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 鬱陶しい現実から逃避するための推理小説。タイトルの作品を含む4作品が掲載されている。99年5月文庫初版。

 

 

【『父が来た道』】
 このタイトルから、チャン・イーモウ監督作品の『初恋が来た道』という、中国の田舎の学校を舞台にした純情可憐な少女が主役の映画を思い出したのであるけれど、こっちはそれとは正反対のドロドロなお話である。
 政界の実力者である佐多と、そのお抱え運転手となっていた慎一郎との会話。
 「父が先生にお願いをしていたとは知りませんでした・・・」
 「事前に話していたら、君はうんと言わんだろう。信雄君の策謀だよ、これは。息子は何ごとにも欲がなかすぎる、真面目すぎる、あれではこの社会で潰されてお終いだ、ってな。彼の口癖だった。慎一郎君、親父さんは出所した暁には君を片腕にするつもりだ。もちろん俺も、彼には多大な恩があるから、それだけのことはさせてもらう。そのためにも、少々君を鍛え直さねば使いものにならんということで、この佐多が面倒を見させてもらったんだが、 ・・・(中略)・・・ 」(p.156)
 でもって、鍛え直すための教材は、
 佐多は嗤い、「ついては、せっかくの休暇に酒がないのは寂しい。君、明日はブランデーのボトルとグラス、それから自宅の本棚からバルザックの 『従兄ポンス』 と 『あら皮』 を持って来てくれ。こういうときでもないと、読み返せないから」と付け加えた。「そうそう君、バルザックはいいよ。この佐多も顔色を失う人間という怪物のオンパレードだ。ひまがあったら読みなさい」、と。(p.158)
 正気の沙汰なのか狂気の沙汰なのか知らないけれど、カネ次第の政界の実力者だから佐多なんて苗字にしたんだろう。そんな佐多も顔色を失う人間という怪物がでてくるバルザックの小説を、チャンちゃんは全然読みたいとは思わないけれど、この文庫本の中で唯一言及されていた小説なので書き出しておいた。
 薄汚いことなど平気でできる政治屋や官僚の皆さんにとっては、良き教材に違いない。

 

 

【魔力】
 かけ離れたその日々について、なおも凡庸な魂の凡庸な嫌悪はあったが、それ以上に慎一郎は、今こそ政治の世界の化け物に心眼を奪われた思いがし、ああ、父がのめり込んだのはこの感覚だったのかと一瞬考えた。事業欲もさることながら、服役の辛苦さえ父に飲み込ませ、痛恨さえ次のステップのためのバネにさせてしまうのは、この魔力だったのか、と。
 権力という魔力の効いた向こうの世界へ、一歩足を踏み入れたが最後、世界の見え方が変わり、発想も感情も欲望もすべてが形を変える。家族を含めたすべての人間も、敵を叩き潰す闘争の力の誇示も、嘘も非道も、権力の魔力の下で回り続ける。そんな向こう側で父は生きてきたのだと、慎一郎は初めて考えた。(p.166)
 人類にとって新しい時代である近未来のゲートウェイを通り抜けて行きたい人は、このような魔力になどまったく靡かない。こんな魔力なんかに魅入られるような連中というのは、要は魂に “愛” など全然無いということなのだから、ここ数年のうちに加速するアセンションの過程から、さっさと脱落するバイ菌の様な旧タイプ人間というだけのことである。
   《動画参照》   2012年 マヤ文明が残したメッセージ

 

 

【『地を這う虫』】
 この文庫本のタイトルとなっている短篇のタイトル解題。
 空き巣事件を解く推理の過程とは何の関係もないけれど、それを調べていた元警察官だった主人公・省三に関する描写。
 省三が広げている地図の上に、いつの間にか羽蟻が一匹現われて、右へ左へと歩いていったが、省三はそれを払いのけることもせずに、虫一匹をよけながらボールペンを走らせ続けた。(p.208-209)

 見ると、払い落された蟻が一匹、テーブルのわきの床を這っていた。靴先でそれを払おうとした加代子の膝を、省三はそっと押し退けた。
 「踏みつぶさないでくれ」
 蟻は右へ左へうろうろしながら、黙々とコンクリートの床を歩き続けていた。
 「加代子。この虫はな、俺なんだ・・・」
 「どういうこと」
 「・・・なに。ただ歩いてるのさ」
 説明にもならない説明をして、省三は少し苦い、ささやかな満足を覚えて笑い、加代子のケーキに手を伸ばした。(p.226-227)
 公権力を手にしていたことの習い性からか、慇懃無礼で嘘言癖のある元警察官や、横暴そのものの現職警察官なら実物をテンコ盛り知っているけれど、省三のような元警察官って実在するんだろうか。小説ならではの存在だろう。

 

 

 

  高村薫著の読書記録

     『マークスの山』

     『地を這う虫』

     『黄金を抱いて翔べ』

     『いやな時代こそ想像力を』

 

<了>