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 ソニーに入社して数年の方から、転職して巣立って行った方、そして東京通信工業に時代に入社して60歳定年まで勤めた方まで、13人の女性が紹介されている。
 溌剌と働いて生きている方々の様子を読むと、エネルギーが伝わってくる。これを読んだら多くの女性は、ソニーへの入社を希望するようになることだろう。2004年4月初版。

 

 

【ソニーらしさ】
 今では 「ソニーらしさ」 とは、ほかの人やほかの会社と同じころはやらないことであるとか、自由闊達で新しいことに果敢に挑戦する精神、と理解している。(p.42)
 全編を読み終わって、一番感じる 「ソニーらしさ」 は、社内で横の移動が比較的多いらしいことと、女性にとって働きやすい職場であることだろうか。
 「ソニーではレールが敷いてないので、先が見えません。そのためいい意味でも悪い意味でも自分の好きなことができるのです」。(p.101)
 「若い人の個性を大事に育て、チャンスを惜しみなく与えています。私もそうして育てられてきたので、恩返しの意味も込めて受け継ぎたい。ソニーのアイデンティティは変化にこそあります。変わることを恐れずに勇気を持って前に進みたい」 (p.122)
 「会社は女性を信頼して、女性はその信頼に応えている。会社と女性の関係はこうあるべきだ」 (p.184)

 

 

【アメリカの職場】
 アメリカではあまり上下関係にこだわらずに、自分の裁量で物事を進めていけるとのイメージがあったが、実際に働いてみてわかったのは、まるでその逆であることだ。日本では、場合によっては直属を通り越してその上の上司と話を進めることができた、ところが、アメリカでは直属の上司を飛び越して何かをすることは考えられないことだった。(p.78-79)
 責任と分担がキッチリしているアメリカでは、コマンドチェーン(指揮系統)を飛び越えて行動することはあり得ない。それを無視すればトラブルは必至。成果に関わっていれば最悪の裁判沙汰になることだろう。
   《参照》   『「見えない資産」の大国・日本』 大塚文雄・Rモース・日下公人 (祥伝社) 《前編》
              【トップダウンで死滅する 「インタンジブル」 】

 

 

【日米の映画市場規模】
 アメリカの人口は日本の2倍以上あるが、映画市場は10倍あるといわれる。(p.88-89)
 ということは、興業収入で同額であるならば、日本において大変素晴らしい成果だったことになる。
 文化が違うから同じように成功するとは限らないけれど、アメリカでは男性をターゲットにした 『ジャンヌ・ダルク』 を、日本では10代から30代の女性をターゲットにして 「17歳の少女の生き方」 というテーマにしたらアメリカの興業収入を越えたという。

 

 

【盛田昭夫会長】
 当時秘書をしていた方のお話。
 カリスマ性に満ちた卓抜なリーダーであったが、同時によく話を聞く人でもあった。「ペイペイの私の言うことも 『おまえ、そう思うか』 と言っては、耳を傾けてくださった。分け隔てのない姿勢で見習うべきところをたくさんお持ちでした」。(p.96)
 人の話をよく聞くということは、謙虚という徳目に従っているというよりは、学びの価値を知るが故に行われていると言えるだろう。インプットがなくなったらアウトプットもなくなる。生産現場の工場を停止させないのと同じように、経営者は向上を停止させない。だから聞いてインプットすることを大切にする。優れた経営者は誰も皆こうである。
   《参照》   『好きなことをやって、成功する法則』 竹村健一・中谷彰宏 (PHP)
             【インプットで人間を見る】
 盛田会長は、案内をするときにはきまって英語で説明した。「通常、こんなに偉い人は通訳にやらせるとのイメージがありますが、会長はいかにもうれしそうに製品の一つ一つを自ら説明なさるのです。生き生きとした様子には、自社製品に寄せる深い愛情が感じられました」。会長は日本語式の発音のままジョークを連発した。すると世界のVIPがおなかをかかえて笑うのだ。会長にとって英語とはあくまでコミュニケーションの手段だった。「会長がいてくだされば雰囲気がなごみ、いつでもどこでも大成功でした。優れたソニー製品に劣らず、会長の人間的魅力がソニーの一番の力になっていると実感しました」。(p.146)
 盛田さんのことをよく知っていた人々は、誰だって 「その通り」 と言うのだろう。盛田さんが生きて活躍していたちょっと前までのビジネス書の中でも、そんな盛田さんの様子に言及しているものが少なからずあった。

 

 

【入社試験】
 戦後間もなく誕生した東京通信工業(ソニーの前身)の入社試験。
 入社試験については今でもよく覚えている。「驚いたことに、大豆がたくさん出てきました(笑)」。四角い箱に固い大豆が無数に入れてあり、その横には空の箱がおいてある。試験官から渡されたのは、一対の長いハシだった。(p.238)
 手先の器用さをチェックする試験だったらしい。町工場のような当時の東京通信工業では、手作業でコイルをまくような仕事をしていたらしい。
 この試験に合格して入社した中卒の山極さんは、後に会社の費用で東京デザイナー学院に通わせてもらいながら、いろんな製品の取扱説明書をつくることもしていたという。ソニー勤務44年で定年退職。

 

 

【メモリーズ】
 ソニーでの44年間を振り返ってもらった。思い出には上司がからむことが多いという。 ・・・(中略)・・・ 。
 どうしても耐えられない上司にあったら、どうしたら良いのだろうか。アドバイスは、「会社には異動がつきもの。同じところには長くいません。永遠にその場にいるわけではないことを思い出すことですね。一人や二人の人間が嫌いで会社を辞めてはもったいない。 ・・・(中略)・・・ 辛抱も次の飛躍のために大切なのです」。(p.248)

 

 

《ソニーのビジネス本》
 ソニーって、ビジネスに関する著作を比較的多く出版しているのではないだろうか。この読書記録の中にもいくつかある。それだけソニーは、自由度が高く、開かれていて、向上心に満ちた企業なのかもしれない。

 

   《参照》   『ソニー中村研究所 経営は「1・10・100」』 中村末広 日本経済新聞社
          『イロハソニー』 麻倉怜士・監修 (日経BP)
          『ぼくたちは、銀行を作った』 十時裕樹 (集英社インターナショナル)


<了>