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 子供向けの作品らしいけれど、大人が読んでも面白い内容だった。魔法が物語のスターターとなっている中世風の物語と言うだけで、私などは 『トリスタンとイゾルデ』 的な世界を想定してしまうから、それだけで勝手に合格点を出してしまいたくなる。
 そんな作品であるけれど、人間の悪しき側面ばかりに目が向かいがちな平均的な大人が読めば、意外な結末によって、人間を見る視点に偏向があったことに気づけるかもしれない。

 

 

【人間なんて、ロクでもない奴らだ!】
 魔法使いのステファヌス大学士は、飼い猫に人間の言葉を話せるようにしておいた。するとその猫は、ステファヌス大学士に願いごとを言った。
 「おねがいです、ご主人」 と、猫が言いました。「わたしを、人間に変えてくださいませんか?」 (p.9)
 この願いに対して、魔法使いのステファヌス大学士は、
 「よくきけ、人間とはなにか ――― オオカミのほうがまだやさしい。ガチョウのほうがまだ賢い。ロバのほうがまだしも分別がある。それが人間だ。 ・・・(中略)・・・ 」 (p.11)
 「まったく自分勝手な生き物だ! 思いやりをもたんのだ。人間同士ですら思いやりをもたん。愛情? あいつらが愛情をもつのは金だけだ」 (p.13)
 「人間などというロクでもないものに成りたがるのはよせ」 と言いたいステファヌス大学士は、自分が経験した人間の悪しき実例を語っている。
 「その男は、農民や商人たちが川を渡らなくても荷物を運んでこられるように橋をつくってくれとわしにたのんできた。わしは、つくってやった。町の人びとみんなのために、わしは、石を1つ1つ積んで丈夫な橋をつくってやった。つくりおえたとたん、あの悪者め、トール・ゲイトをつくりおった。(p.14)
 その橋はブライトフォードという町に入る場所に作られており、その悪者は、その橋にトール・ゲイト(料金所)を作って勝手に通行税を集め出したというのである。
 そんな話を聞かされても、猫は人間になりたがり、ブライトフォードへ行ってみたいという。根負けしたステファヌス大学士は、ついにその猫を人間にしてあげることにした。
 「ご主人、では、わたしの願いをかなえてくださる? あ、ありがとうございます!」
 「礼をいうのはまだはやい。きっと、おろかなことをしたとくやむにきまっておる」 と、ステファヌスはこたえました。(p.16)

 

 

【ブライトフォードにて】
 人間になった猫のライオネルは、ブライトフォードに行き、その町で一番料理が上手なジリアンという女性や、いつも大きな薬品箱を持ち歩いているタドベリ博士に出会い、人間というものの生活様式を体験しつつ、ステファヌス大学士が語っていた通りの人間の悪しき有様もいろいろと体験してゆく。
 ライオネルとタドベリ博士は、悪者のスワガートやパースウィグと命がけの抗争をしながら、トール・ゲイトのある橋から川に飛び込み、命からがら生き伸びる。
 ブライトフォードの町から脱出できたのを機に、ステファヌス大学士の所へ帰ればいいのに、ライオネルはそうせずに、ジリアンの所に行くという。
 「水がおぬしの頭にしみこんだ? いや、ジリアンが、おぬしの心に入りこんだのじゃ。いうならば、おぬしは、すっかりあのむすめにほれこんでしまったんじゃ」 (p.118)
 再び争いの渦中に飛び込んでいったライオネルとタドベリ博士。

 

 

【誤植】
 ステファヌスは、ライオネル大学士がせきこんで・・・  (p.184)
 これを読んだ時、一瞬混乱して数行まえに戻って読み返してしまった。
「こんな誤植って、ありぃ?」
 1977年初版で、この本は1994年の第6刷である。出版社さん、なおしといたほうがいいですよ。

 

 

【魔法をといて再び猫に戻るはずか・・・】
 再びスワガートたちと抗争しながら、ようやく魔法使いのステファヌス大学士のところに辿りついたライオネル。ステファヌス大学士は、人間になっていた猫のライオネルを、再び魔法で猫に戻そうとする。ところが、
 「わしの魔法が、きかないぞ」 (p.189)
 そのわけは?
 「わしの意思であるものか。おまえが手におえなくなっただけじゃ。 ・・・(中略)・・・ おまえは、ありとあらゆる人間的な感情でいっぱいになってしまったにちがいない。もはや、どうにもならぬ。そうとも、二度と猫には戻れない。おまえは、人間性に汚染されてしまったのだ!」 (p.190)

 

 

【選択】
 この後、ステファヌス大学士は、魔法でライオネルが人間として経験した記憶を消すことならできると言う。
 それに対するライオネルの回答は、
 「経験したことの中には ―― ええ、よろこんで忘れたいことがあります。しかし、中には ―― ?」 ライオネルは、ジリアンの顔を見ました。「そう、いつも忘れないでいたいことがあります」 (p.191)
 人生や人間性に関して見える、マイナスの側面ばかりを心に詰め込むのか、プラスの側面を輝きとして心に残すのか、と読者それぞれが自問できる場面。

 

 

【人間に内在する悲しむべき性質】
タドベリ博士が質問し、魔法使いのステファヌス大学士が答える。
 「あなたは、われわれが苦しんでいる、悲しむべき性質を消してしまえる水薬とか軟膏などをお持ちでありましょう?  ・・・(中略)・・・  」
「魔法であろうがなんであろうが、そのような薬があるものか」 とステファヌス大学士は答えました。「そんなものがあったら、わしが、とうの昔に使っておったと思わぬかな? おぬしら不幸な生きものに、果たして希望があるかどうか知らぬが、それは、自分たちの力で見つけねばならぬものじゃ。 ・・・(中略)・・・ 」(p.192)
 人間に内在する悲しむべき性質・・・・。
 文学を著す人びとによって繰り返し語られてきたテーマであるけれど、文学の中に有効回答を見い出すことはできないだろう。このような文学に対する諦観を、私は結構早い時期から持っていた。そして学生時代に、本能的に向かった先が、 “神秘学” とか “神智学” とか “密教” と言われる分野だった。
 これらの分野は、数万年とか数百万年という宇宙史的スケールを射程に含んだ世界である。長くてもせいぜい100年程度しか生きられない人間が、繰り返されてきた悲惨な歴史を過去2千年程度の範囲でつぶさに検証したとしても、有効回答など見い出せるわけはない。人類の進化は宇宙の周期率的変化に因っているのである。
   《参照》   『仏陀からキリストへ』  ルドルフ・シュタイナー  風の薔薇
             【本当の人類の平和は、3000年以降】

 

 

<了>