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 レズビアン宣言とか言われていた書籍なのだろうか。著者の正直な思索過程が記述されているので、興味本位な妄想や肥大した予想にマッチするような内容ではない。
 前提としてバイアスを持ってしまうのは相応しくないけれど、著者は、おそらく日本で一番女性が強いと巷間言われている京都府出身である。

 

 

【「母性にからめとられる」 その因果】
 彼女は、・・・(中略)・・・。気位が高くて、建前は大事にするし、オシャレにも気を使うし。最初は「イヤなヤツだな」と思ってた。だけど、とにかく “母性エキス” みたいなのを飛び散らすのがうまかった。反抗期で親ともケンカして精神的に弱ってたこともあったから、私はもう、「母性エキスをふりかけられたらひとたまりもない」状態だった。自立だのなんだのってえらそうなこと言ってたのも、もう全部なし。まさに、「笹野みちる、母性にからめとられるの図」。・・・(中略)・・・。当時はカッコよく「忘我の恋」とか日記に書いてたけど、今思えば、実は単なるマザコン状態。 (p.31-32)

 母親は1933年生まれで、あの時代に、女で、大学教授になって、参議院議員にまでなったような人だから、たぶん、すごい闘いを乗り越えてきたんだと思う。・・・(中略)・・・。一人娘の私が「女」っていうプレッシャーに負けないで、「人間として」生きていくことができるように、っていう思いが過剰なくらいあった。・・・(中略)・・・。そういう母親だから、夫に対しても強い強い。 (p.61-62)
 母性的な役割を果たしてこなかった母親の娘が、母性を求めてレズビアンになってゆく。同様に、
 父性的な役割を果たしてこなかった父親の息子が、父性を求めてゲイになってゆくのだろう。
 家庭において両親の性差にともなう役割が、既存のあり方からずれているから、子供の性差認識に反映してしまうのである。
 男女平等を企てる輩の奸智は、このような形での家庭崩壊を正に狙っているのである。

 

 

【あたりまえ・・・】
 「人間は異性を好きになるもの」「女は結婚して、子供を生むもの」って、誰もがあたりまえのことのように言う。そのひとつひとつに対して、個人の生き方として、「それは私にとってあたりまえのことじゃないんだ」と説明していくのは、実はとってもむずかしい。 (p.133)
 この本の著者は、専ら「個人の生き方」という視点で記述している。「社会全体あるいは国家という視点」で考えた場合と、「個人という視点」で考えた場合の結果(正否)が逆になることは、当然のことながら多く存在する。
 生む性としての役割を否定することの延長に、家庭や社会や国家の健全な連続性および発展がないのはいうまでもない。男女平等を主張しながら、いざという時、戦場に立つ兵士となる覚悟のない女性同様、レズビアンの主張には、視点を変えて究極の思考実験に自らを晒すだけの、強靭な知性も、まともな見識もない。それはたんなる愚者の無責任である。
 男女共同参画委員会は、左翼サイドの思想を背景に、日本民族の文化・伝統を破壊するという秘められた目的達成を遂行するために存在している委員会である。ここに相談に行った女性は、“現実の日本社会は女性に対して不平等である” という言葉をそのまま受け入れて、女性の不平等に憤る集団の信者になって帰ってくる。
 女性の不平等に憤る信者となった女性は、女性の社会参加が日本より進んでいるアメリカに行って生きてみればいいのである。まったりとはしてはいられないアメリカ社会に自分自身が適応できるかどうか・・・・
  《参考》  『地球の回る音を聞きながら】  原水音 光文社
            【アメリカで生活して】

 個人の視点から離れて、社会や国家という視点においてなお、女性としての性差役割を否定する見解が正当化できるのなら、それなりの論拠を示せばいい。私にはその論拠に真摯に耳を傾ける心積もりがある。
 正当化できないのなら、自分の望む人生を、受け入れてくれる特定個人ないし集団と共に、ひそやかに生きてゆけばいいのである。レズビアンを指弾するつもりのない私は、レズビアンが社会に対して自らの正当性を主張する必要など何もないと思っている。

 

<了>