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 紀子様に男児が生まれるまで、男系か女系かといった天皇継承問題が専門家の間で論議されていたけれど、この本は、より広い視野というか、古い歴史に遡って天皇制を考察している。2006年9月初版。
 下記の著作の中で、日下さんが本書に言及していたのが、ズ~~~っと頭に残っていて、今頃になって読んで見た。
    《参照》   『お金の正体』 日下公人 (KKベストセラーズ)
              【働く動機】

 

【ヒメ・ヒコ制】
 天皇制そのものは、現在学問的には天智、天武もしくは持統の各天皇のころにつくられた、とかんがえられている。いまから約千三百年前のことだ。
 だがそれ以前にも天皇制につながる古いシステムがあった。たとえば「前天皇制」とでもいうべきものである。女性史学者の高群逸枝らはそれを「ヒメ・ヒコ制」とよぶ。ヒメ・ヒコは「日女」「日子」などといわれ、太陽のような超自然力を持った巫女王と男王を意味する。その二人の王の共同統治だ。三世紀の日本の状況をしるした中国の史書の『魏志倭人伝』にも「卑弥呼の男弟」などとして記述されている。
 この日本のヒメ・ヒコ制が中国ではよほどめずらしかったのだろう。隋の文帝が日本の使者に倭国王の様子をたずねたとき使者が「夜明け前に天である兄(え)が政をおこない、夜が明けると太陽である弟(おと)が政治をみる」とこたえて文帝をおおいにおどろかせた、という話が『隋書倭国伝』にある。
 ここでエ・オトは男女ともにさすから、とうじの巫女王である「推古女帝」が夜明け前に天変地異がおこらないよう天地自然の神々に祈り、夜が明けると男王である甥の聖徳太子が現実の政治をおこなったものだろう。ヒメ・ヒコ政である。 (p.17-18)
 このようなヒメ・ヒコ制を模したあり方は、日本の中小企業や、組織内でも多く使われているだろう。

 

 

【ヒメ・ヒコ制の前】
 天皇という字はもとスメラミコトとよんだが、国文学者の折口信夫はそれを「高貴なるミコトモチ」すなわち「巫女王」と解している。(p.18)
 「ミコトモチ」を「命持ち」と解釈してしまうと、「使命(役割)を持った者」くらいの一般的な意味に理解してしまうけれど、天皇に対して「高貴なるミコトモチ」という場合、「高貴なる巫女王」ということになる。
 これに対して男王のヒコは、はじめのうちせいぜいヒメの補佐役かヒメを守る「防衛隊長」に過ぎなかっただろう。わたしがおおくの書物に書いたことだが、古代日本の戦争のかなりのものが「人民の信頼のあつい巫女王のとりあい」だったからだ。(『都市と日本人 ―― カミサマを旅する』P41)。人民の手によって大和の箸墓にほうむられた巫女王の倭迹迹日百襲姫命にたいして、その遠い甥といわれる第十代崇神大王もそうだった、とおもわれる。
 そういうわけでヒメ・ヒコ制以前にはヒメ、さらには巫女だけが存在しただろう。
 なぜ巫女か、というとき、さきにのべた日本の国土や気象のダイナミックな動きをこの国の女性がよく予見したからだ。(p.18-19)
 ヒメの役割、ヒメ・ヒコ制のメリットは、下記リンクに簡略に記述されている。
    《参照》   『人類が生まれた秘密をあかす』 深見東州  たちばな出版
              【お姫様】

 

 

【「万世一系」の天皇制の中身】
 天皇位の継承に「男系原理」が導入されたけれど、それは天皇の血統が男系になった間だけで、ヨーロッパの王室のようにそこに父系家族が出現したわけではない。それは天皇に姓がないことをみてもわかる。姓がない理由はほかにもあるが、ひとつはこのように「天皇家」という縦につながる家がないからである。なぜか? 天皇には家族がいないからだ。
 たしかに昔から后はたくさんいた。だがみんな居所、あるいは寝所を異にした。
 宮中にあってもこどもができると、后たちはみな実家に帰ってしまった。だから天皇のそばにはこどもはひとりもいない。・・・中略・・・。すると天皇は形式はともかく、実質的にはずっと「独身」だった、といえる。
 こうして歴代の「独身」天皇が、豪族たちの母系家族にツマドイをくりかえしてきたのが「天皇家の歴史」である。そうして男系の血統だけがつながっていった。それが「万世一系」の天皇制の中身である。(p.31)
 ツマドイの例として、オシホミミがツマドイして生まれたホノニニギが相続している例が挙げられている。
 するとホノニニギはアマテラスの氏族の子ではなくタカギノカミの氏族の子である。いわば他氏族の子をアマテラスの、そしてオシホミミの後継者にする、ということがおこなわれたのだ。(p.138)
 豪族たちの家族にツマドイするのであるなら対象範囲はいくらでもあるけれど、現在のように宮家だけを対象にしたツマドイであるなら絶える可能性がある。
 後の天皇の後継者とされる悠仁様も、万全とは言えない問題があるらしい。だから女性天皇や女系天皇の問題が消えたわけではない。

 

 

【天皇の継承に関して】
 女系が生ずることに反対する理由として「女性天皇の配偶者による新王朝ができるではないか」という危惧がある。(p.32)
 現実世界において、女系天皇や女性天皇が問題になるのは、何と言っても下記リンクにある「天皇マネー」の支配権に関わることらしいけれど、
    《参照》   『古代日本人とユダヤの真実』 中丸薫 (KKベストセラーズ)
              【外国王室からの婿入りのアプローチ】

 このマネー問題は視野に入れることなく、著者は、日本は、母系社会がなくなってからも、父系社会というより双系社会的であるから危惧はないと言っている。

 

 

【肝心要なのは「天皇霊」】
 何系であれ、肝心要なのは、以下の記述にある「天皇霊」である。
 日本社会のリーダーにとっていちばん大切なものはマナ、すなわち古代の巫女の伝統をうけつぐ「超自然力」である。豪族たちはそういう超自然力を天皇候補者の中に見出したのだった。
 のちその超自然力が儀式化されて「天皇霊」になり「その授受によって新しい天皇がうまれる」とされた。
 といっても、その儀式は形式的なものではない。(p.32-33)
   《参照》  『天皇とユダヤとキリストそしてプレアデス・メシアメジャー』 赤塚・小川・村中 《後編》 
              【霊的接触】
 結局、日本文化としての天皇は「女性原理の巫女制」「男性原理のヒメ・ヒコ制」「男性原理の天皇制」についで「双系原理の天皇制」という第4の局面にはいった、とかんがえていいのではないか。(p.34)

 

 

【天つ日継】
 天照の血統をうけつぐ者を「天つ日継」という。
 アマツヒツギというわけは、在地豪族の族長たちの竈の火をあつめた「豊(とよ)の明かり」の番人だからである。「トヨノアカリの火を代々うけつぐ人」それがアマツヒツギだ。つまりアマツヒツギは豪族連合のいわば「扇子の要」なのである。
 その「火継ぎ」は沖縄の縄文時代の母たちの「不知火」につうじる。その「火継ぎ」が「日継ぎ」となる。つまり太陽神である「アマテラス」の血筋をひきつぐのだ。(p.140-141)
 「血継ぎ」では、特定の氏族社会だけで固まってしまい、まわりの多くの協力者を得られない。だからこそ「日継ぎ」によって継承されてきた。

 

 

【大和盆地に関する、神話の暗喩解釈】
 今日、奈良盆地の水をあつめた大和川は、西流して奈良県と大阪府の府県境にある信貴山と二上山のあいだの峡谷を大阪方面へと向かう。地元にはその峡谷の亀瀬岩あたりに「大昔、大滝があった」という伝承がある。
 もしそこに大滝があってその滝の岩石をかきとれば、大和盆地に古くからあったといわれる「大和湖」の水位は、岩石をかきとった分だけ一挙に下がったことだろう。風呂の底の栓を抜くようなものだ。
 この神話から想像されることは「人民が岩石をとりのぞいたら、湖が消えたあとに沃野があらわれた」ということである。「ホトを突いて死んだ」ということも「亀瀬峡谷を開削したら大和湖がなくなった」ということの暗喩とみることができる。大和の小河川を小ヒベに、大和湖をモモソヒメにたとえた神話と考えられるからだ。
 そこで人民がモモソヒメのために巨大な墓をつくった。今日の「箸墓」である。ということは、この事業においてモモソヒメが大きな役割を果たしたのだろう。(p.150)
 モモソヒメの託宣に従ったところ、沃野が現れ、人民は感謝して箸墓をつくったということになるけれど、であるなら、モモソヒメは平安遷都まで見越した御託宣を受け取っていたのだろう。
    《参照》   『大和の海原』  樋口清之 千曲秀版社
               【大和の海原】

 

 

【ミカドの統治方法】
 かんがえてみると「王が命令を発して詞華集をつくる」つまり「美しい詩のアンソロジーをつくる」などということは、世界各国の王を見回してもほとんど例がない。世界の王たちの仕事は、城壁を高くし、武器を蓄え、糧食を備えて人民を守ることだからである。
 ところが日本のミカドはそういうことをせず、かわりに美しい詩のアンソロジーをつくった。いったいこれはどういうことなのか?
 冒頭で述べたように、これはこの国の国土や風土と深くかかわっている。(p.204)
 島国であること。
 そして、
 地殻変動の激しいプレート上に乗った国なので、天変地異の直撃を受けやすい国土であること。
 自然のダイナミズムを前にして、人智は殆ど無力である。(p.205)
 人対人なら軍事力云々もいえるけれど、自然が相手では、詩のアンソロジーしかない、という開き直り?
 まあ、著者さんは「言霊」とい表現を使っていないのだけれど、「詩のアンソロジー」とは「言霊」のことである。下記リンクの明治天皇の御製にあるように、真澄の人が発する言霊は天地を動かし得るほどのものなのである。
    《参照》   日本文化講座 ⑤ 【 言霊・天皇 】
               【言霊(ことだま)】

 

 

【日本文化の特殊性:長幼愛】
「長幼愛」ということばはなじみがないが、わかりやすくいうと「先輩をうやまい後輩をかわいがる」ことだ。(p.226)
 じっさい相撲の世界の上下関係ははっきりしている。番付が一枚ちがったら、給料にせよマスコミの取り扱い方にせよ天と地ほどの違いがある。それは外国人力士には非常に良く分かる。
 ところがそれは表むきの世界であって内輪の世界になると、たとえば部屋のなかでは先輩後輩の序列が厳然として番付の上位にいるわかい力士でも、番付の下位の先輩に対して敬語を使う。風呂場では背中を流したりする。こういうことは世界中ではほとんどみかけない。特殊日本文化である。
外国人力士たちははじめそれにとまどうが、しかしなれてくると「これはすばらしい制度だ」という。・・・中略・・・。
私はここに、日本の競争社会におけるひとつのセーフティ・ネットをみる。・・・中略・・・。
競争社会のよい面は社会の進歩をうながすことだが、わるい面は敗者を悲惨にすることである。それを「長幼愛」がすくうのだ。 (p.227-228)
 そこで「長幼愛」を天皇家においても率先遂行するのである。(p.229)
 故に、著者は、紀子様の男児がどうであれ、仮に雅子様に実弟が生まれても愛子様が天皇になる、というあり方を語っている。
 これは、『一万年の天皇』というタイトル著作の主旨に則して、第4の局面の「双系原理の天皇制」の在り方として、「ミコトモチ」としての女性天皇でいいじゃないですか、という主張である。
 人類がシフトしてしまえば、天皇霊の認識に関して説明の用はなくなるけれど、シフトしない限りは、裾野を広げることなく論議したところで、現在の狭められた宮家だけで男子男系のみを維持しようとしても、畢竟するに無理が生ずるのである。

 

<了>