
著者は、既に亡くなられている宗教家であるけれど、特定の教義・教学をもって 「この経典だけが正しい。あの経典は間違っている」 などと馬鹿げたことを言わない方だったので、学生の頃から読んでいた。
概して神道系の宗教団体は、拠り処とする特定の経典などないから広い視野で正しく宗教を語っている。
仏教系・キリスト教系の新興宗教団体は、組織力維持のために教義・教学の正当性を用いるから質が悪い。
仏教系・キリスト教系の新興宗教団体は、組織力維持のために教義・教学の正当性を用いるから質が悪い。
ちなみに、タイトルの 『心貧しき者・・・』 とは、「謙虚な者」 という意味である。
【正しい宗教の存在理由】
【正しい宗教の存在理由】
問:全てがきめられていて、人間の側でどうにもならないとしたならば、救いがないと思いますが・・・
答:私の知っていることは、人間の運命というものは、いっぺんは決まっている。けれど決まっているのは、業、つまり想念の世界で決まっていて、それが徐々に現象の世界に現れてくるわけです。ところが決まったことがそのまま現れてくるんだったら、宗教も何もない。何も一生懸命やる気もなくなるし、神も仏もないわけです。
神さまの世界は実に円満なのですから、戦争も、争いも、不調和なものは何もないのです。では争いごとがどこに現れているかというと、幽界という肉体世界に近い想念の世界に現れているわけです。それがやがて現れてくる。現れてくると、予言としては、何度も何度も戦争があって、しまいには人類の3分の2は滅びてしまう。しかも大変な苦しみをするということになっています。
神さまがその予言のように、そのまま放っておくとすれば、愛でもなんでもありゃしない。ところが神さまは愛だから、キリスト教で言えば天使、私たちは守護神と言っていますが、守護の神霊をつかわして、この幽界にある大変な業想念を一生懸命、光りで浄めている。援助しているわけです。そして、幽界に積まれている業想念をどんどん消し去って、最小限度の災いで、最小限度の苦しみで、平和を築き上げようとして、神々が働いていらっしゃる。それを救世の大光明というのです。キリスト教で言う大天使、ガブリエルもいるでしょうし、ミカエルもいるでしょう。世界中と言ったって、地球だけではなく、宇宙の星からも応援に来て、守護の神霊が地球界の業想念を浄め去ろうとして、一生懸命働いていらっしゃる。
救世の大光明に波長が合うと、光明がその人を通して周囲に振りまかれる。大勢の人々がやれば、どんどん世界中に広まってゆくわけです。早く広まれば広まるほど、幽界につもっている業想念が早く消えてゆく。そうすれば災害が少なくてすむわけです。
そのために宗教があるのです。そういう祈りをする宗教がたくさんあれば結構ですね。災害があるから、恐ろしいから悔い改めよ。なんて言うことでなくて、積極的に世界を平和にしよう、という大きな愛の心が働いて、それで働くのでなくては、人間として生きてゆく値打ちがない。 (p.168-170)
答:私の知っていることは、人間の運命というものは、いっぺんは決まっている。けれど決まっているのは、業、つまり想念の世界で決まっていて、それが徐々に現象の世界に現れてくるわけです。ところが決まったことがそのまま現れてくるんだったら、宗教も何もない。何も一生懸命やる気もなくなるし、神も仏もないわけです。
神さまの世界は実に円満なのですから、戦争も、争いも、不調和なものは何もないのです。では争いごとがどこに現れているかというと、幽界という肉体世界に近い想念の世界に現れているわけです。それがやがて現れてくる。現れてくると、予言としては、何度も何度も戦争があって、しまいには人類の3分の2は滅びてしまう。しかも大変な苦しみをするということになっています。
神さまがその予言のように、そのまま放っておくとすれば、愛でもなんでもありゃしない。ところが神さまは愛だから、キリスト教で言えば天使、私たちは守護神と言っていますが、守護の神霊をつかわして、この幽界にある大変な業想念を一生懸命、光りで浄めている。援助しているわけです。そして、幽界に積まれている業想念をどんどん消し去って、最小限度の災いで、最小限度の苦しみで、平和を築き上げようとして、神々が働いていらっしゃる。それを救世の大光明というのです。キリスト教で言う大天使、ガブリエルもいるでしょうし、ミカエルもいるでしょう。世界中と言ったって、地球だけではなく、宇宙の星からも応援に来て、守護の神霊が地球界の業想念を浄め去ろうとして、一生懸命働いていらっしゃる。
救世の大光明に波長が合うと、光明がその人を通して周囲に振りまかれる。大勢の人々がやれば、どんどん世界中に広まってゆくわけです。早く広まれば広まるほど、幽界につもっている業想念が早く消えてゆく。そうすれば災害が少なくてすむわけです。
そのために宗教があるのです。そういう祈りをする宗教がたくさんあれば結構ですね。災害があるから、恐ろしいから悔い改めよ。なんて言うことでなくて、積極的に世界を平和にしよう、という大きな愛の心が働いて、それで働くのでなくては、人間として生きてゆく値打ちがない。 (p.168-170)
<了>
五井昌久・著の読書記録