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 1990年代の前半は、この書籍のようなチャネリング系の書籍で賑わっていた頃だった。読み終えたそれらの多くは日陰の書庫に行ってしまったけれど、この書籍だけは何故か居間の本棚に入っていた。91年4月初版。92年、94年に読いて再三読。

 

 

【直観】
北川 : 「直観」 っていうのは、「観じとる」 ことです。「観じとる」 っていうことは 「勘を知る」 っていうことなんです。それに対して 「考える」 ってことは 「勘を変える」 ってことなんですよね。考えると、最初から自分の 「勘」 を捨ててしまう。(p.34)
 本ばかり読んでいて知性に傾き過ぎると 「直観力」 は鈍ってしまう。また、お金や物といったこの世的な価値基準にばかり従って、自分自身の中にある本当に素直な心を騙し続けていても、やはり鈍ってしまう。
 自分自身をゴマカシやマヤカシで、騙し続けることに慣れてしまう・・・・。
 そうやっているうちに脳内の情報経路・感情経路は 『騙し・欺く』 電流に磁化されてゆく・・・つまりストレートな経路を通らなくなってゆく。ストレートな経路の横に 『騙し・欺く』 バイパス経路ができてしまう。(p.32)

 

 

【愛情】
北川 : 以心伝心というものは、いま本当に廃れていますね。 ・・・(中略)・・・ 。
 相手を信じていないのがひとつ。直感力が鈍ったのがひとつ。
 三つ目には、愛情というものが分かっていない。他人を自分と違うということがわかって初めて他人に対する愛情というのが成立する。一緒だから愛するんじゃないの。自分と似ているとか、自分と同じだからということで、それが心地よい、楽だというふうに変な解釈をしてしまう。(p.46)
 つまり自己愛を愛情であると取り違えている。
 長所伸展法の骨子を、好き嫌いの物差しに単純変換して理解しようとする人々というのは、つまり自己愛基準の人々なのである。自己愛は、相手に自分のシナリオを演じて欲しいと望む。現実世界はそんなに好都合が通せるようなところではありえない。
 自己愛が強烈な母親の子供は悲惨である。シナリオを投影されたその子供が気弱な男の子であれば、このうえなく悲惨である。強烈な母原病を発症する。

 

 

【男と女】
 “20世紀は破壊の世紀で、これは男たちによって為されてきた。21世紀は創造の世紀で、それは女性が担うものである“ というような認識で、女性の社会進出が叫ばれてきた。
   《参照》   『男の世紀は終わった』 安田千惠子  堀内出版
             【21世紀は女の時代】

 しかし、このような認識は、実は、霊的エネルギーの様相を、必ずしも正しく捉えていない。
 女性の時代と言われるようになって久しいけれど、この世相は、地球にとってイエローからレッドへと信号の色を速やかに変えることに貢献しているにすぎないのである。
 長い引用になるけれど、重要なことなので書き出しておく。
 男女双方共に原理、つまり両極エネルギーを受け入れる器としての男性部分と女性部分を併せ持つが、エネルギー発信体としての創造・破壊エネルギーを双方共に持っているのは女性である。肉体的に創造できるが故の破壊の能力とも言える。
 しかし、女性の創造エネルギーは、一期完結性というタイプの創造エネルギーで創造力の対象と範囲に限界がある。
 射程距離に例えて言えば女性の創造力は射程距離が短く、男性の創造力は射程距離が長いといえる。(p.167)
  ・・・(中略)・・・ 。
 男性の創造エネルギーに優れた働きをさせようとすれば、女性の破壊エネルギーが必要になる。
 良き創造は良き破壊との組み合わせで成立するからである。
 破壊の持つ飛散する力としてのエネルギーと、創造の持つ構築する力としてのエネルギーは相反する力だが、お互いに片方だけでは均衡が保てないだけでなく成立しない力なのだ。
 女性のエネルギーなら、どんな状態でも破壊エネルギーで、男性の創造エネルギーの糧となるか? 現在の問題はここにある。
 原始時代ならともかくも、現代は教育という名の下にエネルギーの変質化が行われているからだ。現状では女性の本来持つ破壊エネルギーは、自己充足の域を出ない程度の規模になってしまっている。
 つまり女性自身の創造力を補足・促進するだけの破壊エネルギーしかない状態になっている。
 つまり男性は女性から純粋な破壊のエネルギーが貰えなくなってきているという事だ。しかし男性にとって破壊のエネルギーは、自身の創造力にとって起爆剤とでもいうべきもので、表現しようとすれば必要となってくる。表現者として生きようとすれば、当然のことながら必要になってくるものなのだ。
 特にこの頃、女性が表現者として社会の表面に現れてくる事が多くなった。自己充足の表現者として、女性が社会に出てきたのには大きく分けて二つ理由がある。
 一つ目には、前述の教育によるエネルギーの均等化、変質化があげられる。この傾向は特に第2次世界大戦後の、安易な民主主義思想の輸入によって促進されることとなった。没個性、没特性の促進ともなった。これは民主主義の誤った解釈が意図的に行われた結果だろう。
 もう一つは、前述のメッセージの母原病の席巻による男性の弱体化だろう。純粋なる破壊エネルギーを男性に供しようとすれば、絶え間ない自己犠牲の精神が必要となってくる。つまり絶え間ない自己破壊の連続の結果、破壊エネルギーは純化されてゆくからだ。
 その作業は、現在では男尊女卑と呼ばれ、疎まれる傾向の強い作業であり、その作業の結果としての、純化された破壊エネルギーを受け止め、自分の中に取り入れ、起爆剤として創造力を発動させる為に使えるだけの力をもった男性が減ってしまった事が大きな理由の二つ目だ。
 現在では、ほんの一部の男性の中に、弱体化以前の男性の片鱗を見ることが出来るだけで寂しいものだ。しかし、それも片鱗でしかない。

 表現者としての男性エネルギーと、絶え間無い自己破壊の連続の結果の純化された破壊エネルギーを持つ女性エネルギーの結合による、破壊を内在、包含する表現は、全ての人々の中に眠る 『至福の為の創造願望』 を揺り動かす事が出来る。それら眠れる人々の心臓を捕まえて離さない、強くそして優しい、固くそして柔らかい、醜くそして美しい、二律背反のエネルギーこそ、現在の人々が、生物的に感知している 『破滅の予感』 に揺さぶりを掛けて、破滅の為の大いなる非連続の破壊ではなく、創造の為の小なる連続の破壊を引き起こすことができるのだ。

 創造のための小さな連続の破壊は、車のエンジンの原理と似ている。車のエンジンは小さな連続した爆発の力で、車を推進させる。
 破滅の為の大いなる非連続の破壊は、原子力爆弾搭載ミサイル発射ボタンを押す行為に似ている。指一本で大いなる破壊が行われる。連続などあり得ない。連続する場は、最初のアクションで消滅するからだ。
 あなたがた、日本人の知恵は全世界を凌駕するほどのものなのに、何故に気が付かないのだろうか? (p.168-172)
 地球にとって特別な力を発揮しうる日本人が、伝統的な、性差にもとづく崇高なる創造のエネルギー発信形態を失ってしまったのが大きい。
 現在の日本において、性差に基づく全体的な回復を目指そうとすれば、無知な輩からの強烈な反撃が為されることだろう。反撃する者たちは、自覚的であるにせよ、ないにせよ、地球に止めを刺す役割を担っているのである。霊智を欠く人々というのは、それ故にこそ短慮であり、悲しいほどに無能なのである。
北川 : 女が天下をとってもうまくいくはずがない。だから卑弥呼の下にも豊司っていう男性がいたの。絶対女性だけではできない。だから、繰り返して言いたいんだけど、男性と女性の能力には、性差があるんですよ。初めから役割が違うのに何でもかんでも 「同じだ」 って言ってると、最終的にシンドクなるのは女性ですなんよ。(p.175)
 どんなに女性の社会進出が進んでも、そのような風潮に惑わされるどころか、自己犠牲という言葉すら想起することなく、あるいは自己犠牲こそが愛であると認識して、性差を弁え雌伏して家と社会と国家を支えている聡明な女性達は、まだまだ日本に少なからずいることだろう。
 しかし、明治維新を成し遂げ、帝国主義の脅威から日本を守った時代に比べると、女性が下支えしていた国力は、量的にも質的にも明らかに減衰していると言わざるを得ない。かつての賢母たちが、今や愚女になってしまっているのである。
    《参照》   日本文化講座⑧ 【 武士道 】
              【 女性 と 武士道 】
             【父権、復権の必要性】
    《参照》   『 Coming out 』   笹野みちる  幻冬舎 
 

 

 

 
<了>