《中編》 より
 

 

【舒明朝】
 舒明朝とは、百済の武王の治世を倭国に投影させたものだろう。それを裏付けるように、百済で武王が死んだ年に『書紀』の舒明朝は終わるのだ。(p.201)
 舒明天皇は、『古事記』編纂を命じた天武天皇の父であり、中大兄(天智天皇)のみならず、『古事記』を撰集した元明天皇にいたるまで諸天皇の祖ともいうべき地位にある。それにもかかわらず、この扱い方は異常である。
 理由はすでに明らかにした。舒明朝とは倭国に実在しない架空の王朝だったのであり、舒明という天皇は倭王ではなく、百済の武王だったからなのである。(p.202)
 大化の改新前後の大和朝廷内の勢力争いは、半島内の勢力争いが移されたものであるという説は今日一般的だろうけれど、この著作は、具体的な人名をきちんと対応させて説明している点が抜きんでている。

 

 

【百済と近江朝】
 7世紀以降の近畿地方は百済文化の影響が強かったことが分かる。
 その大きな原因は、天智天皇(もと百済の王子・翹岐(ギョウキ))の近江朝が膨大な数の亡命者を百済から受け入れたからである。(p.223)
 天智天皇(翹岐・中大兄)や大友皇子の近江朝と百済勢力は不可分であり、百済は半島では政治的に消滅したが、近江朝の倭国に移植されて生き延びたと言っても過言ではない。天智天皇の前身が百済の王子であれば、これは当然な話である。(p.224)
 倭国に影響を与えていた半島の勢力争い人脈を整理しておくと
 百済勢力 - 舒明天皇(百済武王)・天智天皇(翹岐/中大兄)
 新羅勢力 - 天武天皇(大海人)・文武天皇(新羅文武王/軽皇子)
 伽耶勢力 - 斉明皇極天皇(百済武王の妃であるけれど出自は伽耶の王族。中大兄と大海人は斉明の子)

 

 

【半島勢力とは言え、実質は中央アジア人】
 百済・武王は、水中で龍から生まれたという伝承のある中央アジア人であり、ペルシャの神・弥勒菩薩の大寺を建立している。そして、斉明はゾロアスター教徒で、ペルシャ王族と親交するなど、父方は「漢王」つまり中央アジアの王族である。
 斉明の時代を記した『書紀』に西アジア的な「聖なる樹」に関する記述が数か所にあり、斉明が最初に生んだとされる子は「漢皇子(あやのみこ)」であった。この「あや」という読み下しは後世のもので、伽耶連合の安羅(あら)、安那(あな)から来ているが、当時の倭国で言う「漢」は、中国ではなく、中央アジア以西を意味する。中国の統一王朝の建国者はほとんどが異民族で、漢の高祖も騎馬遊牧民族にルーツがあった。(p.229)
 百済、新羅、伽耶といった半島勢力と言っても、実質は中央アジア以西の文化を背景とする人々であることに留意。「漢」という字を見て中国人であると思ってしまいやすいけれど、違う。

 

 

【大海人(天武天皇)】
 「古代最大の内乱」とされる「壬申の乱」で、近江朝を壊滅させて天武天皇として即位し、現人神として君臨すると同時に、『古事記』『日本書紀』の編纂を命じ、つぎつぎと中央集権国家確立に向けた政策を打ち出し、後世の日本と日本人を政治的にも精神的にも決定的に規定するような人物が、30近くになるまで何もしていなかったとは考えられない。
 『書紀』は天武に関する記述を天皇に投影させるなど、天武について一番詳しく記しているにもかかわらず、即位前の天武つまり大海人の半生については、完全に沈黙している。(p.230-231)
 『書紀』の編纂者は、天武の皇子である舎人親王だから、知らなかったはずはない。
 『書紀』の編纂者が、653年以前の大海人について完全に沈黙したのは、大海人が当時、広く知られた人物だったからと考えるべきだろう。 ・・・(中略)・・・ 額田王は、中大兄を「ヒョーギ大兄」と呼び、大海人を「マリキ大相」と呼んでいる。 ・・・(中略)・・・ 大相とは国王に次ぐ官職であり、「マリキ」はアラビア語で「王」を意味する。 ・・・(中略)・・・ 大海人は、古代シュメールとも関係の深い人物だったと考えられる。(p.231)
 大海人の正体に関する謎解きの部分をすっ飛ばして、結論を書くと、
 要するに、高句麗の英雄・蓋蘇文と倭国の大海人は『書紀』の上では一人二役を演じていることになり、 ・・・(中略)・・・ 『書紀』の編纂者は、この事実関係を表向きは隠しつつも、実はもろもろのヒントで真実を暗示しているのである。(p.241)

 

 

【天武と伊勢神宮】
 蓋蘇文はその後、天武となったが、「日本」という国号も「天皇」という倭王の称号も670年代の天武朝に始まるのである。天皇の即位儀礼と祭祀制度を定め、伊勢神宮を皇祖神を祭る国家奉祭の神宮として確立したのも天武(蓋蘇文・大海人)である。(p.254)
 伊勢神宮の後ろの正面に鎮まっている霊人たちが誰なのかを知っている人々なら、シュメールに関わりを持つ天武によって伊勢神宮が確立されたという説明に、「なるほど」と頷けるんだろう。
 文献を拠り所にするだけの学者さんたちも、この本の精緻な論考を読んだら、否定できないだろう。

 

 

【東アジア連合国家的な発想に基づく東大寺建立】
 752年には東大寺大仏開眼会という国家的な事業が営まれている。大和朝廷は、この東大寺大仏開眼会に唐僧を参加させずに、新羅から多くの使節を呼び寄せている。なぜだろうか。それは、新羅にいた中央アジアの僧に、開眼供養の導師を務めさせるためである。このことの意味は、とてつもなく大きい。
 唐の干渉が下火になるのは、平安時代になってからだと述べた。それまでの東アジアの中国周辺諸国の選択は、強大な唐の衛星国となるか、唐に反旗をひるがえすかのいずれかしかなかったのである。このような国際政治を背景にして、東アジア連合国家的な壮大な発想に基づく政治を目指すことを表明したのが、東大寺の建立だったということだ。(p.289)
 ここでの主旨とはあまり関係ないけれど、せっかく東大寺が出てきたから寄り道したい方は下記のリンクを。
   《参照》  『「君が代」肯定論』 長部日出雄 (小学館新書) 《前編》
           【東大寺大仏】

 

 

【東アジア連合の紐帯】
 朝鮮半島や日本列島にも数千年にわたり、中国大陸からの多くの人口移動があったが、中国への同化は免れ、独自の言語や文化を保っている。その運命の分かれ目とでも言うべき時代が、7世紀であった。まかり間違えば半島や列島が唐軍に占領され、中国の一部になる可能性も大きかったのである。
 「ナショナリズム」は日本では「民族意識」と訳されるが、古代には今日の「朝鮮民族」「大和民族」などの民族意識などは存在していない。 ・・・(中略)・・・ 。
 7世紀の半島や列島で反唐を貫いた文武、天武、金庾信らは、新羅や倭国の民族主義者ではなかった。では彼らを動かした思想は何か。彼らは古代伽耶の末裔であるが、伽耶はすでに6世紀に消滅している。しかし天武が強く意識していたのは、伽耶の根底にある中央アジアの亀茲(クチャ)であり、西アジアであった。そして百済の武王の子・天武には、古代シュメールの末裔という意識があった。
 なぜ伽耶系高句麗人の蓋蘇文、伽耶王族の金庾信は反唐だったのか。それは単に政治のパワーゲームなどではなく、遊牧民の農耕民に対する本能的な嫌悪感だけでもない。伽耶の聖地ともいうべき亀茲を支配しようとしたのが、中国王朝だったからである。(p.294)
 亀茲(クチャ)については、《前編》の【秦氏のルーツ】の個所に書き出している。
 明らかに、天武は唐に対抗するために、中央集権国家の確立と律令制の確立を求め、国の土台作りを急いだ。その意味で天武は、半世紀前の聖徳太子の祖先を受け継ぎ、拡張したと言える。その聖徳太子にとって最大の障害は、倭国内の蘇我氏であった。(p.295)
 蘇我氏の「蘇」は鉄を意味するから、当時の軍需産業に関わる有力な氏族だったのだけれど、王族ではなかったから、西アジアやシュメールに連なる思想までは持っていなかったのだろう。
 聖徳太子は、当時の倭国において既に大きな勢力を確立していた蘇我氏と対立することなどできなかったのである。あまりにも理想とは程遠い政治状況の中で、悲痛な思いに満ちていたような気がする。

 

 

【教科書問題】
 人類を動かすのは「物」ではなく、「思想」である。各国が自国中心の「正史」に執着している以上、「教科書問題」は永久に解決しないだろう。これが正史を早急に見直さなくてはならない理由の一つである。(p.300)

 

 

【万世一系】
 神武天皇以前から、日本の皇祖先の天照皇御神は宇宙創造の志を受けてつかわされた。
 万世一系とは、その志を霊脈として受けついでいく道であると信じる。
 21世紀、真の世界平和は、人間復興を通じての「命の道」からしか得られない。(p.301)
 日本の皇祖先の天照皇御神が宇宙創造の志を受けてつかわされたのは、かつてシュメールが栄えた時代を遡るはるか以前のことだろう。そのはるか以前に日本の皇祖先が受けた宇宙創造の志は、かつて栄えたシュメールに伝承され、そのシュメールの意思を受け継ぐ人々が、7世紀の日本の危機を守ったのであり、また近代において帝国主義の脅威にさらされた時代に、明治維新という中央集権化によって再び日本を守ったのである。
 宇宙創造の志と共に、超古代の叡智もまた、日本 ⇒ シュメール ⇒ 日本 と巡って、再び日本で開花すべき時代になっている。
   《参照》   『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》
            【 日本 ⇒ シュメール ⇒ 日本 】

 20世紀までの世界は、「力の道」を歩んできたけれど、21世紀からの世界は、「命の道」になってゆくだろう。「力の道」は廃棄する。そして「命の道」を主導するのが「万世一系」を有する日本人の役割ということなのだろう。

 

 

<了>