の顔つきはあまり見かけなかった。

 他に仕事が無いからなのだろう、前後に文字が書かれた黄色い広告を身に付け、通りの真中に座っているおじさん達が何人もいた。

 小さなスーパーで買い物をした。早くもホテルで食べるオヤツの買出しである。言葉はポルトガル語で数字すら分からないが、バーコード・レジなので困ることはない。

 禁足令を守った🏇🦌真面目な神業人たちは2500円も出してホテルの昼食を取ったそうであるが、我々は市内のレストランで8レアル(550円程度)で現地の昼食を食べた。注文したのはベジタブル・セットであるが、その中身はマッシュルームのハヤシライスのようなもので沢山のフライド・ポテトがついていた。お米は細長かった。

 ホテルに戻ってから、翌朝10時の神業出発までは、お祈りしかすることがないので、そうするつもりであったが、どうやら夜8時頃から翌朝の7時まで11時間近く寝てしまったようである。

 

《2/4》