《前編》 より

 

【イギリスの食】
 イギリスの支配階級の子弟を教育するパブリックスクールは全寮制ですが、ここの食事がまた非常に不味いそうです。しかもわざと不味くしているそうです。その理由は、「食事の快楽に溺れるようでは自制心・克己心が欠如し、立派なリーダーになれない」 からだとか。(p.24-25)
   《参照》   『バトル・アビー こころの教育』 西浦みどり (廣済堂出版)
            【女性の役割】

 美食になど全然興味がなくグルメ情報に長けている人をやや蔑視気味に見つめているチャンちゃんは、「前世イングランド人だったから」 とその理由を猫の親分に語っていたことがある。そんなチャンちゃんではあるけれど、イングランドの現地の食事を経験して、「不味過ぎ!」と呆れた。あんなに不味いと、自制心や克己心が育つどころか、元気なくなる。
   《参照》   『呪術がつくった国日本』 上田篤 光文社
            【イギリス料理】

 

 

【グルマンなフランス】
 (ルイ14世)当時、「何を食べるか」 以上に 「大食をする」 ということが大事だったからです。つまりみんながちゃんと食べられない貧しい時代だからこそ、たくさん食べるということが権力の象徴となったわけです。グルメの世界ではなくてグルマンの世界です。(p.53)
 不味すぎるイギリスも 「ちょっと・・」 という感じだけど、グルマンなフランスも 「ちょっと・・・」 である。
   《参照》   『帰化日本人』 黄文雄・呉善花・石平 李白社 《後編》
            【腹いっぱいの幸せ】

 どの国もたいていは、グルマンからグルメへと変遷するはずである。

 

 

【フランスの食】
 2005年、フランスのシラク大統領がロシアのプーチン大統領との首脳会談の席でイギリス人を評して 「食い物のまずい国の人間は信用できない」 と発言し、物議をかもしました。(p.34)
 こう評されたイギリス人は、「食事の快楽に溺れるようなフランス人は、自制心・克己心が欠如しているから、信用できない」 と思い返していたに違いない。
 ところで、上記のシラク説に従うならば、フランス人が一番信用するのは日本人ということになるだろう。

 

 

【ヌーベル・キュイジーヌとロブション】
 ヌーベル・キュイジーヌがどうして1970年代から一つの流行になったのかは諸説あってはっきりしないところもありますが、フランスに修業に行った日本の若い料理人たちが相当な影響を与えていたことは間違いのない事実です。(p.9)
 フランスで活躍した日本人シェフたちは、そうやって日本的な繊細な味覚を本場のフランス料理の中に注入していったのではないでしょうか。
 今やフランスの三ツ星レストランで日本人の料理人がいない店はないとか、逆に日本人料理人がいないと、高いレベルを維持できないという話すら聞きます。(p.147)
 おそらくロブションの成功の秘密の一つは、彼の日本料理の知識だったのでしょう。今では日本料理の手法や素材をうまく採り入れるということが、パリでもニューヨークでも常識になっていますが、ロブションはそれを20年近く前からやってきたわけです。(p.146)
 フレンチ界の旗手として有名なロブションが、日本に来るたび寿司屋の 「次郎」 に来て何度も日本食を経験していたことは、今ではテレビなどで放映されて有名な話であるけれど、今更 「次郎」 がミシュランで三つ星に評価されたというのはおかしな話で、次郎さんがロブションの店を三つ星と評価するのが筋である。
 なんで日本人はそんなに謙虚なのだろう。ルイ14世の時代から、 “日本の醤油” はフランス料理に用いられていたのである。

 

 

【フランス料理と日本料理】
 偏見を承知で言わせてもらえば、フランス料理というのは場合によると古くなった魚や肉をいかにうまく食べさせるかという技術であり、日本料理は新鮮な素材のそのものの味をどうやって活かすかという技術であって、全然コンセプトが違うのでしょう。(p.172)
   《参照》   『京都の発想』 谷口正和 徳間書店
            【パリ vs 京都】
 あれほどプライドの強かったフランス料理でさえ、ポストモダンの時代に入ってきてからは料理の性格が変わってきているわけで、それが志向するものは何かというと 「健康」 ということなのです。(p.190-191)
 食の志向に関する変化は、もちろんフランスだけではない。世界中である。
 大量生産・大量消費という 「食」 の工業化を推し進めてきたアメリカを中心とする世界の先進国は、押し並べて 「自然への回帰」 へと向かう。日本食はそこにピッタリと当てはまっている。

 

 

【日本古代の食文化】
 志摩観光ホテルで料理長を務めていたフレンチのシェフ・ 高橋忠之さんが辻嘉一さんと共著で出版した 『神々の饗 - 太陽と土と海の恵み』 という本がありますが、その中で高橋さんは古代の食文化を 「アワビ文化」 と書いているほどです。(p.167)
 食卓では殆ど見ることのないアワビ君。昔は山に住んでいた。ワラビを食べようとしたら、あまりに不味かったからお口がビビってあんな形になったまま海に落ちて現在に至っている。ワラビの不味さに泡食ったのがアワビという名前の由来である。(猫の親分用スペシャル解説::事実は小説より奇なりっていうけれど、そういうことだよぉ~)
 乾物はまた、かなり古くから、中国へ輸出もされています。
 中でも俵詰めされた水産加工品、煎海鼠(いりなまこ)、乾鮑(ほしあわび)、鱶鰭(ふかひれ)の、いわゆる 「俵物三品」 は非常に珍重されていました。(p.168)
 へぇ~。
 水気に充ちた海産物を太陽に晒すことで火気を注入し、神(火水)への供物としたのだろうか。輸送のための重量軽減や保存という現実的な目的以外に、そんな解釈があってもいいように思う。実際、乾物にすることで味や栄養価は増していることだろう。
 世界が日本食に熱い視線を向けている今日なのだから、日本人は古代日本食文化の中から温故知新すべきものがあってもいいように思う。
 
<了>