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 いろいろな資料を調べて書かれているのは分かるけれど、データの羅列が多くて読み物としてはちょっと辟易する。それでも、多様な日本人の名前に関する由来に関しては勉強になる。

 

 

【好字】
 好字というのは。それまでの万葉仮名であらわしていた地名を、漢字二字の体裁と縁起の良い名に整理するということで、中国の瑞祥思想の影響である。同じことが 『延喜式』 にも ・・・(中略)・・・ あって、要するに各地の地名表記を官命によって嘉名・好字2字に改めさせたのである。 ・・・(中略)・・・ すでに6世紀からこのような二字化が行われていた形跡もあり、大化の改新はそれを一層推し進めたのである。(p.24)
 明日香 → 飛鳥、 泉 → 和泉、 中 → 那賀 といった例が記述されている。
 時代を判別するのに役立つ。
 飛鳥をアスカ、春日をカスガ、日下をクサカと読む例を義訓というそうである。

 

 

【氏姓制度】
 古代の氏姓のはじまりは、大和朝廷の成り立ちと深く関わっている。朝廷に帰属した豪族が一定の官職を分担し、世襲するようになると、朝廷からそれを示す氏と姓が与えられるようになったのである。
  ・・・(中略)・・・ 。
 このように、自ら氏姓制度を超越する地位にあったことが、天皇が氏姓をもっていない理由である。(p.27)

 

 

【排行名】
 数詞の入った名前は排行(輩行)名といって、兄弟の間における長幼の序、つまり嫡庶の順を表わしている。
  ・・・(中略)・・・ 
 一般的には、長男を太郎、次男を次郎、以下三郎、 ・・・(中略)・・・ 十郎と続け、それ以上になると余一、余一郎、余次郎と名づけるのが原則だった。(p.34)
 だったら、21人目はどうなるのか? などと思ってしまうが書かれていない。余々一とか・・・。
 桃太郎も金太郎も太郎がつくから長男ということで、これも排行名に分類されるらしい。

 

 

【辟邪名】
 辟邪名は実名を隠すという考え方と深いかかわりがある。中国では幼名に臍、犬、黒子などの名を用い、朝鮮半島でも犬の糞、驢馬、石などの、卑小な名をつけた。そうすることによって、鬼神を欺くのである。(p.35)
 聖徳太子の 「厩戸皇子」 もこれであり、紀貫之には 「阿古久曽(あこくそ)」 という汚い幼名がつけられていたという。
 だったら、現代で 「悪魔」 と届け出して役所に拒否された事例があったけれど、「辟邪名ですから」 と文化に則した理屈を言ったら通ったのだろうか? その後の結果は知らなかったけれど、音を当て 「阿・区・馬」 を2字にして 「阿駆」 で申請したら役所は認可したという。しかし、結局、夫婦は離婚し、奥さんが再度改名したとある。
 幼名につけられることの多い 「丸」 も、本来は便器の 「まる」 からでたもので、典型的な辟邪名であり、人格円満の意味も兼ねるという。ここから転じて 「麿」 「麻呂」 が生まれた。(p.35)
 牛若丸などの 「○○丸」 は、武士の幼名などに用いられる印象があるから、鎌倉以降の武家政権時代と思う。一方、阿倍仲麻呂など、鎌倉以前の奈良時代・平安時代の名前という印象が強いから、「丸」 が転じて 「麻呂」 が生まれたという記述には少々解せないところがある。

 

 

【諱・忌み名】
 実名を敬って 「諱(いみな)」 と称する習慣がある。これを忌み名と訓じて、直接呼ばないようにするのである。もともと中国における本来の用法では、亡くなった君父の実名を呼ぶことを忌避するという意味であったが、日本では生前から忌避するものとして用いられた(死後の諡(オクリナ)とはことなる)。(p.39)

 

 

【百官名】
 最も通称として利用されたのが、官名である。「百官名」 というが、実数はとても百ではきかない。(p.40)
 中務省の大輔、式部省の式部、大蔵省の織部、宮内省の主水(もんど)、衛門府の衛門・左衛門・右衛門、兵衛府の兵衛・左兵衛・右兵衛等は歴史書の中で比較的よく目にする。
 江戸期の農民が百官名を好んだということはいえる。これは武士階級の影響であることは当然だが、社会心理的にいえば、名字を奪われた農民が、せめて名前だけでも重量感のあるものを求める内に習俗化したということがいえよう。
 しかし、その百官名も 「右衛門」 や 「兵衛」 のつくものに限定されていた。(p.53)
 戦国時代の事を考えれば、農民は農閑期に兵士とならねばならなかったのだから、その必要性から兵衛府の名前が付与されたのであろう。そもそも多くの農民がおしなべて戦を好むわけなどないのである。農民が重量感のある名前を欲したという社会心理的な説明は、私には理解しがたい。

 

 

【多様な日本人の名前】
 日本人の名前には、排行名とか辟邪名とか諱とか官職名(百官名)とかがあり、さらに知識人等は生涯の節目に当たって覚悟を新たにするために名前を変えることを普通に行っていたから、明治維新の頃までの日本の歴史上の人物に関する文献を読むときには、先んじて心得ておかないと分からなくなってしまうことがある。
 適塾の緒方洪庵(1810~63)なんて生まれてから7つめの名前であるし、曲亭馬琴(1767~1848)などは全部で34の名前を用いていたという。
 柳田國男は 「名字の話」 その他の論考において日本人の名字の数を八万ないし十万と推定し、 ・・・(中略)・・・ 名字の起源が地名と官職名によるものが多く、明治になってからは庶民の戸籍整備によって名字の数が増えたと指摘している。(p.88)

 

 

【名前の階級性】
 もともと 「子」 が平安時代の貴族にはじまり、各時代に継承されてきたとすれば、それは上流階級の成員であることの証明にほかならない。(p.125)
 小泉八雲は 「日本の女性の名」 というエッセイのなかで、「子」 という名付けに潜む上下意識、差別感情に気付いて指摘していたという。
 現在の30代以上の女性には 「子」 が多いかもしれないけれど、若年層にはかなり少なくなっている。古い時代のイメージでとらえられているのだろうけれど、一億総中流が実現していた時代は、上流成員に帰属する可能性を秘めた民族的集合無意識が働いていたのかもしれない。現在の露骨な格差社会に移行してゆく過程で、そんな民族的無意識は既に ”ありえな~~い” ってことを知ってもいるのだろうか。

 

 

【感字】
 “感字” と揶揄的に呼ばれるこの種の現象は、起源をたどれば劇画やアニメに行き付くであろう。(p.143)
 最近の子どもたちの名前は、ほとんど音を優先してそれに漢字当てはめた “感字” が主流である。江戸時代の修身徳目的な名前は素通りし、平安貴族時代の 「子」 をさらに遡って、言霊をダイレクトに感受していた古代日本に回帰しているのかもしれない。
 しかし、 “漢字” のルーツは “神字” である。 “感字” 世代の親たちは、真の言霊を意識的に活用しているとは言いがたい。

 

 

【改名】
 p.152 以降に、改名に関する事例がいろいろ書かれているけれど、非常に奇妙な名前があることを知って、ビックリするやら失笑するやらである。
 先年ある地方の家裁に、ごく平凡な女児名を変えたいという夫婦からの申し立てがあった。夫がしおれかえっているので事情を聞けば、女児に浮気相手の名をつけたことがバレて、離婚一歩手前の状況になっているとのこと。(p.158)
 家裁は改名を許可したそうである。
 しかし、一般的には相応の理由と認知されない場合には、認められないという。つまり生命鑑定で云々というような理由では公的名称の変更はできないということらしい。
 以下は、改名が認められた珍名の実例。
 関西人のおっさんが、お酒に酔った状態の思いつきで届け出てしまったとしか思えないような爆笑シリーズである。ひとしきり笑える。
男性 ・・・ 田舎、牛吉、牛五楼、運助、岡茂樹、案山子、一江、喜代美、シキマ、〆男、と志ゆき、春枝、ヒモ、又金、△□一(みよいち)
女性 ・・・ ウカツ、ウン子、おじやう、オワリ、カマル、カニ、カメ、ゲンツル、サン子、ジャウドル、セミ、谷ツル、デコ、トンメ、フケグサ、ポン、政グリ、メキリ、メチャ、まんこ、メガ、めんだ、もうし、ヲメシ。(p.154)
 正確に書き出した。書き間違えてはいない。
 
 
<了>

 

 

   《名前に関する参照》   『紙はよみがえる』  岡田英三郎 (雄山閣)

                       【昔の人の名前】