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 がばいばあちゃん の孫である著者の 「彼」 とは、いうまでもなく北野武のこと。

 

 

【仲人はやすし師匠】
 それぞれに違った漫才コンビを持ちながら、互いに芸風が気になっていたらしい。そんな二人が出会えたのは、キー坊(西川きよし)の相方であったやすし師匠の仲介なのだという。
 「お前に、東京の若手でおもろいヤツ紹介したるわ。関東では絶対にそいつがおもろい。感性がちがうでぇ」 (p.23)
 千葉の店で出会った後、ほったらかしにされて、店は閉店。手持ちが500円と700円の二人はタクシーに乗れず、始発電車が動くまで、深夜4時間歩きながら語り合ったのだという。

 

 

【深川不動尊】
 漫才ブームに乗って成功を収めた二人。
 突然たけしが、「今から深川不動尊にお礼参りに行こう!」 と言いだした。
 真夜中の深川不動尊、ふたりで手を合わせ 「おかげさまで俺たちもここまでこられました。ありがとうございます」 と、深々と頭を下げる。
 よった勢いで、たけしがボストンバックから札束を300万ほど取り出して賽銭箱に入れようとした。
「おい、何してんねん。300万はやりすぎや」
「いいんだ。俺の気持ちなんだから」   (p.60)
 この話には、まだ先があるのだけれど、「俺の彼」 の基礎的な人間性を語る好例なのだろう。

 

 

【タクシーの運転手】
 たまたま乗車したタクシーの運転手に言われた言葉。
 「私、たけしさんの大ファンなんですよ。たけしさんは降りるとき、いつも頭を下げて 『ありがとうございました。気を付けて行って下さい』 なんて言葉をかけてくれる。これまでいろんな芸能人を乗せてきましたけれど、あんないい人はいませんよ」 (p.79)
 他にも、周辺の人々を気遣う 「俺の彼」 の言動がいくつも記述されている。
 たけしは心底やさしい奴だ。下手な恋人よりもよっぽどやさしい。まさに 「俺の彼」 といってもいい奴だ。(p.108)
 「俺の彼」 に劣らず 「俺」 も感受性の強いやさしい人だ。
 「俺」 は 「俺の彼」 の頭の良さを常に褒め称えている。 

 

 

【 「お前、おでんか」 】
 「俺の彼」 が生死の間を彷徨う大事故を起こし、「なんとか持ち直しそう」 という連絡を受けてうれし泣きをした後、病院で会った。
 事故からしばらく後、陥没した頭がい骨を元に戻す手術が行われた。手術後、集中治療室に横たわっているたけしの顔はまん丸に膨らみ、支えのための針金状の棒が真横に貫通している。
 見るも無残な姿に、そばにいた奥さんは目に涙を浮かべている。
 いかん、ここで俺まで泣いたらあかん、芸人根性がすたる・・・・そこで、とっさに俺の口をついて出た言葉は、「お前、おでんか」 ・・・中略・・・。それを聞いた奥さんは、一気に泣き崩れてしまった。そばにいた医師も全員、顔を引きつらせ、開いた口がふさがらないという表情をしている。
 ただひとり、たけしだけが、「治ったら、殴るぞ・・・」 と、ニヤッと笑って突っ込みを返してくれた。(p.128)
 芸人さん達が危機に瀕した時に語られた、芸人根性から出たこの手の会話話しは、テレビで何度か耳にする機会がある。失笑しながらも当事者間に深い交流あってこその言葉が深く胸を打つ。

 

 

【たけしのかあちゃん】
 たけしが何か事件を起こすたびに、
「許してやってくださいね。あの子はほんとうにバカですから・・・・」
 と近所にお詫びをして回っていたかあちゃん。  (p.147)
 何があってもどんなことがあっても味方でいてくれるような母親なら幸いである。逆の母親なら、間違いなくその家系は衰退してゆく。

 

 

【愚問】
 (講演会の)質問コーナーで一番よく聞かれるのが、
 「テレビで被り物をつけて登場するバカなたけしさんと、映画まで作ってしまう頭のいいたけしさんと、どっちが本当のたけしさんなんですか?」 というものだ。(p.155)
 なぜ人は、単一の人物を想定するのだろう。「どっちもたけしさんに決まってるじゃん」 である。
 人に対する分け隔てない優しさも、出すぎたマスコミに対する暴力制裁も、子供みたいなナイーブさも、照れ屋も、家に帰っての勉強家も、みんな本当のたけしさんである。
 人の性格や社会の事象等に関しては、高校の受験問題のように単一の答えを出せることなどありえない。単一な答えを想定する性を抜け出せないのは人間や人生に対する智恵がない証拠である。自分自身にですら真摯に向き合ったことのない人々が愚問を発し、安易に人を判定し決めつけようとする。
 
<了>