
シュタイナー教育に関連した本だから読み始めたのであるけれど、予想外の内容だった。
【明るい光は投げかけられるか】
「人生を意味あるものにしたい」 「生きる目標を確かめたい」 「自分の使命を知り、それを成し遂げたい」 と願い、生きることを今真剣に考えておいでの皆さまにとって、ルドルフ・シュタイナーの説く 「人生の七年周期」 の考え方は、その道を示し、その道に必ずや明るい光を投げかけてくれることを、わたしは私自身の体験を通して、強く確信しているのです。(p.23)
こう書いてあるけれど、この本は殆ど自伝的な記述が殆どであり、読者が個々に援用できるようなシュタイナーの叡智はあまり記述されていない。ゆえに、多分読者は、ちょっと期待外れの感を抱くことだろう。
【自分が歩んできた道が明らかにされない限り・・・】
この著作の後半には、エクソサイズとして過去の出来事の想起を促す記述があるけれど、それに該当する記憶がなければ、とうてい有効利用できない。
あるいは、そういう人にお薦めなのかもしれない。本書の最後にはこのように書かれている。
ルドルフ・シュタイナーはこう言っています。 「すべての人にとって、自分が歩んできた道が明らかにされない限り、希望と確信をもって前に進むことができない」 と。わたしたちが 「より自由で、より自立した存在」 になるために、そして、残りの人生をより意味深いものにし、人生の目標を遂げるために、使命を果たすために、これまで歩んできた道を明らかにする作業を、ご一緒に続けましょう。(p.39)
このシュタイナーの言葉を置き換えたのが、この本の横帯に記されている 「あなたの過去には、未来への答えがある」 という記述なのであろう。つまりこの著作は、このシュタイナーの言葉に則して 「7年周期説」 を当てはめた結果論的な自伝である。この著作の後半には、エクソサイズとして過去の出来事の想起を促す記述があるけれど、それに該当する記憶がなければ、とうてい有効利用できない。
あるいは、そういう人にお薦めなのかもしれない。本書の最後にはこのように書かれている。
最後に提案したいことがあります。
皆さま、「自分史」 を書きましょう! (p.342)
皆さま、「自分史」 を書きましょう! (p.342)
【私の確信も、相手にとってはただの押しつけ】
わたしが確信を持って話すことも、行為することも、それを理解されないときには、相手にとってただの押しつけになると言うことを学びました。
「わたしたちには、人に応じて真理を語るという義務がある。わたしたちは、ほかの人が立っている真理の段階で、その人を支える必要があるということを明らかにしておかなくてはならない」 というシュタイナーのことばをしみじみかみしめた年でもありました。(p.129)
仏教でいうところの 「対機説法」 のことだけれど、こんな当然のことを、著者は日本でシュタイナー教育の普及を始めた50歳の時に、しみじみ学んだと書かれている。「わたしたちには、人に応じて真理を語るという義務がある。わたしたちは、ほかの人が立っている真理の段階で、その人を支える必要があるということを明らかにしておかなくてはならない」 というシュタイナーのことばをしみじみかみしめた年でもありました。(p.129)
【人生の半ばにさしかかったら・・・】
シュタイナー教育は、深い霊智を元にしているから、その依って立つところは宗教のそれと近似している。
下記にある “人生の半ば” とは、42歳以降ということらしい。
つまり、聖職者として生きることを決意した人以外、若い頃から中途半端に宗教になんかかぶれるとロクなことにならないよ、ということである。
シュタイナー教育は、深い霊智を元にしているから、その依って立つところは宗教のそれと近似している。
下記にある “人生の半ば” とは、42歳以降ということらしい。
人生の半ばにさしかかった今、わたしたちは受け取る側から与える側へと変わらなければなりません。いわば此岸(こちらの岸)から彼岸へ、「自分のために生きる」 生き方から 「人のために生きる」 生き方へ方向を転じる必要があるのです。物質的な生き方から精神的な生き方、つまり、「自分自身より他者を大切にし、その他者に帰依する」 生き方に変えることを求められているのです。(p.64)
「もしもこの時、精神的な生き方を始めることができないと、人は生きることの意味を見い出せず、絶望してしまう」 とルドルフ・シュタイナーは言っています。(p.143)
これは正論なのだろうけれど、若い頃から物質的なことにあまり拘らず、精神的・宗教的なことばかりに関わっていたような人々は、人生の半ばに至って実生活者として破綻してはいないだろうか。物質的にも精神的にも綻びている人々が多いような気がする。「もしもこの時、精神的な生き方を始めることができないと、人は生きることの意味を見い出せず、絶望してしまう」 とルドルフ・シュタイナーは言っています。(p.143)
つまり、聖職者として生きることを決意した人以外、若い頃から中途半端に宗教になんかかぶれるとロクなことにならないよ、ということである。
【権威と帰依】
《参照》 『ドイツ人のまっかなホント』 S・ツァィデニック/B・バーコウ (マクミラン・ランゲージハウス)
【権威と敬意】
シュタイナー教育は “魂の教育“ を中心に見据えているはずだから、当然このような考え方をする。現在の日本の教育は ”白痴化教育“ だから、民族も文化も伝統も、魂に関与することはあらかた無視するのである。
シュタイナー教育の考え方では、小学生の前に立つ教師は 「権威」 でなければならない・・・とされています。「このひとについていったら、きっとこの人のようになれるにちがいない」 「この人の言う通りにして、私はこのような立派な大人になりたい」 ・・・(中略)・・・ 。
この頃、権威や英雄と仰ぎ見る人に出会い、その存在にすべてを委ね、捧げるという体験をした子どもは後に 「帰依する」 ことができるようになると言います。(p.199)
教師と生徒間の関係において、教育は平等であってはいけない、という根拠はこれである。子供の頃に特定個人の 「権威」 を通じて帰依することを学んだものは、大人になってからも、より高い精神的価値に向かって 「帰依する」 ことができるのである。この頃、権威や英雄と仰ぎ見る人に出会い、その存在にすべてを委ね、捧げるという体験をした子どもは後に 「帰依する」 ことができるようになると言います。(p.199)
《参照》 『ドイツ人のまっかなホント』 S・ツァィデニック/B・バーコウ (マクミラン・ランゲージハウス)
【権威と敬意】
シュタイナー教育は “魂の教育“ を中心に見据えているはずだから、当然このような考え方をする。現在の日本の教育は ”白痴化教育“ だから、民族も文化も伝統も、魂に関与することはあらかた無視するのである。
<了>