
著者は医科大学神経精神科教授とあるけれど、頷いたり啓発されたりするところが殆どない内容ばかり。精神科の患者の臨床例がいくつか書かれているけれど、そんな事例が人間の普遍的な深層心理を表わすわけがないのだから、「それがどうした」と思うだけである。「色と形」というテーマなら美術史や文化史を専門にしている方の著作を読んだ方がはるかにいいだろう。
唯一マシなのは、日本に関する「紫」の記述があることくらいである。1986年1月初版。
唯一マシなのは、日本に関する「紫」の記述があることくらいである。1986年1月初版。
【日本の色:紫】
だからチャンちゃんが勝手に書いてしまう。その答えは、冠位12階を定めた聖徳太子は高度なシャーマンであり、冠を載せる部分、つまり最高位のチャクラであるサハスラ・チャクラから発せられる色が「紫(マジェンタ)」であることを当然のごとく観ていたからである。
《参照》 『幸せを手にする人は、「色の言葉」を聴いている』武藤悦子(主婦の友社)
そもそも紫は、推古天皇の時代に日本で初めて官位が定められたとき、6色12階の最高の色であった。もっとも高位の人の冠が紫と定められたのである。したがって、紫は、日本では高貴な人を表す象徴的な色になった。 江戸時代には、高僧がまとう紫の衣をめぐって、朝廷と幕府が争った事件もあった。紫は、それほど日本人にとって畏敬の対象となる色であり、また、平安時代の日本文学を表す色は紫をおいては他にない。
たとえば、 『源氏物語』 に登場する紫の上や、その作者である紫式部は、紫という色がその人物を連想させ、「あでやか」「みやび」「なまめかしさ」を備えた姿を彷彿とさせる。(p.34)
歴史的事実が書かれているだけで、なぜ日本において「紫」が高貴な色になったのかの考察は何も書かれていない。たとえば、 『源氏物語』 に登場する紫の上や、その作者である紫式部は、紫という色がその人物を連想させ、「あでやか」「みやび」「なまめかしさ」を備えた姿を彷彿とさせる。(p.34)
だからチャンちゃんが勝手に書いてしまう。その答えは、冠位12階を定めた聖徳太子は高度なシャーマンであり、冠を載せる部分、つまり最高位のチャクラであるサハスラ・チャクラから発せられる色が「紫(マジェンタ)」であることを当然のごとく観ていたからである。
《参照》 『幸せを手にする人は、「色の言葉」を聴いている』武藤悦子(主婦の友社)
【マジェンタ・愛がひそむ場所・日本の色】
【紫に潜在する両極性】
帯状分布を環状分布に成す「紫」の働きは、環(和)の穏やかさを生むのである。
ところが諸外国の文化で育った人々は、それを分かりづらく曖昧であると言うのである。
ある物理学者がこう言った。
「紫ほど不思議な色はない。物理学的に見れば赤と菫はもっとも離れているのに、それが一緒になると紫という色になって、心理学的には赤でも菫でもない、まったく独自な感情を導きだす」
なるほど、太陽光をプリズムで分けたニュートンは、赤・橙・黄・緑・青・藍・菫の七色のスペクトルを発見したのであるが、たしかにスペクトル上では赤と菫はもっとも遠い距離にある。しかし、オスワルドやマンセルが考えたように、赤と菫の間に紫を置いてつなぎ、1つの環をつくると色相の環、つまり色相環ができる。
このように、紫は物理学的にみてふしぎな色だということであるが、それは心理学的にみても同じである。紫は、まことに大きな矛盾をはらんでいるのである。同じ色彩でありながら、高貴と下品、あでやかさとはしたなさ、神秘に対して不安、というように、たがいに矛盾するような人間感情を誘発するアンビバレントな色なのである。(p.41)
だからこそ、「紫」は「日本の色」なのである。「紫ほど不思議な色はない。物理学的に見れば赤と菫はもっとも離れているのに、それが一緒になると紫という色になって、心理学的には赤でも菫でもない、まったく独自な感情を導きだす」
なるほど、太陽光をプリズムで分けたニュートンは、赤・橙・黄・緑・青・藍・菫の七色のスペクトルを発見したのであるが、たしかにスペクトル上では赤と菫はもっとも遠い距離にある。しかし、オスワルドやマンセルが考えたように、赤と菫の間に紫を置いてつなぎ、1つの環をつくると色相の環、つまり色相環ができる。
このように、紫は物理学的にみてふしぎな色だということであるが、それは心理学的にみても同じである。紫は、まことに大きな矛盾をはらんでいるのである。同じ色彩でありながら、高貴と下品、あでやかさとはしたなさ、神秘に対して不安、というように、たがいに矛盾するような人間感情を誘発するアンビバレントな色なのである。(p.41)
帯状分布を環状分布に成す「紫」の働きは、環(和)の穏やかさを生むのである。
ところが諸外国の文化で育った人々は、それを分かりづらく曖昧であると言うのである。
【日本文化の特徴:曖昧性】
イタリア人の彫刻家・画家・童話作家でもあるリオ・リオーニ氏の発言。
曖昧さの長所を確認するために以下からリンクを3つ。
《参照》 『日本人はなぜ国際人になれないのか』榊原英資(東洋経済新報社)《前編》
イタリア人の彫刻家・画家・童話作家でもあるリオ・リオーニ氏の発言。
「自分は日本の文化にとても興味を持っているが、それはイタリアの文化とひじょうに異質だからだ。イタリアの芸術でも人間感情でも、黒白がはっきりしていて、激情的だが、日本の芸術や国民感情は黒白が明瞭でないというか、あらゆるものの境界が曖昧だ。つまり、ambiguity(曖昧性)の文化とでも言うのだろうか。そこに私は日本文化の個性があると思う。(p.38)
比較文化として日本を語る上で、「曖昧」は欠点ででもあるかのように思ってしまう人が少なくないけれど、それは違う。日本人は古来から「曖昧」であることの長所を知悉していたのである。曖昧さの長所を確認するために以下からリンクを3つ。
《参照》 『日本人はなぜ国際人になれないのか』榊原英資(東洋経済新報社)《前編》
【矛盾するものを両立させる日本】
【西欧のマジェンタ】
英語のマジェンタという用語は、赤紫色を呈するアニリン染料が発見されたイタリア北部に存在する町の名が由来だというけれど、キリスト教文化圏では、純粋な紫色よりは、聖杯に関わった赤紫色がイメージされるらしい。
英語のマジェンタという用語は、赤紫色を呈するアニリン染料が発見されたイタリア北部に存在する町の名が由来だというけれど、キリスト教文化圏では、純粋な紫色よりは、聖杯に関わった赤紫色がイメージされるらしい。
西欧における赤は、単に情熱のほとばしりのみで解釈されるのではなくて、キリストの死における血の色や豊饒な葡萄酒の生産とも結びついて、われわれ東洋人が考える以上に深遠な意味を持っているのかもしれない。(p.100)
西欧文化はベースとして血なまぐさいから、彼らのイメージする「赤」はそれが基調である。そこに日常的な飲料である葡萄酒が混入する。(ついでに、フランス人が好む色って、基本的に収穫期以降の葉っぱを含むブドウ畑の色である。)
【日本の赤】
日本文化の赤は、血のイメージに重ならない。
眼を射るような強い色調の混じりっけのない原色系の色彩は、赤であれ何であれ日本人にはあんまりなじまない。日本人は曖昧領域(=中間色)に美を見出すだけの繊細な文化力を持っているからである。
日本文化の赤は、血のイメージに重ならない。
欧米人が感ずる赤に対して日本人が赤という言葉からまず想起するのは朱であろう。(p.101)
寂朱に至っては、華やかさの裏に枯れた趣が裏打ちされ、中国の朱色には見られない色となり、これが日本画の基調をなす場合もある。また正応元年(1288年)のころ、高野山の僧が根来(ねごろ)に移って寺院を造成し、寺で使用する食器を朱漆で塗ったことから、根来塗りの漆器が広まった。
このようにして侘びや寂びと結び付いた独自の朱(あか)が日本文化の中に浸透していったのである。(p.103)
日本画に描かれる柿の色は朱色だし、日本人が好む「茜(あかね)色」は赤と朱の中間あたりだろうか。寂朱に至っては、華やかさの裏に枯れた趣が裏打ちされ、中国の朱色には見られない色となり、これが日本画の基調をなす場合もある。また正応元年(1288年)のころ、高野山の僧が根来(ねごろ)に移って寺院を造成し、寺で使用する食器を朱漆で塗ったことから、根来塗りの漆器が広まった。
このようにして侘びや寂びと結び付いた独自の朱(あか)が日本文化の中に浸透していったのである。(p.103)
眼を射るような強い色調の混じりっけのない原色系の色彩は、赤であれ何であれ日本人にはあんまりなじまない。日本人は曖昧領域(=中間色)に美を見出すだけの繊細な文化力を持っているからである。
<了>