
風変わりなタイトルであるであるけれど、肉を食べるということから、人間が抱えている生物学的・社会学的な深層を見つめる契機になるだろう。2004年11月初版。
【牛乳が普及しだした頃】
一般庶民も牛乳を口にするようになる。千葉県出身の前田留吉が、オランダ人ペローから搾乳処理の技術を学んで、横浜で日本最初の牛乳製造販売を始め、また明治政府も、当時は未開の地だった北海道の開拓に酪農を取り入れて、牛乳の栄養価を熱心に宣伝した。・・・中略・・・。
今でこそ誰もが飲む牛乳だけど、明治時代の庶民のあいだでは、生臭いとの評判であまり人気は出でかった。動物の乳など汚らわしくて飲めるかと起こる人もからりいたようだ。しかし日清・日露戦争を契機に、戦地で傷ついた傷病兵の栄養剤として注目された牛乳は、急激に一般社会に普及する。(p.27-29)
現在の日本には、牛乳を全く飲まない人が13%前後いるらしい。牛乳を常飲している現代の日本人でも、“動物の乳など汚らわしくて飲めるか”という明治時代人の感覚が分かる人はいそうに思う。今でこそ誰もが飲む牛乳だけど、明治時代の庶民のあいだでは、生臭いとの評判であまり人気は出でかった。動物の乳など汚らわしくて飲めるかと起こる人もからりいたようだ。しかし日清・日露戦争を契機に、戦地で傷ついた傷病兵の栄養剤として注目された牛乳は、急激に一般社会に普及する。(p.27-29)
【と場】
妙な言葉だ。「場」は場所を示す言葉だからまあ分かるとして、ひらがなの「と」の意味はなんだろう。・・・中略・・・。
君のお父さんやお母さんに「と場」と言ってもおそらく何のことか、分からないだろう。でも「屠殺場(とさつじょう)」と言えば、きっと分かる。(p.36-37)
食肉のために獣畜を殺す所。広辞苑に「屠場(とじょう)」という言葉は載っている。君のお父さんやお母さんに「と場」と言ってもおそらく何のことか、分からないだろう。でも「屠殺場(とさつじょう)」と言えば、きっと分かる。(p.36-37)
【屠場の光景】
胸が苦しくならないだろうか。
体をあらわれた牛は、一頭がやっと通れるだけの幅の通路に追い込まれ、先頭の牛から順番にノッキングを受ける。この光景は、まるで一頭ずつ、押し当てられたピストルを額で打ち抜かれているように見えるが、額に当てられた銃口から出るのは弾丸ではなく、「ノッキングペン」と呼ばれる細い針だ。
銃口から飛び出す針の長さは3センチほど。眉間を撃たれると同時に脳震盪を起こした牛は硬直し、つぎの瞬間、通路の側面の鉄板が開かれ、段差にすれば1.5mほど下の床まで、牛は四肢をこわばらせたまま傾斜を滑り落ちる。この時点で、眉間を撃たれた牛は、すでに意識を失っているといわれている。
牛が、斜面を滑り落ちてくると同時に、待ち構えていた数人の男たちが牛を取り囲む。頭に回った一人が、眉間に開けられた穴から金属製のワイヤーを素早く差し込む。1mほどの長さのワイヤーが、あっというまに牛の身体に吸い込まれて見えなくなる。
差し込まれたワイヤーは脊髄を破壊する。つまり全身が麻痺するわけだ。牛によってはこの瞬間に、片足を痙攣させるなどの反応を示す場合もあるが、ほとんどの場合は無反応だ。
このとき、ほぼ同じタイミングでもう一人が、首の下をナイフでざっくりと切る。切断された頸動脈から大量に血がほとばしる。天上の取り付けられたトロリーコンベア(吊り下げ式のベルトコンベアと考えればよい)から下がる鎖に片足をひっかけて、牛は逆さまに吊りあげられる。(p.51-53)
凄い光景。銃口から飛び出す針の長さは3センチほど。眉間を撃たれると同時に脳震盪を起こした牛は硬直し、つぎの瞬間、通路の側面の鉄板が開かれ、段差にすれば1.5mほど下の床まで、牛は四肢をこわばらせたまま傾斜を滑り落ちる。この時点で、眉間を撃たれた牛は、すでに意識を失っているといわれている。
牛が、斜面を滑り落ちてくると同時に、待ち構えていた数人の男たちが牛を取り囲む。頭に回った一人が、眉間に開けられた穴から金属製のワイヤーを素早く差し込む。1mほどの長さのワイヤーが、あっというまに牛の身体に吸い込まれて見えなくなる。
差し込まれたワイヤーは脊髄を破壊する。つまり全身が麻痺するわけだ。牛によってはこの瞬間に、片足を痙攣させるなどの反応を示す場合もあるが、ほとんどの場合は無反応だ。
このとき、ほぼ同じタイミングでもう一人が、首の下をナイフでざっくりと切る。切断された頸動脈から大量に血がほとばしる。天上の取り付けられたトロリーコンベア(吊り下げ式のベルトコンベアと考えればよい)から下がる鎖に片足をひっかけて、牛は逆さまに吊りあげられる。(p.51-53)
胸が苦しくならないだろうか。
【『よだかの星』になれず、無知なままに生きる人へ】
肉食は、肉体の振動数を露骨に下げてしまう。誰であれ、数か月間肉食を止めてみて、その後に少量の肉を食べてみれば、胸が詰まるような不快感を持つはずである。アセンション時代に生きていることを自覚している人々は、もう肉食などしていない。アセンション(5次元化・魂化)した世界に“食肉”という摂食様式はないのである。
宮澤賢治が書いた童話『よだかの星』は知っているかい? もし知らなければぜひ読んでほしい。よだかはとても醜い鳥だった。夜に飛ぶことと、たくさんの虫を飛びながら食べることで、ほかの鳥たちから気味悪がられ、いつも嘲笑されていた。でもよだかは、じつはとても心優しい鳥だった。生きるためにたくさんの虫を食べなくてはいけない自分の運命に悩み、心を痛め、ついには自分の命と引き換えに、夜空の星になる話だ。
星になれない僕らはどうすべきか。知ることだと僕は思う。知ってそのうえで、生きてゆくしかない。それはとてもつらいことだ。でもつらいからといって目をそむけてはいけない。
牛や豚がと場で殺される理由は、僕らが食べるからだ。ところが僕らは彼らの悲しみを知らない。見て見ないふりをしてきたのだから。知らないのだから。だから平気で肉を残す。残した肉はゴミ箱に捨てられる。(p.67-68)
著者の『いのちの食べかた』という問題提起に則して、他の命を食らう仕組みの中で生きる不条理や、食べられる側の悲しみということを、本当に真摯に考え完全解決しようとするなら、菜食から不食へという解法以外にないだろう。これは決してありえない解法ではない。それは人間の意識の進化によって成し遂げられることである。肉食に執着する意識を解除できない人が、それを続けるだけのことである。星になれない僕らはどうすべきか。知ることだと僕は思う。知ってそのうえで、生きてゆくしかない。それはとてもつらいことだ。でもつらいからといって目をそむけてはいけない。
牛や豚がと場で殺される理由は、僕らが食べるからだ。ところが僕らは彼らの悲しみを知らない。見て見ないふりをしてきたのだから。知らないのだから。だから平気で肉を残す。残した肉はゴミ箱に捨てられる。(p.67-68)
肉食は、肉体の振動数を露骨に下げてしまう。誰であれ、数か月間肉食を止めてみて、その後に少量の肉を食べてみれば、胸が詰まるような不快感を持つはずである。アセンション時代に生きていることを自覚している人々は、もう肉食などしていない。アセンション(5次元化・魂化)した世界に“食肉”という摂食様式はないのである。
【テレビが「と場」を放送しない理由】
現在の社会状況にあっても、たいていの経営者たちは「同和」と聞いただけで完全に硬直してしまうほど、その威力は大きく、いまだに忌避すべき大きな問題である。
《参照》 『同和利権の真相』 寺園敦史・一ノ宮美成 (宝島社)
理由の一つは、まずテレビの側にある。もっと具体的にいえば、テレビ番組を作りながら、牛や豚を殺す映像なんて、とてもじゃないけど画面には映せないと主張する人たちがいるからだ。
まあたしかに、解体の映像は人によっては衝撃的だ。・・・中略・・・。
テレビがと場を放送しないもう一つは、部落差別問題があるからだ。と場で働く人たちには、被差別部落に生まれた人たちが多い。(p.103-104)
屠殺業は、昔から「穢れの多い仕事」と考えられ忌み嫌われてきた。故に被差別階級の人々によって担われてきたのである。まあたしかに、解体の映像は人によっては衝撃的だ。・・・中略・・・。
テレビがと場を放送しないもう一つは、部落差別問題があるからだ。と場で働く人たちには、被差別部落に生まれた人たちが多い。(p.103-104)
現在の社会状況にあっても、たいていの経営者たちは「同和」と聞いただけで完全に硬直してしまうほど、その威力は大きく、いまだに忌避すべき大きな問題である。
《参照》 『同和利権の真相』 寺園敦史・一ノ宮美成 (宝島社)
【被差別階層】
《参照》 『自分の中に歴史を読む』 阿部謹也 筑摩書房
【二つの宇宙をつなぐ賤民】
魂の高貴さは、差別する側であるかされる側であるか、という単純な区切りに従うものではないけれど、現実世界では、生まれた境遇によって末永く差別されることを免れない傾向がある。
今でも俳優のことを、河原者とか河原乞食と呼ぶ人がいる。語源はこれだ。漫才師やマジシャン、歌手に映画スター、君たちが憧れるこれらの職業も、みんなそもそもは、非差別階層の仕事だった。君の歴史の教科書にも、たくさんの人たちが紹介されている。観阿弥と世阿弥の親子は、時の支配者に重用されながら、猿楽能を完成させた。歌舞伎や人形浄瑠璃など、日本の古典芸能も、もとはといえば、ほとんどは被差別階層の仕事からきているんだ。
こうして村落共同体からいたんは排除された人たちは、ほかの人たちが嫌がる仕事をやりながらも、芸術や専門技術などで才能を発揮して、当時の社会にとっては、なくてはならない職能集団となっていく。(p.86)
被差別階層になるのは、先住者(差別階層)のいる地域に後から流入してきた人々。特殊技術を持っていたり、異能を有する者であれば、時の権力者によって重用されることもあるけれど、そうでなければ被差別民として抑圧された人生を味わうことになってしまう。こうして村落共同体からいたんは排除された人たちは、ほかの人たちが嫌がる仕事をやりながらも、芸術や専門技術などで才能を発揮して、当時の社会にとっては、なくてはならない職能集団となっていく。(p.86)
《参照》 『自分の中に歴史を読む』 阿部謹也 筑摩書房
【二つの宇宙をつなぐ賤民】
魂の高貴さは、差別する側であるかされる側であるか、という単純な区切りに従うものではないけれど、現実世界では、生まれた境遇によって末永く差別されることを免れない傾向がある。
【『破戒』】
相手を差別し貶めるような傲慢さを秘めた魂は、次に、差別され貶められる側として生まれその悔しさや苦しみを甘受することで、魂の学びを完成させるという過程を経ているはず。見下すという意識を卒業できるのは、正しい意味での「愛」を会得できた時なのだろう。
《参照》 『戻ってきたアミ』 エンリケ・バリオス (徳間書店)
【やっかいなもの】
1906(明治39)年に島崎藤村が発表した『破戒』は、被差別部落に生まれた教員の生涯を描いた小説だ。もし君がまだこの本を読んでいないのなら、これを機会にぜひ読んでほしい。教員の名前は瀬川丑松。彼が長野の師範学校から別の学校に移るとき、父は息子である丑松に、こう言い聞かせる。
「たとえいかなる目を見ようと、いかなる人に巡りあおうと決してそれとはうちあけるな、いったんの憤怒悲哀にこの戒を忘れたら、その時こそ社会から捨てられたものと思え」
丑松の父親が誰にも打ち明けるなと言った「それ」とは、被差別部落で生まれ育ったということだ。(p.97-98)
差別心理の根本にある他者を見下すという意識は、人間の意識の中にあって最も根深いものかもしれない。「たとえいかなる目を見ようと、いかなる人に巡りあおうと決してそれとはうちあけるな、いったんの憤怒悲哀にこの戒を忘れたら、その時こそ社会から捨てられたものと思え」
丑松の父親が誰にも打ち明けるなと言った「それ」とは、被差別部落で生まれ育ったということだ。(p.97-98)
相手を差別し貶めるような傲慢さを秘めた魂は、次に、差別され貶められる側として生まれその悔しさや苦しみを甘受することで、魂の学びを完成させるという過程を経ているはず。見下すという意識を卒業できるのは、正しい意味での「愛」を会得できた時なのだろう。
《参照》 『戻ってきたアミ』 エンリケ・バリオス (徳間書店)
【やっかいなもの】
【肉を食べるというカルマ】
肉を食べるという摂食文化は、それ自体が文化レベルの低さを意味している。
人間は、動物を丸呑みするワニのような爬虫類を下等動物として下位にランク付けしているけれど、牛や豚を殺して食べている人間という哺乳類が、ワニのような爬虫類より上位にランクしていると、言えるだろうか?
人は、肉を食べていながら、誰かが屠殺場で牛や豚を殺している場面を全く意識の外に置き、なおかつ「穢れ」意識でその仕事をしている「被差別民」を見下しつつ、部落差別という根深い社会問題があることにすら全く意識が及んでいない。あまりにも見事な御都合主義の“意識隠蔽作業”である。これで「人間は高等生物である」と本当に言い得るのか?
これらの複合問題は、ひとつひとつ順次解決されるということはない。解決するなら一挙であって、それは「人類の進化(次元上昇=アセンション=魂化)」という契機に依存するはずである。
「他の動物を喰う」という所業を止めない限り、そのカルマから出ることはない。喰っている間は、喰われているのである。下記リンクの著作を全部読んで、その事実をきちんと確認してください。
《参照》 『ドラゴニアンvsレプティリアン これが《吸血と食人》の超絶生態だ!』 高山長房
肉を食べるという摂食文化は、それ自体が文化レベルの低さを意味している。
人間は、動物を丸呑みするワニのような爬虫類を下等動物として下位にランク付けしているけれど、牛や豚を殺して食べている人間という哺乳類が、ワニのような爬虫類より上位にランクしていると、言えるだろうか?
人は、肉を食べていながら、誰かが屠殺場で牛や豚を殺している場面を全く意識の外に置き、なおかつ「穢れ」意識でその仕事をしている「被差別民」を見下しつつ、部落差別という根深い社会問題があることにすら全く意識が及んでいない。あまりにも見事な御都合主義の“意識隠蔽作業”である。これで「人間は高等生物である」と本当に言い得るのか?
これらの複合問題は、ひとつひとつ順次解決されるということはない。解決するなら一挙であって、それは「人類の進化(次元上昇=アセンション=魂化)」という契機に依存するはずである。
「他の動物を喰う」という所業を止めない限り、そのカルマから出ることはない。喰っている間は、喰われているのである。下記リンクの著作を全部読んで、その事実をきちんと確認してください。
《参照》 『ドラゴニアンvsレプティリアン これが《吸血と食人》の超絶生態だ!』 高山長房
<了>