《中編》 より

 

 

【過去・現在・未来と三貴神】
「隣り合っている細胞があるから、過去と現在と未来が、同時にこの場に存在する。それが真実なんじゃないかって私は思ってるの」
「まさしく。その通り、天照大神とスサノオ(すさのち)と月読尊(つくよみのみこと)。『今照らすと、すさのちと、先読み』」ベスが日本の神話に照らして言った。
 ギリシャ神話でもどこの国の神話でも、同様の発想があるらしいが、それは、過去と現在と未来が、同時にこの場所に存在することを、示唆していた。
「どうして、私たちの世界の精神世界の本をこんなに難しく書くのかなあ? 何故、子どもに説明するように書かないのかなあ? ただ私たちは、豚の体にいて、しっぽにいるのか、鼻の先にいるのかの二者択一のどちらかっていう、そのくらいの違いしかないのに」私が嘆いた。
「アロムがね、『あまりに簡単過ぎると、逆に、疑う』って言ってるわ」
「ああ、高い買い物が、一番正しいと思っているみたいなことね」 (p.212-213)
 日本神話は、ひとり神⇒ふたり神(ペア)⇒三貴神(アマテラス、スサノウ、ツクヨミ)の順番に展開しているけれど、チャンちゃんは、これを「一は二を生じ、二は三を生じ、三は全てを生ず」という老子の言葉に当てはめて考えてみたことがあった。つまり、「一次元から二次元へ、二次元から三次元へ」という空間的次元進化という意味合いで。
 しかし、この本にあるように、三貴神が現在・過去・未来という「時」をも意味するものであるなら、単なる三次元空間ではなく四次元時空間を意味することになる。であれば、老子の言葉のより的確な意味が分かって来るだろう。
 3次元、4次元、5次元という場合の、次元の捉え方については下記。
  《参照》 『バシャール~「3次元、4次元~5次元移行について」』

 

 

【遺伝子を変えるのにかかる時間】
「自分たちの意志によって、遺伝子を変えていくことって可能なの?」
「もちろん、戦後日本人は足が長くなったじゃない」
「確かにね、でもどのくらい、遺伝子を変えるのに時間が掛かるのかしら?」
「20年ね」
「そんなに、気が遠くなるほど長くはないのね」
「そう」
 ちょっとやれそうな気がしてきた。 (p,236-237)
 地球に降り注ぐ波動の変容によって、DNAが変容すると言われているけれど、変容完了までの期間が20年であるなら、2012年を起点として、2032年頃までには、意志によって進化を選択した人々は、炭素系から珪素系に変容するようになる。
 ただし、その場合、若干のデメリットとして、珪素系になれば、体はやや硬くなってしまうらしい。
  《参照》 『宇宙一切を動かす「数霊」の超メッセージ』はせくらみゆき・深田剛史(ヒカルランド)
          【新しい振動数の住人へ】

 

 

【これからの時代に必要なもの:自立】
「これからの時代に、何が必要とされてるかって言うと、『知恵を持って自己管理する』ことなのね」
 ・・・中略・・・
「自己管理は絶対の課題ね、自立が必要ねえ」私が言った。
「そうそう、自立よ」
 これはアンドロメダからの私たち特有の気質かもしれないけれど、非常に自立していて、基本は一匹狼。
「自立していないと、周りを良い人、悪い人って振り分けて、判断したりするわ。だけど、基本は、その人が決めた悪い人たちっていうのは、結局、自分を認めてくれなかった人っていうだけのことね。つまり、自分との戦いをしているんだよね」
「この惑星では、自立していない人の自分との戦いがあるのね?」私が言った。
「そう、まだまだ戦い方も下手だし、最終的に自立していないから、自分が捕まるような行動をとってしまう。ある種、稚拙だし、もうちょっと頭が良ければ、もっとしたたかにできるはずなんだけれども、そこまで知恵が回らない。だから、一番初めにアロムたちから、授業で『神とは何か?』って聞かれた時に、『天敵』って言葉が出て、『合格です』って言われたんだけど。神は私たちから見たら『天敵』なのよね。彼らは自立していない人たちを守り、惑星を、守り、判断を下して来たの。彼らは、『ちゃんと羊を小屋に入れるためにほえてた』のよ」
「彼らは、羊飼いの役目をしていた」
「そう、そして、まだみんな、ただ、彼らに追い込まれてるわ」ベスが言った。(p.239-240)
「神が『天敵』である」のは、「人間ひとりひとりの『自立』を阻んでいる」から、ということになる。
  《参照》 『風の谷のあの人と結婚する方法』須藤元気(ベースボール・マガジン社)
         【のび太の自立】
  《参照》 『世界支配者vsライトワーカー』サアラ×玉蔵(ヒカルランド)《1/4》
         【「やつら」と「私たち」、どっちが輝いてる?】

 

 

【オーラを強化する】
 私たちは、自分の生きる世界を選択して、近い現実の次元にいつでも移動が出来る。自分の周波数次第で、どんな世界でも体験出来るのだ。
「自分で次元操作を乗り越えていくときにシールドしているのが、私たちのオーラだから、自分でそのオーラを強化しておかないといけないわよね」
「なかなか、難しいかなあ」
「でも、オーラを強化するのは、私たちが、持っている集中力や、真剣さ、現実と向き合う心の強さだから、真剣に真摯に私たちがやりたいことに向き合って、自分に正直に、純粋で素直に生きることさえ出来れば、最終的にはオーラを強めて行くことは出来るわね。もし、そういう風に一人でも多くの人が、意識を育てることが出来さえすれば、自分の次元操作でどこへでも行けるわね」
「みんな、本当は自分のイメージした未来に行きたいはずだものね」 (p.249)
 強い心で、集中力をもって、真剣に、真摯に、正直に、素直に、中今に生きて、オーラが強化できていれば、自ずと周波数が高くなっているから、よりよい現実側への次元移動が可能。
「私たちが自分の好きな方向に行っている時は、エネルギーが強いからオーラが輝くじゃない。そういう時って、私たちはとても元気だし。自分の思い通りに生きている人たちは、オーラが強いのねえ」
「そう、そういう、オーラが凄く強くて、輝いている人たちって、次元を変える能力がある人たちなのよ」 (p.263-264)

 

 

【「憑かれた」と「疲れた」】
 我われの世界は、すべて電気で出来ている。地球のマグマが電気を発し、地下水脈を通って電気が地表に出る。人はそれをエネルギーとして背中から取り入れ、前のチャクラから出す。
「お化けは良く背中に付くって言うけれど、前に付くとは言わないわよね。そう、それって結局後ろからエネルギーを吸い取ってるから、いつも吸い取っている胸のチャクラの後ろへ、動物霊みたいな霊がピタって付いちゃうと、エネルギーが吸えなくなっちゃって、早い話が目詰まりしちゃうのね。その後は、ああ、疲れたって。『霊に憑かれた』っていうのと、『体が疲れた』っていうのと。私たちは、本能的に、同じものだとわかっているのね」
 ベスの話は、なかなか軽やかで楽しい。(p.254)
 「疲れた」が口癖のように出て、寝てばかりいて、しかも多食でという三拍子が揃っていたら、100%「憑かれている」。

 

 

【日光浴:電気の塊を吸い取って、前に吐き出す】
「この放出された電気というのは、昼の2時頃が一番濃くて、夜の2時頃が一番薄いわ。だから、私たちが、短時間の昼寝で、結構、回復するのは、そのせいなのよ」
「横になって日向ぼっこなんて最高」私は、自然の中で太陽の日差しを背に浴びるのが、大好きだった。
「そう、それって吸収しやすい状態。こういう電気の塊を吸い取って、前に吐き出すことが、私たちの活力剤なのね」 (p.254-255)
 チャンちゃんも室内で日向ぼっこばかりしている。でもそれも日差しが奥まで差し込む冬場だけで、もう今頃は、太陽が高くなってしまって室内に日差しが射しこまない。夏になったら暑すぎて、野外であれ日向ぼっこどころじゃない。
 日光浴は、間違いなく、人を元気にする。
  《参照》 『超オンナ磨き』IKKO(アスコム)
          【人生にもっと光を】

 

 

【チャクラの抉じ開け】

「そう、第三の目だって開いていても、閉じていても、今の私たちの生活では、あまり役には立たないわ。ただ、念エネルギーとかを感知する能力が、段々長けてくると、この能力が必要になって来るのねえ。そして、必要になるってことは、必ず必要になった分だけ、第三の目が開いて来る。あえて無理やり、花を開かせるような行為をする必要はないのねえ。無理にこじ開ける人たちもいるけれど、いずれまた閉じちゃう。(p.276-277)
 「チャクラ開け秘法会」とかを企画して信者を集めるのは、欲心に乗じたカネ儲け以外の何物でもない。
 「信者ボロ儲け」といわれる訳である。(「儲」け、という字は、一字で「信者」と書かれている)
「でも、LSDやマリファナ、シャーマンの使うマジックマッシュルームやアヤワスカとかの幻覚剤を使う人がいるわね」私は言った。
「麻薬は、一番簡単じゃない。いきなり簡単に、ボーンって開くわけ。だから、麻薬の常習者って動物とかが、がーって見えたりするのねえ。・・・中略・・・。でも、ぱって、閉じちゃうと、『あれ、俺、何してたんだろう』って。薬は、一回でもやると、チャクラがポンって壊れちゃう。・・・中略・・・。一回やっただけで、フラッシュバックの危険性を一生持ち続けなければならないし、恐いわよ」ベスが言った。 (p.279)
  《参照》 『レムリアの叡智』オレリア・ルイーズ・ジョーンズ(太陽出版)《前編》
         【薬物使用の危険性】

 それぞれのチャクラは、無理をせずとも、その人にとって必要な時に、自ずと開くようになっていることを理解しておきましょう。

 

 

【悟りの境地、堺の地】
「大気圏から日本列島が段々、段々、小さくなると同時に、地球の丸が見える位置があると思うから、日本列島が見えて、地球の水平線が見える位置で止まって。・・・中略・・・。今、見えた日本列島はミクロだよね。そして、見えている地球はマクロね。私たちは、ミクロとマクロを両方見れる位置を、自ずと知っていて、その両方を見れる人間というのをこの惑星に増やしていくわ。つまり、これからどんなことが起こっても、会社を取るのか、国を取るのか、あるいは、自分を取るのか、家族を取るのか。そのどれかを、選択しなければならない時に、もしも判断に迷ったら、ミクロだけ見たら、『どうして私だけが』になるし、マクロだけ見ると、『まあ、多少の犠牲はしょうがないよね』って言葉が出るわ。だけど、両方見える人間がこれからは、求められるのね。実は、今見て貰った、ここの位置というのが、悟りの境地、堺の地なの」 (p.307)
 ミクロにおいてもマクロにおいても矛盾しない解法というのは、実は存在しない。それは、儒教において、忠と孝が両立しないのと同じである。
  《参照》 『韓国人から見た北朝鮮』呉善花(PHP新書)《前編》
         【儒教の最高徳目に関する捉え方】

 完璧さを前提に全世界を見ようとする視点は、若く純粋な魂が抱く虚構である。若く純粋な魂は、この事実を受け入れ難いと思うだろうけれど、現実を学ぶにつれて、純粋さの適応範囲に入れることができない事象がある、ということに気付けるようなるだろう。純粋さが悟りを妨げるものであってはいけない。
 あらゆる方向から見て全く欠点なき解法を見出そうとする営為を賞賛するのは間違っている。それは畢竟するに愚昧なのである。
 ブッダの悟りは「諦観(ていかん)」と言われるけれど、「諦」の文字には、「明らかになったところで諦める」の意味があるのかもしれない。

 

 

<了>