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 英文学をたくさん翻訳しておられる著者によるお気楽な日本語天才論。でも日本語が天才なのは、中国語を含む諸外国語に影響される以前の、純然たる “やまと言葉” 故なのである。2007年2月初版。

 

 

【ルビ】
 本国では今や一般には宝石の意味でしか使われていないであろう ruby を、日本語はルビーとルビに使い分けている。これも天才たる日本語の一端でしょう。(p.128-129)
 7号という大きさの活字を、英語では宝石のルビーと同じ綴り(ruby)で表わしている。
 この程度のことで、「日本語は天才である」と言われても、「なんだかなぁ・・・」としか思えないけれど、全編にわたって、ほぼこの程度のことに言及しつつ「日本語は天才である」と言っているだけである。
 日本語の神秘・言霊なんて、同音異義語のなかで単語が出てくる程度。チャンちゃんにとっては “カクッ” とくる感じの内容である。

 

 

【ルビを用いた天才小説:『吉里吉里人』】
 たとえば、井上ひさしさんの 『吉里吉里人』 というたいへんな小説があります。日本語という天才のみが駆使できるルビを、とことん駆使して吉里吉里国を創造した。(p.137)
 へぇ~、読んだことないけどルビを多用して書かれている小説らしい。

 

 

【『フィネガンス・ウェイク』】
 ぼく自身は、ジェームズ・ジョイス『フィネガンス・ウェイク』の翻訳で総ルビの方法を用いました。まだ翻訳の方法を手探りしていた段階で、ルビをたくさん使ってはどうかと筒井康隆さんが助言してくれたのです。「そうだ!」と、決めました。筒井さんの助言で一挙に目の前が明るくなりました。(p.137-138)
 どういう作品かと言うと、
 「ユリシーズ」に続くジョイスの夜の物語。1939年刊。ジョイス語と称される造語から成り、戯れる夢の言語として意味の飽和状態へ膨らむ。円環の歴史観を基盤とし、riverrun(川走・せんそう)で始まり定冠詞 the で終わってピリオドがない。(p.138)
 こんな奇妙な作品を翻訳した著者は、こう書いている。
 ぼくにとって、ルビは漢字の富を呼び出し、自在に活かすためになくてはならない武器でした。たんに読みを示すだけではなく、意味や音を重ねて機知、というか機知甲斐沙汰を演出し演奏するための愉快な玩具でもありました。(p.139)
 著者が翻訳した『フィネガンス・ウェイク』(河出文庫)の序文に、大江健三郎さんがルビの使用に関して興味深いことを書いている。
 こういう作品ってサッパリ興味が持てないけど、英語オタクはきっと凝るんだろう。
 チャンちゃんなんかは沢庵コリコリにだってさして凝らない。

 

 

【弘前弁】
 ―― ケドアサイテモナモフラメイデマネ。
 これは東京のある記者が弘前へ行き、あるお婆さんに取材したテープ録音の一部です。(p.157)
 ウルトラ・チンプンカンプン。
 ケド→道、アサイテモ→歩いても、ナモ→全然(北海道弁の「なんも」に近いですね)、フラメイデ→ふらふらして、マネ→だめ。
 ―― 道を歩いても全然ふらふらしてだめだぁ・・・。(p.158)
 弘前にある岩木山は、空から降ってきた土砂でできたというシャーマンさんの話もあるけれど、弘前弁もきっと空から降って来たんだろう。
   《参照》   『禁断の日本超古代史』 宗川日法  グリーンアローブックス
             【荒覇吐・その呼称が意味するもの】

 

 

【いろは歌の行末】
 本家本元のいろは歌を次のように書くと、

 いろはにほへと
 ちりぬるをわか
 よたれそつねな
 らむうゐのおく
 やまけふこえて
 あさきゆめみし
 ゑ ひも せす

 行末に「とかなくしてしす」。つまり「咎なくして死す」というメッセージが浮かび上がります。第一章で Live を後ろから見ると Evil ―― 「人生→各人→咎」 ――というメッセージに言及しましたが、あれの数十倍強烈です。(p.197-198)
 いろは歌には、著者が思っているより、深い意味がある。
   《参照》   『フォトンベルト 地球第七周期の終わり』 福元ヨリ子 (たま出版) 《中編》
                【日本語の五十音】
 横文字のアルファベットが確立されるのにも、もちろん長い歴史はあったでしょうが、50音の確立の歴史も好奇心をかきたてます。とにかく、「イロハニホヘト~」と「アイウエオ~」の二系列のアルファベットをもつ日本語は特異な天才ではないでしょうか。(p.215)
 やまと言葉の本来の系列は「いろはにほへと~」である。
 こっちで解かないと、本当の日本古代史もこれに連なる秘められた世界史も明らかにはならない。

 

 

【やまと言葉だけ】
 以前、大野晋先生と対談したとき、ぼくはこう言いました。
「宣長は、とにかく漢語っぽいものをすぐ排除しましたですね」
 間髪を入れず、大野先生はこうおっしゃったのです。
「みんな排除しました」 (「新潮」2000年5月号)
 あのときのことをあざやかに思い出します。そして宣長のいろは歌がやまと言葉だけで作られていることに、あらためて驚きます。(p.200)
 本居宣長のいろは歌のみならず、奈良・平安時代に編纂された 『万葉集』 などの勅撰和歌集もみんな、やまと言葉だけでできている。
   《参照》   日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】 <前編>
             ■ 日本古来の文化芸術 “ 短歌 ”の世界に見られる日本語の特性 ■
   《参照》   『日本人が知らない「人類支配者」の正体』 太田龍・船井幸雄  ビジネス社
             【古事記に秘められたもの】

 

 

<了>