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 2002年初版だけれど、内容は1970年前後に話されたものらしい。それぞれの質問について、分かりやすく回答されている。

 

 

【出家】
 出家するというのは、本当は三界の業の世界から出ること。業の家を抜け出す、ということが出家するということであるのに、ただ坊さんになれば出家したと思う。そうではなくて、坊さんにならなくたって、在家で、過程をもちながらでも、仕事をしながらでも、三界の業の世界を抜け出ることが出来るのです。形の世界においては、三界の肉体世界に生活していますけれども、想いが常にそれを抜け出して、神様の世界にいれば、それは業の世界を抜け出していることになるのです。(p.31-32)
 在家で生活しながら出家を達成する。これ即ち日本古来の神道的人生観なのだろう。故に、日本では小乗(出家)仏教より、大乗(在家)仏教が尊ばれてきた。
 日本が大乗仏教を尊んだもう一つの理由は、 “上求菩提・下化衆生” という両輪の修業を成す上で、 “下化衆生” は在家の人々を対象とせねばならなかったからなのだろう。

 

 

【空・無為】
 業想念が消えてゆくと、 ・・・(中略)・・・ 本来の神の生命がそのまま生きてくる。
 年中、神の叡智や能力が入ってくるんですよ。それを人間は業想念でふたをしてしまって、拒絶しているわけなんです。それで頭の中に溜まっている蓄電池の想いでもって、ああじゃない、こうじゃない、とやっているんです。それを常に直通する、天地を貫く生命の波にすればいいんです。そのために、ああじゃない、こうじゃないという想いをなくす。それが 「空になれ」 というお釈迦さまの教えだったり、「無為にしてなせ」 という老子の教えだったりするわけです。(p.46-47)
 シンプルで分かりやすい。

 

 

【意志か、おまかせか】
 自分の意志を貫いてゆく生き方にするか、神様にまかせて、神様から頂き直すという生き方にするか。それは自分で決めていいんです。自分はこうやりたい、自分はこういうものになりたい、ということは自分で決めなければなりません。決めておいて、今度は天命を完うせしめたまえ、と言って、神様の中に全部、全託するわけです。それで自分の意志のまま進んでゆく。そうすると、それが本当に天命でなければ、パッとなんかのことで変えられちゃいます。(p.54)
 逆説的だけれど、意志が明確でないと天命すら明確にならないということになる。意志が明確でない人ほど、“自分の天命って何だろう状態” を浮遊することになる。これって宗教団体をいつまでも卒業できない留年生みたいなものだろう。そんなんだったら、とっとと止めた方がいい。

 

 

【宗教との付き合い方】
 ただ神様に助けてもらおう、何も苦労しないで助けてもらおうという考えで、宗教に入っているような人が随分いますが、それは間違いであって、自分の中の本当の力、自分に与えられた力をうまく出せるように、うまく発揮できるように、という意味で、神様につながって、神様を信ずることによって、自分の中のものを引き出していく形が一番良いわけです。(p.76-77)

 

 

【サタンとか魔って何?】
 私はあまり悪魔とかサタンとか言いません。業想念といっております。どういうことかと言いますと、神様の世界は微妙な世界、微妙な波動です。一瞬にして現れる。だからそこには魔がないんです。魔というのは間ですからね。間があくから魔が生じる。
 神様の世界は一つの神様がわかれて、いろんな形をとる。霊体をまとい、幽体をまとい、肉体をまとって来ます。そして人間という形になります。五感に感じる世界というのは、粗い波になっているから見えるので、微妙なら見えなくなってしまう。幽界とか霊界というのはまだ粗い波なのです。微妙な波が粗い波に変化して現れてくるのですから、どうしても間ができる。 ・・・(中略)・・・。
 キリスト教でいう原罪が生まれたわけですね。 (p.148-149)
 通常語られる陰陽のカウンターパトナー関係の説明とは違っている。
 波動の違いによって生ずるという科学的説明と、間と魔という言霊のペアリング。これこそ振動論(神道論)。

 

 

【インドの宗教】
 インドなどは宗教の国で、儀式や何かやって、いつも霊界との交渉ばかりなんです。肉体界の進歩とかをあまり考えようとしないんですよ。霊界、幽界の規則に把われてしまて、肉体人間の進歩というものを考えない。いつでも向こうの儀式ばっかりに把われている。神の罰を恐れて、それをしなければ罰が当たるから、それをしなければいけないとやっている。そうすると、物質文明が栄えてこない。
 ガンジーのような素晴らしい偉い人でも、霊波動、神なる本体のほうばかりを思っていて、肉体の進化、肉体世界の文明文化というものをとても嫌ったんです。(p.162)
 それ故インドでは、物質的産業ではなく、バーチャル的IT産業に親和性があり、近年になってその産業で発展してきということになる。

 

 

【孤独感をとる方法】
 いくら映画をみたって、テレビをみたって、趣味をもったって、それは単なる付け加えであって “神様有難うございます” といつも思っている意外に、孤独感をとる方法はありませんよね。
 先祖の悟った霊(守護霊)や縁者が一緒にいるんだな、神様がいつも一緒にいてくださるんだな、神様有難うございます ――― と思っていると、とても心豊かになります。(p.171)
 私は不敬な輩だから “神様有難うございます” なんてめったに思わないけれど、それでも孤独なんて感じたことがない。多分、どっか壊れてるんだろう。つまりイカレポンチ。これも一つの安寧。

 

 

<了>
 

  五井昌久・著の読書記録

     『光明をつかむ』

     『質問ありませんか 2』

     『心貧しき者は幸いなり』

     『大決意』