タイトルに惹かれて読んでみたけれど、あんまりパッとしない。2013年11月初版。
【千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)】
奈良 お寺になくて神社にあるものは何かというと、屋根の上にバッテンになっている千木です。千木が外のところを切ってあるものを外削ぎといいます。千木が外削ぎの神社は男性の神様を祀っている。平らになっているものを内削ぎといい、内削ぎの場合は女性の神様を祀っている。千木と千木の間にころころとした鰹木があります。鰹木が奇数の神社は男性の神様、偶数の神社は女性の神様を祀っています。(p.21)
岡山県にある、吉備津彦神社、吉備津神社のいずれも、「千木は外削ぎで、鰹木は2本」なんですけど・・・。
【古神道のルーツは縄文】
奈良 古神道の定義ははっきりしておりません。一般的には、外来の宗教が入ってくる以前の信仰が古神道と言われています。外来の宗教というと、仏教、儒教、道教です。仏教は6世紀前半と分かっていますが、儒教、道教は分からない。でも、2~3世紀の卑弥呼の記述で、「鬼道をもって衆を惑わす」、あれは明らかに原始道教です。ですから、もう2~3世紀には道教は何らかの形で日本に伝わってきていたと思います。
そういう外来の宗教が入ってくる以前だとすると、弥生時代の終わりことだと思います。僕は、稲作文化と一緒に発生して日本の原初神道以前の、この原初神道につながる日本人の精神性を育んだ縄文の信仰形態が、古神道だと思っております。・・・(中略)・・・。「縄文時代にこそ古神道の源流がある」です。
エハン 国学院大学で長らく勉強されましたが、学術的に神道の源についてどのように説明を受けるのですか。
奈良 学問的には「古事記」や「日本書紀」の神話が起点です。(p.57-58)
分かり切った定番・定説が書かれていたので、ご丁寧に書き出しておいた。
【明治になり、呪術的な部分が一切消されてしまった】
奈良 明治になり、本来、神道が持っていた呪術的な部分が一切消されてしまった。何百年もかけて編み出された貴重な修法や呪法が消されてしまった状況で、現在まで百何十年か来ているわけです。どうなったかというと、その間に明治政府がすすめた神社合祀もあり、神様のご神徳、おかげはどこへ行っても同じになり、薄まってしまった。(p.68)
どこの神社に行っても、交通安全とか安産のお守りはあるけれど、「この神社にしかないもの、ありますか?」と聞いても、たいていはない。日本中の神社から個性がなくなっている。
奈良 今の神社では、初詣と七五三くらいしかできないだろう。幽霊退治一つできない。明治までは物の怪や亡霊なども退治していたわけです。今の神職は霊学を学ばず、霊的なことを認めようとしないから、幽霊退治も、物の怪退治もできない。「ぼくはできるよ。その勉強しているから」と言うと、他の神職はみな下を向いてしまう。(p.76-77)
であるなら、日本中の多くの神社に祀られているのは、『古事記』や『日本書紀』に登場する神話時代以降の人々であるはずなのだから、そのような歴史に興味がなく深いかかわりを感じていない日本人が、神社参拝しなくなっているというのも必然的な事だろう。確かな文献に基づく由緒書きがあったとしても、個々に何か実感できるものがないと、やはり衰退する。
それに、若者たちの意識は、既に有形なものから無形のものへと遷移しつつある。肉体を駆使して賑やかに催行される神社のお祭りも、それほど流行らなくなるのでは。
【鎮魂鬼神】
奈良 仏教界の千日回峰行に相当するような、知識なり能力を得るのは何かといったら、鎮魂帰神以外にない。要するに、神降ろしです。
神社本庁では、神様は既に神社に鎮座しているのだから、新たにお呼びする必要はないということで、鎮魂帰神は禁じていますが、これは建前です。昭和天皇は埼玉の大手神社で神降ろしをやっています。その資料を見たことがあります。そのとき立ちあったそうそうたるメンバーの、二十数人がサニワ役でした。鎮魂帰神で一番大事なのはサニワですからね。(p.85)
何年か後に王仁三郎はここで鎮魂帰神法を学び、それを教団の中心的な行法にして布教のための神降ろしにするわけです。鎮魂帰神によって大本教は信者を増やしていった。
しかし、それは結局うまくいかなかった。なぜかというと、お手軽に鎮魂帰神を扱ってしまい、施術者の力不足で憑かってきた神霊の正邪の見きわめができなかったり、振りまわされたりして、精神障害を起こす人も出てくるわけです。(p.185)
鎮魂法帰神術に関しては、下記リンク著作に、その詳細とポイントは全て記述されている。
【基礎的な審神の法】
【礼儀作法の世界】
エハン 僕のちっぽけな経験にすぎませんが、礼儀作法の世界に紹介されたのは、京都御所です。僕は御所をリタイアした警察官の家へ行って、書道を教えてもらったのです。その先生は、実は弓道家でした。・・・(中略)・・・。
最初に、「日本の社会が知りたかったら一番早い方法は弓道だ」と言われた。礼儀作法の中心が分かれば日本のことが分かるのです。・・・(中略)・・・。弓道は、礼儀作法を正しくすれば勝手に当たるのです。当てようとしなくてもかってに当たるというメカニズムが分かりましたので、礼儀作法がいかに大切かということを最初から学ばせていただいたわけです。(p.115)
《参照》 『宇宙一切を救うアセンション・サイエンス』榎本孝明&エハン・デラヴィ(徳間書店)
【エハン・デラヴィさんの来日理由】
パリ・オリンピックの柔道解説者として、かつて金メダルを取り「野獣」と称された女性柔道家が出ていたけれど、この「野獣」は、金メダルを取った次のオリンピックでは、開始僅か10秒で一本負けをしていた。この間抜けな試合は、とてもよく覚えている。「礼に始まり、礼に終わる」と言われる日本武道であるにもかかわらず、この「野獣」は、試合開始の立礼を全くしていなかったのである。日本武道の精神性など、これっぽっちもない「完璧なる野獣」。こんな🐴🦌をいまだに柔道解説者として使っているテレビ局も、日本文化を徹底的に解さぬ🐴🦌テレビ局なのだろう。
日本の国技ともいえるすべての武道には、「始めと終わりの礼を正しくしなかった場合は、反則負けとする」というルールを定めてもいいのではないかとすら思っている。しかし、基本中の基本をわざわざルール化すると、本質を問うことなくルールを守ること自体を目的にする公務員のような知的能力のない🐴🦌どもが増え、かえって精神性や霊性が伝わらなくなってゆくだろうけれど、礼法指導もできない「野獣指導者」ばかりになってゆくのなら、いっそのこと、日本武道など全てなくなってしまっても全くかまわない。
《参照》 『38億年の叡智とつながる・未来を開く5秒の習慣』レノンリー(kindle)
【「礼(零・靈・禮)法」とは】
【侍の礼法】
【見えることで判断を誤る】
奈良 先生は霊界が見えるわけです。私が先生に言われたことは、「向こうの世界を見るための修業はある。でも、それをするな。見えることで判断を誤る。見えなければ神に祈る。神に誓いを聞いてもらうために真剣に祈る。この真剣に祈る心を大切にしなさい」というのです。(p.154)
《参照》 『リトリーバル 過去世の救出』大槻優子(ハート出版)
【クリアに見えることと情報の質は無関係】
《参照》 『神界からの神通力』深見東州(たちばな出版)《後編》
【霊能者であれば誰でも出来るわけではない】
【古代人と現在人の、言葉の軽重】
奈良 古代においては、言葉の「こと」というのは事柄の「事」と同一の概念を指示していました。言葉の神様は事代主です。しかし、『古事記』や『日本書紀』では「事代」を「言代」と言い換えている場合もあって、「事」と「言」は昔は一緒だった。言葉に出して発することは、事柄としてあらわれることだ、自分の意思がはっきりした時に限って言葉にしなさいということです。古代の人たちは、ぐちゃぐちゃしゃべらずに、よしやるぞと決意したときに発する言葉が言霊として生きるという考え方だったのです。その言霊の概念は引き継いでいるのですが、古代と違って、軽いものになってしまっていますね。(p.192-193)
まったく。
【『竹内文書』を擁護した岡田茂吉】
救世教の岡田茂吉は、『竹内文書』を擁護しています。“神武天皇のときに古い文献はほとんど焼けてしまったけれど、一人の家来が一部を持って逃げて、地下深く埋めて隠した。それが今になって出されたんだと竹内巨磨は言っています。竹内家はいろんな宝物を持っていたのですが、三種の神器を持っていて本物を持っているのは竹内家です”と岡田茂吉は言っているわけです。大教団の教祖がそう言えば、尾ひれがついてひろがっていく。岡田茂吉が支持したことで、風向きが変わるわけです。救世教から分派した孫教団の崇教真光が位山に行ったのにもつながりますね。(p.211)
『竹内文書』といえば、位山を中心とした飛騨山系が重要な山々になっている。位山には、縄文のエネルギーを繋いでいる重要な巨石群が、今もそのまま残っている。
《参照》 『神々の聖地』 山田雅晴 (たま出版)
【富士山―御嶽山―位山―白山】
【ニギハヤヒが天降った所】
奈良 神武以前から大和にいたニギハヤヒノカミは、どういう経緯で日本に来たのか。この伝承は2つあって、1つは秋田の唐松神社に伝えられている『物部文書』です。『物部文書』によると、ニギハヤヒは鳥海山に天降ってきた。もう一つは、天磐船に乗って現在は大阪の河内国に天降ったという説です。(p.212)
秋田の唐松神社という記述に、意識がなびいたので書き出しておいたのだけれど、下記リンクにも、ニギハヤヒが天磐船から降臨したという、新潟の石舟神社(石船神社)のことが書かれている。
《参照》 『禁断の日本超古代史』 宗川日法 (グリーンアローブックス)
【荒覇吐・その呼称が意味するもの】
『火怨』の中では、蝦夷と協調関係にある物部として記述されていた。秋田・山形を中心に日本海航路を抑えることで経済的繁栄を築いていたであろう物部。そして、岩手を中心に山間部を抑えていた蝦夷。
【蝦夷―物部―朝廷】
【丹内山神社での占い】
朝廷の支配が及ばない裏日本と東日本に多く残っていた、縄文寄りのニギハヤヒ、セオリツヒメ、物部、蝦夷等に関しては、今後、宇宙情報をダウンロードできる巫女的資質のある在野の女性の皆さんたちによって、いろんな情報が提供されるようになってゆくことだろう。
<了>
エハン・デラヴィ著の読書記録
