
広瀬隆・著 『赤い楯』 以来のロスチャイルドもの。国際的ビジネスの系譜に関しては 『赤い楯』 ほど精緻なものではないけれど、一般読者を想定した読み物としては、この著作の方が適しているかもしれない。短文で構成されていて読みやすい。
ドイツのフランクフルトを拠点に、5人の兄弟がロンドン、パリ、ナポリ、ウィーンへと分散して金融帝国を築いてきたことで有名なロスチャイルド一族。ドイツ語読みではロートシルト、フランス語読みではロッチィルドである。様々な著作の中でそれぞれの名称を目にする。国際関係を語る上で欠くことのできない名前なので、この読書記録の中でも、ロスチャイルドないし ロートシルト で検索すると幾つもヒットする。
ドイツのフランクフルトを拠点に、5人の兄弟がロンドン、パリ、ナポリ、ウィーンへと分散して金融帝国を築いてきたことで有名なロスチャイルド一族。ドイツ語読みではロートシルト、フランス語読みではロッチィルドである。様々な著作の中でそれぞれの名称を目にする。国際関係を語る上で欠くことのできない名前なので、この読書記録の中でも、ロスチャイルドないし ロートシルト で検索すると幾つもヒットする。
【青と黄の縞模様】
ヨーロッパ社交界の華である競馬に、ロスチャイルドがかかわっていないはずはない。 ・・・(中略)・・・ 注意深い人なら、ジョッキーが青と黄の縞模様のレオタードを身につけているのに気づくかもしれない。ロスチャイルドの城にひるがえっている旗と同じ二色模様である。(p.11)
こういう情報は、視覚的に確認しやすいし分かりやすいから記憶しておくといい。
【フェリエール宮殿】
大人のためのディズニーランドとしてビジネスに供されているわけである。
パリ・ロスチャイルドが建てた建物の中でフェリエール宮殿は最大かつ最も豪華なものだった。さすがにこれには買い手がなく、またロスチャイルド一族も手放しかねた。(p.169)
長らく放置されていたこの宮殿は、1950年から6年かけて改築されたという。
ロスチャイルドはまわりに山野を買い増して、ハイキングや畑づくりのできる土地にした、いまやフェリエール宮殿に大都市パリの人々が 「自然」 を求めてやってくる。あざやかな変身である。(p.178)
フランスでは普仏戦争から二度の世界大戦にかけて、多くの資産が荒廃したけれど、パリ郊外にあるフェリエール宮殿だけは存続し、大幅な補修・改築を経て今日でも残っている。大人のためのディズニーランドとしてビジネスに供されているわけである。
【ヘッセン大公国宮廷支配人】
マイヤーは典型的なドイツ名。アムシェルは典型的なユダヤ人名。ユダヤ人としての規範を厳守しつつ、フランクフルトという土地で生き抜くための方策が名前に如実に現れている。
初代ロスチャイルドは五十代になってようやく、時代の花形におどり出た。さしあたりの肩書は、「ヘッセン大公国宮廷支配人」 にすぎなかったが、その肩書きでもって、どの宮廷にも出入りできる。また財務アドバイザーのかたわら資金を貸し付け、投資の元手を出す。むろん、慎重な調査と、先の見通しのあってのこと。(p.40)
ヘッセン大公国宮廷支配人の経営するマイヤー・アムシェル・ロートシルト商会が穏やかな発展から急激な発展に転じたのは1790年代。きっかけは1789年のフランス革命の勃発である。軍備の必要となれば、目を剥くような高利でも国は資金を必要とするのである。マイヤーは典型的なドイツ名。アムシェルは典型的なユダヤ人名。ユダヤ人としての規範を厳守しつつ、フランクフルトという土地で生き抜くための方策が名前に如実に現れている。
【ロスチャイルド男爵】
ロスチャイルド一族には同じ名前や似た名前がいっぱいあるけれど、初代と二代目は名前と名字が逆になっているだけである。
経済力をつけたが故の爵位なのだろうけれど、男爵芋の生産によって手に入れた富ではない。それは一部である。冗談ではなく、保養地と農場の経営でも成功しているのである。
ロスチャイルド一族には同じ名前や似た名前がいっぱいあるけれど、初代と二代目は名前と名字が逆になっているだけである。
1828年、アムシェル・マイヤー・ロートシルトに男爵の称号が授与された。 ・・・(中略)・・・ 。
父の名マイヤー・アムシェルの略字 M・A を頭にいただく銀行名が、以降、つぎのように変わった。
「M・A・フォン・ロスチャイルド&兄弟社」
貴族の称号を示すフォン(von)の一語が加わっただけであるが、長男には感慨深いものがあったに違いない。(p.59)
当時の実力者メッテルニヒをとびっきり大掛かりな饗宴でもてなしてなお7年後のことだという。父の名マイヤー・アムシェルの略字 M・A を頭にいただく銀行名が、以降、つぎのように変わった。
「M・A・フォン・ロスチャイルド&兄弟社」
貴族の称号を示すフォン(von)の一語が加わっただけであるが、長男には感慨深いものがあったに違いない。(p.59)
経済力をつけたが故の爵位なのだろうけれど、男爵芋の生産によって手に入れた富ではない。それは一部である。冗談ではなく、保養地と農場の経営でも成功しているのである。
【ロスチャイルド家の対社会戦略】
2つ目は、高等教育というよりは、金融のプロフェッショナル教育である。
具体的で切実な対社会的戦略があった。一つは血族結婚である。いま一つは高等教育、もう一つがユダヤ性の厳守。さらにマスコミの利用を加えていいかもしれない。(p.64)
血族結婚は医学的に禁止されるまで続いていた。2つ目は、高等教育というよりは、金融のプロフェッショナル教育である。
金満家の御曹司でいて、ケンブリッジの優等生が後を絶たない。若くして幹部になる特権をもち、また幹部となって、しかもより抜きのビジネスセンスをそなえている。 ・・・(中略)・・・ ロスチャイルドほど御曹司でなお果敢な財務のプロを送り出した家系も二つとないのだ。(p.244-245)
3つ目に係わっては、後述の 「貴族院議員」 の称号を巡っての記述の中に興味深い事例が示されている。また、イスラエル入植に対して、ロスチャイルドは多大な資金を供給し続けていたのも事実。
【サン・シモンの思想】
フランス革命を指導した哲学者アンリ・ド・サン・シモン(1760~1825)の考えであって、いずれ貴族や大地主の世の中ではなく、「産業社会」 がやってくる。そこでは銀行が中心的な役割を果たし、それも株式にもとずく銀行であって、広い市民層が株券をもち、能力ある事業家が市民に代わって業務に当たる。
ほぼ現在の銀行に等しいものであって、それを18世紀末に、いち早く唱えていた。(p.79)
受験の世界史でサン・シモンの名前は記憶しているけれど、こんな思想だったっけ・・・・・と思いつつ、やや感心している。ほぼ現在の銀行に等しいものであって、それを18世紀末に、いち早く唱えていた。(p.79)
【世界が経験した史上初めての金融戦争】
サン・シモンの思想通り、ヨーロッパが産業社会になると、鉄道建設を中心に資金調達のために多くの株券が発行され、金融業界は壮絶な金融戦争になっていった。
《参照》 『青い血族 ロックフェラー財閥の野望』 ギル・リービル メディア・ファクトリー
サン・シモンの思想通り、ヨーロッパが産業社会になると、鉄道建設を中心に資金調達のために多くの株券が発行され、金融業界は壮絶な金融戦争になっていった。
ヨーロッパ各地でペレイル兄弟とロスチャイルドとの間で激烈な金融戦争が演じられた。 ・・・(中略)・・・ 。
スペインのマドリードでも、ロシアのサンクトペテルブルクでも、同じような争奪戦があった。世界が経験した史上初めての金融戦争であて、武器は情報と策略と決断である。(p.81-82)
ロックフェラーがアメリカで鉄道を支配していった過程も、金融とのタイアップによる策略的支配だった。スペインのマドリードでも、ロシアのサンクトペテルブルクでも、同じような争奪戦があった。世界が経験した史上初めての金融戦争であて、武器は情報と策略と決断である。(p.81-82)
《参照》 『青い血族 ロックフェラー財閥の野望』 ギル・リービル メディア・ファクトリー
【スタンダード石油】
結局のところ、大胆過ぎたペレイル兄弟の経営する 「クレディット・モビリエ」 株は、景気の悪化につれて極端に下落してしまい、ロスチャイルドの敵ではなくなった。
【プロシャ・フランス戦争】
勝ち負けに関係なく儲かるのだから、金融財閥にとって、戦争ほど美味しいビジネスはない。
以下のような事例も・・・。
《参照》 『この国を支配/管理する者たち』 中丸薫・菅沼光弘 (徳間書店) 《前編》
和平交渉の際、フランス財務官としてアルフォンスが加わっていた。プロシャ側にはブライヒレーダーがいた。勝者・敗者双方の金庫番にロスチャイルドがいたわけである。(p.86)
敗者フランスに科せられた戦災報償に必要な巨額の起債には、ロンドン・ロスチャイルドも加わっていたという。どうであれ、ロスチャイルド家全体とすれば莫大な利益を上げたのであり、フランス・ロスチャイルドにしても大いに焼け肥ったのである。勝ち負けに関係なく儲かるのだから、金融財閥にとって、戦争ほど美味しいビジネスはない。
以下のような事例も・・・。
イギリス海軍と覇を競ったポルトガル海軍の財源は、イギリス・ロスチャイルドが面倒を見ていたわけである。(p.95)
こんなのは可愛いほうで、ロシアの王政打破など、近代史上の紛争すべての背後にロスチャイルド資金ありと考えて間違いないだろう。《参照》 『この国を支配/管理する者たち』 中丸薫・菅沼光弘 (徳間書店) 《前編》
【ロスチャイルドとロックフェラーの実力差】
【貴族院議員】
ラオイネルはロンドン・ロスチャイルドの創立者ネイサン・マイヤーの長男であって、1847年、ロンドン市を地盤にイギリス上院選挙に立候補して当選。しかし、議会には入れなかった。議員には 「キリスト者としての誠意」 を誓う義務があり、ユダヤ人ライオネルがそれを拒んだからである。(p.88)
上院議員には通常、「貴族院議員」 の称号が与えられるものだが、ライオネルにはただ 「サー(Sir)」 の称号に限られた。ライオネルは拒否。貴族院議員が実現するのは27年後、息子の代になってからである。(p.89)
上院議員には通常、「貴族院議員」 の称号が与えられるものだが、ライオネルにはただ 「サー(Sir)」 の称号に限られた。ライオネルは拒否。貴族院議員が実現するのは27年後、息子の代になってからである。(p.89)
中途半端な称号は拒否しても、自由党の金庫番であったライオネルは、実利をしっかり掴み取っていた。
スエズ運河株買い上げでは、ロスチャイルドの資金力がものをいって成功し、時の首相ディズレリーは興奮気味にヴィクトリア女王宛てに電文を打ったという。 “You have it, Madame”
そののちに ・・・(中略)・・・ 高額の手数料と利子をめぐり、議会は紛糾したが、女王のよろこびの言葉と、民衆の歓呼がすべての異議を消し去った。(p.89-90)
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