
著者の肩書きは、緩和医療医となっている。ターミナルケアー医のことを日本語ではそういうのだろうか。
チャンちゃんは、今この瞬間に突然死しても後悔することなど何もないと思っているくらいだから、このような著作をわざわざ手にする理由など何一つない。たまたま国外で、日本のこの最新刊図書を発見したから読んだというだけのこと。2011年5月初版。
チャンちゃんは、今この瞬間に突然死しても後悔することなど何もないと思っているくらいだから、このような著作をわざわざ手にする理由など何一つない。たまたま国外で、日本のこの最新刊図書を発見したから読んだというだけのこと。2011年5月初版。
【やりたい放題】
雑誌の中で、「あなたは、猫派? 犬派?」 というような記事を読むことがあるけれど、チャンちゃんは 「犬派」 と答えるだろう。 同類相憐れむからである。しかし本当は 「毛むくじゃら」 であればなんでもいいのである。私のハートは、かなり以前から猫派になっている。猫の親分の伸びやかさから学んだ。
親戚縁者から愛想を尽かされてもいいように、また、ヒットマンにいつ狙われてもいいように、さらに、葬式をビジネスにする悪徳業者のカモにされないように、「火葬代10万円のみ」 と 「葬式不要と認めた遺書」 は既に準備済みである。
不思議なことに、忍従に忍従を重ねた人生は、きわめて日本的であることもあり、皆から尊敬はされる。けれども、実は皆を惹きつけて止まないのは、「やりたい放題」 の人生である。真似できないからこそ、魅了されるのかもしれないが。
もちろんやりたい放題といっても、人の道にそむくことではない。けれども社会的な善悪で言うと必ずしも完全な善ではないかもしれないが、自分の思いに準じたのであろうそういう人生は、後ろ指をさされるどころか、不思議と潔いものでもある。
なので、自由に生きた人生は皆から尊敬はされないかもしれないが、愛される。そして心地よい清涼感を残すものなのである。(p.61)
躾けの効く犬のような賢明さよりも、猫のように飄々と生きる自由さの感じがいいということなのだろう。犬好きという人は、他者に忠誠的なことを期待する分、依存的なのかもしれない。もちろんやりたい放題といっても、人の道にそむくことではない。けれども社会的な善悪で言うと必ずしも完全な善ではないかもしれないが、自分の思いに準じたのであろうそういう人生は、後ろ指をさされるどころか、不思議と潔いものでもある。
なので、自由に生きた人生は皆から尊敬はされないかもしれないが、愛される。そして心地よい清涼感を残すものなのである。(p.61)
雑誌の中で、「あなたは、猫派? 犬派?」 というような記事を読むことがあるけれど、チャンちゃんは 「犬派」 と答えるだろう。 同類相憐れむからである。しかし本当は 「毛むくじゃら」 であればなんでもいいのである。私のハートは、かなり以前から猫派になっている。猫の親分の伸びやかさから学んだ。
親戚縁者から愛想を尽かされてもいいように、また、ヒットマンにいつ狙われてもいいように、さらに、葬式をビジネスにする悪徳業者のカモにされないように、「火葬代10万円のみ」 と 「葬式不要と認めた遺書」 は既に準備済みである。
【遺産と介護】
たいていの人間は、「介護の沙汰も金次第」 であることを露にするのである。宗教団体に所属していようがいまいが、義だとか仁だとかは、直面する現実とは全く別世界の概念なのである。
主介護者のみに極大な負担がかかりながら、あくまで遺産は均等であることに主介護者は納得がいかず、介護意欲が著しく低下することがある。ましてやこの配偶者という血のつながっていない関係では尚更である。
あるいは遠方の家族が、それでも遺産が均等割りされることに安堵し、途端に足が遠のいたりする。早く平等にをモットーにしたために、現実とそぐわなくなってしまい、結果人間の本性が露になり親は傷つく。いずれも義や仁が足りない行いだと思うのだが、なかなか人の世は難しいものである。(p.96)
『リア王』 の物語りのように壮絶な殺し合いとまではゆかなくとも、いずれ多くの人々がそのような状況に遭遇することだろう。あるいは遠方の家族が、それでも遺産が均等割りされることに安堵し、途端に足が遠のいたりする。早く平等にをモットーにしたために、現実とそぐわなくなってしまい、結果人間の本性が露になり親は傷つく。いずれも義や仁が足りない行いだと思うのだが、なかなか人の世は難しいものである。(p.96)
たいていの人間は、「介護の沙汰も金次第」 であることを露にするのである。宗教団体に所属していようがいまいが、義だとか仁だとかは、直面する現実とは全く別世界の概念なのである。
【世界で一番死を恐れている国民】
日本を継ぐ異邦人の皆さんの危惧を思い出してしまう。
《参照》 『日本を継ぐ異邦人』 井上和博 (中央公論社)
カール・ベッカー氏は著書で、世界で一番死を恐れているのが現代の日本人なのではないかと示唆している。無論、戦前はそのようなことはなかった。けれども、今は一番恐れているというのである。そしてその理由として、来世に対する信仰が薄くなったことと不可分ではないだろうと指摘している。(p.198)
かなり意外な記述であるけれど、実際にそうであるとするならば、日本文化は相当深部まで破壊されていることになる。日本を継ぐ異邦人の皆さんの危惧を思い出してしまう。
《参照》 『日本を継ぐ異邦人』 井上和博 (中央公論社)
【日本を継ぐ異邦人の危惧】
【宗教も 「セカンド・オピニオン」 を・・・】
自分で本を読んで宗教に入った人はまだいい。新たに自力で別の宗教を選んで学べる可能性が高い。ところが、他者から進められたというだけで入信し、他の宗教者の著作を決して読まない人というのはかなり危険である。比較する対照を持たないと、いかなる人物であれ、決して優劣・聖邪など判断できない。知力のない人は、それぞれの宗教団体が持つ神霊的な枷を、自力で外せる可能性が薄いのである。
日本人はお人よしだから、初めてある新興宗教の教義等を聞くと、一瞬で心を奪われてしまうこともある。それで救われるならよいが、医者ばかりでなく、宗教も 「セカンド・オピニオン」 を求めてみても良いのではないだろうか。
ひとりの宗教者が言うことより、別の宗教者が言うことのほうが、自分にマッチしているなんてこともあるだろう。いくつかの宗教に触れてみて、比較吟味してみるのが良いのではないかと思う。(p.201)
まとうな考えであると思う。宗教者のレベル(霊格)というのはかなりバラバラである。しかし、われわれ凡人であっても、ある程度本を読んでいる人であれば、その著述内容から著者の見識の深さ浅さなど、普通に分かることであるし、社会常識的な基準を持って宗教者の著作を読むことで、比較的正しく宗教者のレベルを判断できるはずである。ひとりの宗教者が言うことより、別の宗教者が言うことのほうが、自分にマッチしているなんてこともあるだろう。いくつかの宗教に触れてみて、比較吟味してみるのが良いのではないかと思う。(p.201)
自分で本を読んで宗教に入った人はまだいい。新たに自力で別の宗教を選んで学べる可能性が高い。ところが、他者から進められたというだけで入信し、他の宗教者の著作を決して読まない人というのはかなり危険である。比較する対照を持たないと、いかなる人物であれ、決して優劣・聖邪など判断できない。知力のない人は、それぞれの宗教団体が持つ神霊的な枷を、自力で外せる可能性が薄いのである。
家族の一人が怪しい宗教に帰依してしまったために、家庭が崩壊してしまう例も少なくない。安全に使えるようになった医療用麻薬などと違い、怪しげな宗教は完全な 「麻薬」 であろう。考える力を奪うことで、苦しみも取る、そういうことだ。とにかく怪しい宗教に対して免疫をつけておくためにも、一般的な宗教を一度は学習することをおすすめする。(p.205)
日本人であるならば、仏教を学んでから神道に接すれば、広くかつかなり奥深い領域まで理解はすみやかなはずである。神道系なら広範な日本文化力ももてることだろう。<了>
《類書》 『人生の実力』 柏木哲夫 (幻冬舎)