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 インド独立の父といわれるマハトマ・ガンジー。本名はモハンダス・カラムチャッド・ガンジー(1869~1948)の生き方からリーダーのあり方を考えている著作。98年10月初版。

 

 

【道徳的・精神的次元を取り入れる】
 本書は、ガンジーについての著作ではない。
 私は、リーダーシップの基本的な考え方を構築し、その中でガンジーの生き方から学べることを用いて、リーダーシップに道徳的・精神的次元を取り入れ、より高い基準に自分たちを導こうとしたのである。(p.11)
 ビジネス書を読んでいても“道徳的”という単語を目にすることはめったにないので、このような記述がチョット新鮮に思えたりする。

 

 

【インド独立の父:マハトマ・ガンジー】
 ガンジーは、その人生の50年以上を公の生活に捧げ、世界史上最大の帝国の一つから独立すべく、何億という人々を導いたことで知られている。(p.20)
 映画『ガンジー』を見た人は、ガンジーの政治活動 ―― 南アフリカに住むインド人のために差別からの解放を求めて闘い、後にはインドで英国統治からの独立運動を行った ―― はご存知だろう。(p.21)

 自らの奉仕の人生を通して、全人類の調和を身をもって示したのである。彼は世界中の人々に、人間の魂は不屈であること、そして勇気と愛は力よりも強力であることを気づかせた。世界はガンジーの特別な位置を認めた。彼が暗殺されたとき国連は半旗を掲げたが、政府にも国際機関にも属していない個人の死に対して国連が半旗を掲げたのは、ガンジーが最初で最後である。(p.20)
 子供の頃、家の書架にあった 『娘インディラへの手紙』 という本の背表紙を記憶していたから、ガンジーさんが政府機関にも属していなかったという事実に、チョットびっくりする。ウィキペディアで調べてみたら、インディラ・ガンジーさんは、インド初代首相であるネルーさんの娘さんだった。ガンジーという姓が同じであってもインディラとマハトマの血縁関係は一切ないという。

 

 

【行動基準】
 ガンジーの人生で行動の基準となっていたのは、政策や手段ではない。原理と価値観だった。最高の政治的指導者にとっては、自分の国こそが情熱の源泉である。企業のリーダーが情熱を傾けるのはその組織であり、それは顧客や製品、技術を通じて表される。
 ガンジーの人生の原動力は、真実と非暴力という主義と、他人のために尽力する生活への信念だった。(p.21)

 企業では、組織に対する忠誠心があるために、社員は、首をかしげるような他の社員の扱いを支持したり、品質上の欠陥を見過ごしたり、環境への影響に目をつぶったりしかねない。このように、忠誠心が誤った方向へ向かわないように常に守ってくれる手段となるのが、本物の絶対価値を心から信じ、自らそれに従って生きようとする姿勢である。(p.48)
 企業にとっての「本物の絶対価値」とは、「従業員と顧客の幸せ」、ひいては「世界中の人々の幸せ」だろう。

 

 

【権力ではなく奉仕】
 ガンジーの生き方を見ると、私たちが信じているリーダー・シップの基準や、私たちが成功のためには必要だと受け入れてしまっていることが「果たして本当にそうなのだろうか?」と、疑問をもつようになる。
 多くのリーダーは、権力を象徴するものと自分を同一視し、自分は自分が導く人々の「上に立っている」のだと考える。
 ガンジーは、自分が奉仕する相手を象徴として見た。腰巻をつけ、自発的貧困に身を置くことで、自分が役に立ちたいと思う相手と同じようになろうとしたのである。ガンジーが象徴化したのは、権力ではなく、奉仕であった。(p.25)
 まっとうな経営者なら、自発的貧困にまでは身を置かないまでも、「上に立っている」などという認識はないはずである。そんな認識を持っているなら、業績は上がらないだろう。
   《参照》   『「随所に主となる」人間経営学』 浜田広 (講談社)
             【お役立ち思想】
 今変えなくてはならないのは、意思決定の技法ではない。意思決定の基準なのである。・・・(中略)・・・。そして奉仕の精神を、意思決定を行う際の判断基準に含めなくてはならないのである。
 ある人にどう意思決定したらよいかと忠告を求められたとき、ガンジーはこう言った。
 「 ・・・(中略)・・・ あなたが出会った中で最も弱い人の顔を思い浮かべます。そして、今自分が考えているやり方は、この人に役立つだろうかと自問してみるのです。それを行うことで、その人が人生と威厳を取り戻す手助けになるのだろうか、と。 ・・・(中略)・・・ 」(p.152)
 公務員というのは、本来社会的弱者の側に立って行政を行うものだと思うけれど、その実態は、格差社会の勝者側にある自分らの利権維持のために法律と資金をフル活用しているだけだろう。するべき仕事など殆どなくただ椅子に座っているだけで多額の給料が保障されている“生活保護の特権階級”のような連中なのに、「生活保護者の就職を促進する」という言い草を平気で語るのである。そして公務員は、分配する権限を持っているから、表向きの謙虚さを一皮むけば、その内実はとんでもなく傲慢である。
 直接経験したことだけれど、面会に来た者が、相手が現れるまで着座せずに待っているかどうか、相手の礼節レベルを図っているような市長が、「次には、会ってやらねえぞ」くらいのことを平気でいうのである。肩書きと権力をもっているというだけで、実質何の教養もない人間は容易に傲慢という馬脚を顕わすのである。公私ともども高級車を乗りまわしている甲斐市の保坂武という輩の酷過ぎる行政実態をインターネットに掲載し出したら、市庁舎内のインターネット環境を遮断したという。弱者を無視して利権業者にばかりカネを流し続ける悪政を、改め善化する意思は全くないらしい。地方行政の場に集っているような連中は、私利私欲の人間が殆どだから、世の中が全然よくならない。最も弱い人々に対する想像力は殆どないのである。

 

 

【行政は弱者を放置する】
 先日 「孤立無業者162万人」という記事 (毎日は削除された。日経は残っている)が出ていた。日本の人口1億2665万人で162万人(1.28%)である。これを上記の傲慢な市長がいる人口7万3700人の山梨県甲斐市に比例換算すれば、実に942人である。地方の市町村には実質パート以外の仕事は殆どない。これだけいる孤立無業者に対して何ら配慮する意志のない行政というのは、つまり「行政とは公務員と利権業者のためだけにあるもの」、という開き直った考え方をしているのだろう。
 3年前、この市長に会って話した時のことを、下記リンクのコメントに書いておいたけれど、このような社会状況をまったく認知していないどころか、「行革反対」とすら言っていたから、その実態は政治を食い物にする寄生虫である。
   《参照》   『官僚の正体』 日下公人・金子仁洋 (KKベストセラーズ)
             【官民共同研修】

 

 

【マハトマ】
 インドの人々、特に貧しい人々は、ガンジーとの絆を感じ、彼こそ自分たちの幸福を心から気にかけてくれる人だと信じた。自分たちの宗教が教えることすべてを体現している人物を目の当たりにしたのだった。しかも、それは昔の神話上の人物ではなく、この世に実在の人物が本当に「自分のことば通りに生きている」のだ。
 ノーベル文学賞受賞者であるインドの詩人ラビンドラナート・タゴールは、ガンジーの貧しき者への理解の真髄をこのように述べている。
 「ガンジーは何千という疎外された人々の小屋を、相手と同じ身なりで訪れ、地元のことばで話しかけた。単なる書物からの引用ではなく、彼こそ生きている真実だったのだ。このため、インドの人々が彼を呼んだマハトマ(偉大なる魂)という名は、彼の真の名である。ガンジーのように、あらゆるインド人を自分の肉や血として感じる人が他にいただろうか?」 (p.119-120)
 現在の日本は格差が進んで、貧困層が増大しているけれど、日本にマハトマはいるのだろうか? 自分さえよければいいという「卑小な魂」が殆どだろう。

 

 

【移動は三等車】
 ガンジーは列車でインドを旅する際に、いつも三等車を使っていた。三等車はその当時 ―― 今でもそうだが ―― 汚くて、混んでおり、非常に疲れる。(p.57)
 ガンジーは社会の底辺にある不可触民に対する差別に心を痛めていた。単なる経費節約ではなく、最下層の人々の目線で行動していたのである。日本にはカーストがないとはいえ、一般企業人でも、グリーン車に費やす経費があるなら、寄付に回すくらいの配慮があってもいいだろう。
   《参照》   『安藤百福かく語りき』 安藤百福 中央公論新社
             【着く時間は一緒】

 

 

【心を決める】
 無限に生活水準を向上させたいという個人的な希望は、より高い基準のリーダーシップに到達することと両立しない可能性があることを、私たち一人ひとりが認識しなくてはならない。ある時点で、自分はもう十分な生活水準に達したと心を決める必要がある。(p.65-66)
 いったん心を決めてしまえば、余計な煩わしさも消えてゆくだろう。つまりおカネに支配されることはなくなるのである。
 高い道徳水準を持ち、なおかつ成功にまつわる物質的な利得を享受することは可能だ。
 ガンジーの仲間でもあり、インドの初代大統領となったネルーはそのような人物だった。・・・(中略)・・・。
 私は自分の仕事の中で、高い道徳水準を持ち成功を収めているビジネスマンやビジネスウーマンに出会ってきたが、このような人々に共通した特徴が2つあることに気づいた。
 まず、会社での地位だけで自分の成功を測らないことだ。そして、富が増えつづけることを求めていない。このような人ならば、もっと大きな権力やもっと多くの所有物を手に入れんがために、自らの行動基準を犠牲にすることはないだろう。(p.66)

   《参照》   『保科正之』 中村彰彦 (中央公論社)

 
 
<了>