
主に60歳前後の読者を想定して書かれているけれど、それより若くとも精神的に老け込んでいるオジちゃんオバちゃん世代にも何らかの指針を与えてくれる書物である。
【“使わない症候群”】
“使わない症候群”から脱出するための方法はいくつもあるけれど、日野原先生ご自身は、オスラー博士
人間の体力や頭脳は、使わないと、どんどん退化します。とくに老人の場合には、 “使わない症候群” とでもいうべき一種の病気にもなりかねません。 (p.17)
アルツハイマーになる人って、つまり「できない」と思い込んでしまっているか、「やりたくない」と決意している人々なのだろう。いずれにせよ“使わない症候群”の成れの果てである。“使わない症候群”から脱出するための方法はいくつもあるけれど、日野原先生ご自身は、オスラー博士
【時空を超えて継承されるもの】
をモデルとして以下の方法を実践してきているという。
をモデルとして以下の方法を実践してきているという。
【モデルを定めて真似てみる】
《参照》 『上司の極意』 ジェフリー・J・フォックス 光文社
「ああいう人になりたいな」と、漠然と思っただけで努力がともなわなければ、月を仰ぎ見て吼えるだけのオオカミと同じです。月に行きたければ、行くべく努力することが大切なのと同様に、モデルに心酔したなら、そうなるべく努力が必要なのです。 (p.73)
憧れてもそれに伴なう努力は、凡人にはなかなか難しい。でもそれって、本当に憧れていない証拠。継続する努力が伴えば、モデルに対する憧れが強く深くなることも事実。
人生というのは、あきらめないで継続し続けるかぎり、敗者も勝者もありません。あきらめたときにはじめて敗者となるのです。 (p.78)
これに関しては、年齢は全くの無関係。人生の揺るぎない “至言” である。《参照》 『上司の極意』 ジェフリー・J・フォックス 光文社
【幸運とは・・・】
【鈴木大拙先生の生き方】
禅学者の鈴木大拙先生が、90歳になったときのエピソードも思い出されます。
主治医だった私は、冗談めかして、「先生は90まで健康に仕事をなさりたいと言われましたが、もうその90になってしまったではないですか」と話しかけました。すると先生はあわてて、「いや、まだまだやりかけている仕事を果たすには、この先数年かかる」とおっしゃったのです。
後日聞いたところによると、実際にこのとき、浄土真宗の聖典である 『教行信証』 の英訳の最中だったそうです。90歳にして、このように何年も先のことを考えて行動していた人もいるのです。 (p.81-82)
・・・・・主治医だった私は、冗談めかして、「先生は90まで健康に仕事をなさりたいと言われましたが、もうその90になってしまったではないですか」と話しかけました。すると先生はあわてて、「いや、まだまだやりかけている仕事を果たすには、この先数年かかる」とおっしゃったのです。
後日聞いたところによると、実際にこのとき、浄土真宗の聖典である 『教行信証』 の英訳の最中だったそうです。90歳にして、このように何年も先のことを考えて行動していた人もいるのです。 (p.81-82)
【40にして惑わず・・・】
孔子は、『論語』 の中で、「40にして惑わず」と言いました。しかし、今の人たちは、60歳になってもまだまだ惑っているようです。ましてや、「50にして天命を知る」 「60にして耳順う」ということにはなかなかなりません。
私は、この論語でいう年齢を、現代社会では30歳ずつずらして考えてもいいのではないかと思っています。(p.84)
「賛成」。私は、この論語でいう年齢を、現代社会では30歳ずつずらして考えてもいいのではないかと思っています。(p.84)
というよりは、日野原先生説にしてもらわなければ、「論語、少しは知ってます」とすら言えなくなってしまう。
【新しい習慣作りが「新しい発想」「新しい緊張」を生み出す】
日野原先生が書いているのは、「老人の生き方」というよりは、全世代に共通する「生き方論」に近い。
余談ながら、1901年に第1回ノーベル賞受賞が行われて以来、ほぼ100年経ちますが、その間、日本の医学校出身の医学者は、1回もノーベル生理学賞・医学賞をとっていません。
私が見ているかぎりでは、日本人の医学のエリートの研究者の多くは、ずっと同じ研究を続けていることが多いのです。こんなことでは、新しい発想は生まれてきません。創造的な活動をするには、10年ごとに発想を変えて、新たに研究に取り組む必要があります。
習慣についても同じことがいえます。何年かに1回は、習慣を大きく変えてみるのです。たとえば、それまで出不精だった人は、2週間に1回遠出をするというのもいいでしょう。また、あまり関心のなかった分野の本を、少しずつ読んでみるというのもいいかもしれません。 (p.102)
仏教的な用語である “因縁” は、その人の性格や習慣の中に潜んでいると言われている。少なくとも、性格よりは習慣の方が僅かではあれ、変えやすい。私が見ているかぎりでは、日本人の医学のエリートの研究者の多くは、ずっと同じ研究を続けていることが多いのです。こんなことでは、新しい発想は生まれてきません。創造的な活動をするには、10年ごとに発想を変えて、新たに研究に取り組む必要があります。
習慣についても同じことがいえます。何年かに1回は、習慣を大きく変えてみるのです。たとえば、それまで出不精だった人は、2週間に1回遠出をするというのもいいでしょう。また、あまり関心のなかった分野の本を、少しずつ読んでみるというのもいいかもしれません。 (p.102)
日野原先生が書いているのは、「老人の生き方」というよりは、全世代に共通する「生き方論」に近い。
【「生きる価値」】
そもそも私は、「自分が学んだことを次世代に教える」ということこそが、人間が生きる価値の大きな部分を占めているのではないかと思います。
オルテガというスペインの有力な教育学者は、大学を卒業した者の義務の一つは、その国の文化の継承者になることとも言っています。 (p.133)
オルテガというスペインの有力な教育学者は、大学を卒業した者の義務の一つは、その国の文化の継承者になることとも言っています。 (p.133)
【最高の名医】
《参照》 『最高指導者の条件』 李登輝 (PHP)
よく「○○の権威」と呼ばれるような有名な医師をかかりつけにしようとする人がいますが、ホームドクター選びにおいては、そのような権威は必要ありません。名医とは肩書きや名声で決まるものではなく、いかに患者を大切にするか、患者の症状を隅々までチェックしようとしているかにかかっています。つまり、あまたの話によく耳をかたむけてくれる医師が、あなたにとって最高の名医なのです。 (p.228)
私自身は、医者であれ政治家であれ、日野原先生や李登輝台湾前総統のように、深い宗教心(生死を超えた世界から見る視点)をもっている人でなければ、信頼に値しないと思っている。私心の有無。最後はやはりそこ。《参照》 『最高指導者の条件』 李登輝 (PHP)
【昨今の政治家】
<了>