
自分が学生であった時代のことは差し置いて、現在の若者が口にする日本語を耳にして憮然とした経験のある大人は多いに違いない。
【・・・じゃないですか】
【・・・じゃないですか】
私って、ピーマンきらいじゃないですか・・・・。 (p.16)
知るか!
【だから、・・・】
「今度の連休、どうする?」
「だから、田舎に帰ろうかと思っているんだけど・・・」
自分の頭の中で勝手に考えを進めておいて、その前段階を披露もせずいきなり結論を持ち出すように映るわけですから、唐突で押し付けがましい印象を与えるとして、先輩世代から反感を買ったものでした。 (p.18)
反感を買うどころか、ビジネスの場でこれをやったら、明らかに無礼になる。こういう不用意な人材を対外交渉に使ったならば、会社のレベルが低く見られること請け合いである。学生言葉がビジネスの場で通用しないことくらい当たり前に自覚しておくべきである。「だから、田舎に帰ろうかと思っているんだけど・・・」
自分の頭の中で勝手に考えを進めておいて、その前段階を披露もせずいきなり結論を持ち出すように映るわけですから、唐突で押し付けがましい印象を与えるとして、先輩世代から反感を買ったものでした。 (p.18)
【「ら」を抜く理由】
ら抜き言葉は、際物的、流行語的なものではなく、新しい可能動詞の形成になるのだという。
「見られる」 と 「見れる」 を聞き比べてみると、前者は上品であり、後者は下品であると感じている人々は多いはずである。多くの大人たちが、日本語表現の変容において危惧するのは、「品性の低下」 なのではないかと思っているのだけれど、どうなのだろう?
この著者は、そのような視点ではまったく記述していない。「国家 = 国語 は “品格” 」 という視点の欠如は、社会言語学者として、根本的な資質に関わる問題ではないだろうか。
ら抜き言葉は、際物的、流行語的なものではなく、新しい可能動詞の形成になるのだという。
ら抜きでない従来の可能形には、可能、尊敬、受身という3つの意味が含まれているのに対し、ら抜き形のほうは可能の意味のみを表すのでわかりやすいということや、「ら」 が抜けたぶん、人間の本能的欲求である省力化につながり、発音しやすい、などの要因も見逃せません。 (p.22)
私は、この説明を読んで、「このような解釈で終わっていて良いのだろうか」 と思った。「見られる」 と 「見れる」 を聞き比べてみると、前者は上品であり、後者は下品であると感じている人々は多いはずである。多くの大人たちが、日本語表現の変容において危惧するのは、「品性の低下」 なのではないかと思っているのだけれど、どうなのだろう?
この著者は、そのような視点ではまったく記述していない。「国家 = 国語 は “品格” 」 という視点の欠如は、社会言語学者として、根本的な資質に関わる問題ではないだろうか。
【カレシ】
ところで、カノジョをフラット・アクセントにすると、ジンマシンに罹っているのかと思えてしまう。
カレシは10人、カレシは一人? (p.39)
フラット・アクセントは10人で、先頭部アクセントは1人である。使っている当人たちは、それぞれの想いで使っているのだろうけれど、アクセントの有様と人数が対応しているので、分かりやすい。ところで、カノジョをフラット・アクセントにすると、ジンマシンに罹っているのかと思えてしまう。
【現在のキャンパス言葉】
パンキョウ:般教=一般教養科目、キリキョウ:キリ教=キリスト教学、ブッチスル(さぼる)・・・(p.71)
3番目は想像もつかない・・・・・。
【日本人の発想】
このくだりは、現在の日本語ではなく、日本語文化の根本に関する記述である。
《参照》 『天皇が日本人を動かす』 高木桂蔵 (はまの出版)
このくだりは、現在の日本語ではなく、日本語文化の根本に関する記述である。
文表現の日英比較に関して、英語が<スル型>言語であるのに対し、日本語は<ナル型>言語という類型論的解釈が、池上(1982)によって展開されています。英語では動作主を明示し、「何がどうスル」 という表現が一般的なのに対し、日本語は 「何がどうナル」 を好み、動作主の明示を回避する傾向にあることを指摘したものです。「今度結婚することになりました」、「よい友達が見つかりました / できました」 ・・・(中略)・・・。意味上の動作主を明示しない表現は、物事をある行為の結果としてではなく、事態や状態として捉えているということであり、それだけ人の手の加わらない自然さを感じることができるわけです。日本人はこのような日本語を身につけることによってそのような発想をし、そこに心地よさを感じているわけです。 (p.126)
「・・・なりませる神の名は・・・」 という 『古事記』 に多用されている表現を、出典と共に示せば良いであろうに、そんな日本文化の根本をピンポイントで指し示す記述はない。《参照》 『天皇が日本人を動かす』 高木桂蔵 (はまの出版)
【 「ある」 のではなく 「成る」 】
【オノマトペ】
オノマトペとは、辞書によると、フランス語で 「擬声語および擬態語」 だそうである。
既に海外に十分行き渡っている日本マンガが、彼女らのオノマトペ・リテラシーを高めていたりもするのだろう。チャンちゃんは、説明しようとしたら先に、「分かるよ」 と言われたことが何度もある。
オノマトペとは、辞書によると、フランス語で 「擬声語および擬態語」 だそうである。
日本語学習者泣かせのオノマトペといわれています。どこが難しいかというと、音や声を模した 「擬音語・擬声語」 (ゴロゴロやワンワンなど) はもちろん、物事の状態を表す 「擬態語」 (スベスベ、ヒラヒラなど) や人の心理状態を描写する 「擬情語」 (ワクワク、ムラムラなど) など、その種類が多いことが1つにあり、特に擬態語と擬情語については、具体的音がないだけにイメージしにくいようです。
オノマトペは、言語記号の体系の中では、恣意性が低く、知性よりは感性に訴えるところが多いぶん、子どもの頃から接していないとわかりにくいということもあるでしょう。ただ、人間の感情を刺激する機能を持つだけに、これをマスターすれば効果的な日本語になること請け合いです。 (p.147)
平均的には日本語学習者泣かせかもしれないけれど、勘のいい人(特に東洋人女性)は、オノマトペによって日本語の感性世界に速やかに参入できている場合が多いように思う。オノマトペは、言語記号の体系の中では、恣意性が低く、知性よりは感性に訴えるところが多いぶん、子どもの頃から接していないとわかりにくいということもあるでしょう。ただ、人間の感情を刺激する機能を持つだけに、これをマスターすれば効果的な日本語になること請け合いです。 (p.147)
既に海外に十分行き渡っている日本マンガが、彼女らのオノマトペ・リテラシーを高めていたりもするのだろう。チャンちゃんは、説明しようとしたら先に、「分かるよ」 と言われたことが何度もある。
<了>