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 国学専門の教授かと思いきや、国際関係学部の教授であるということに驚く。
 日本神道について詳細な理解が行き届いた記述に満ちている。

 

 

【 「ある」 のではなく 「成る」 】
 『古事記』 の冒頭に、「天地初発のとき、高天原に成りませる神」 という箇所に有る 「成る」 という言葉・・・・。つまり、日本人が考えている神は 「成る」 ものであり 「ある」 ものではないということである。
 「成る」 とは、宇宙の成り方、国家民族の成り方、山川草木、禽獣虫魚、ひいては世界全体の理想としての国の成り方まで含んでいると考えてよい。「国はこうあるべきだ」 「世界人類はこうあるべきだ」 というものではないのだ。「ある」 ではなく 「成ってきた」 のである。
 哲学用語で言えば Sein (ザイン) ではなく、Werden (ヴェルデン) として説いているものである。『古事記』 は、ここのところを最初からしっかりと見つめており、神の方から自己になってくるもの、すなわち 「自分がいるから神もいる」 という立場をとっている。 (P.40)

 デカルトの言葉として有名な、「我思う、故に我あり」 の直後には 「我あり、故に神あり」 と語られている。つまり、デカルト思想の基本的な立脚点は 『古事記』 と同じということになる。
   《参照》   『人生力が運を呼ぶ』 木田元・渡部昇一 (致知出版社)

              【デカルトの言う「理性」とは?】
上記リンクの中に書き出しておいた、木田先生の 「わかったんです。デカルトのいう 「理性」 は神的理性の分身のようなものだということが」 という発見が、こんなところで繋がってハッキリする。
 なお、私が、「我あり、故に神あり」 の記述部分があることを知ったのは、哲学者ではなく神道家である深見東州著 『自分を変えれば未来が変わる』 (だったかなぁ・・・) (たちばな出版)  だった。神道を知らずして日本を語っても殆ど意味がない。そして、最初から神道を知っていたら、世界についても重要な見落としは防げたということになる。

 

 

【日本にとっての、神と人間との関係】
 日本人の、・・・(中略)・・・神と人間との出会いは、人間の限りなき向上と、神の人間への接近という、「向上的」 なものと 「向下的」 なものの交わりによって、成されると考えられてきたのだ。キリスト教のように神は動かず、人間が祈りによって神の側へ一方的に接近して行くのとは違うのである。 (P.56)
 <天皇>は、ご自身が統治者であり、国民が被統治者であるとはお考えになってはいない。国民は全て天照大御神の子孫、ご自身の兄弟だと思われている。そして、神に最も近いところにいるという自覚で国民に向かって毎日祈られているのである。
 この思想は、日本の仏教にも大きな影響を与えている。たとえば、われわれになじみのある観音様、地蔵様の像を思い浮かべていただきたい。観音様や地蔵様の多くは、手を合わせて拝む姿をしている。しかし、こういう姿をしているのは日本だけである。 (p.81)
 「向下的」 な大乗仏教諸派が日本に来て、易行の救済法(題目や念仏)を編み出し根付いたもの、「向上的」 な密教が修験道と呼応して上求菩提下化衆生を旨とするようになったのも、日本神霊界の様相に合わせて、仏教が吸収されたからである。

 

 

【相撲が国技となっている理由】
 この野見宿禰(ノミノスクネ)と当麻蹴速(タイマノケハヤ)が勝負して平和裡に出雲の国譲りが行われたことを永遠に忘れないためである。 (p.59)

 

 

【「国家神道」が生まれた背景】
 「自己の中に神を見る」 という日本の思想は、きわめておおらかなものである。仏教という 「異国の蛮神」 が入ってきたときも、<天皇>はそれを喜んで聞かれ、信仰を命じられたように、幅広く包み込むものであった。それが、幕末からゆがんでいったのであるが、こうした変化には、特に平田篤胤の考えが大きく働いていることを指摘しておきたい。
 篤胤は、実は当時キリスト教をすでに知っており、漢訳された中国版の聖書を読んでいたことがわかっている。そして 「八百万神」 の世界に 「一神教」 の考えを取り入れていった。そのため、独善的、排他的な内容を持つようになり、その後の 「国家神道」 の基礎になっていったのである。

 

 

【日本人の宇宙観】
 日本人は外形や抽象ではなく、根源的な霊魂で宇宙をとらえている。それがタカマノハラ(高天原)であり、アマツチノハジメ(天地初発)なのである。
 タカマノハラの 「マ」 は、主として時空間を充足する霊のことを指している。・・(中略)・・そして、この 「マ」という根源霊が凝り固まった人を 「マコト」 というのに対して、ない人を 「マヌケ」 という。
 また、「タカ」 は上下の広がり、「ハラ」 は横の広がりのことである。そうしてみると、「マ」 という時空間を表す霊魂が自由に上下左右に動き回っている実体が 「タカマノハラ」 というわけで、ギリシャや中国のそれと異なり、宇宙の内側、宇宙の内容から出発しているのが日本人なのである。 (p.99)
 中国やギリシャの宇宙観も、この書き出しの前に記述されている。

 

 

【三種の神器:矛(剣)】
 それは両刃の剣で、相手を切るとともに自らを切ることをも意味している。邪心が出る心を正すという意味であろう。
 後世、剣が刀となり、一刃となっても武士は二本刀をさし、一本は 「自らを正す」 ためにもったということは、このことを象徴しているからである。なお、この 「剣」 はいま、名古屋の熱田神宮に安置されている。 (p.132)
 自戒を意味する刀は、『武士道』 を学べば必ず出てくる内容。その根源は 『日本神道の剣』である。
    《参照》  日本文化講座⑨ 【 日本神道と剣 】

 
【 『大日本史』 と 『神皇正統記』 】
 徳川御三家の一つ・水戸家では、水戸学といって日本という国の成り立ちについて研究が行われていたことは周知のとおりだが、その集大成は 『大日本史』 の編纂であった。この 『大日本史』 は、日本という国の道統・歴史を明らかにしたこと、南朝を正統としたことが大きな特色である。
 そして、日本の中心である皇室の存在を 「至尊なるもの」 とし、その 「摂政」 として徳川幕府があるのだと主張したわけである。<天皇>を幕府の上に置き、<天皇>と幕府の関係をハッキリさせたのである。幕末になって倒幕の思想が出てきたのは、こうした思想的な成果があったからであり、その意味で 『大日本史』 の意義はまことに大きい。
 ・・(中略)・・ 『大日本史』 からさかのぼること400年、南朝の時代に南朝方の忠臣であった北畠親房は 『神皇正統記』 の冒頭で、次のような記述をしている。
 「天祖初めて基をひらき、日神永く統を伝へ給う。我が朝のみ此の事あり。異国にはそのたぐひなし。このゆゑに神国という也。」
 ここに 「神国」 とあるのは、戦前言われたような排他的な狭い意味でのそれではなく、天祖 (天之御中主神)→ 日神 (天照大御神) → <天皇> という 「カミ」 のつながりが連綿として続いている、世界で唯一つの国だから 「神国」 と言っているわけである。 (p.166-167)
 

【忠】
 松陰が松下村塾で説いていたのは、他でもない 「自分自身の内なるものに忠実に生きよ」 ということであった。それを彼は 「狂」 と称している。・・(中略)・・
 「忠」 という字は、心の真ん中と書く。日本人にとってのそれは、有史以来<天皇>であった。「教育勅語」 の中にも 「爾臣民よく忠によく考に・・・」 とあるが、自分がこれだと思ったものに対しては、それに生死をかけて尽くしなさいと言っているのである。
 そして、自分の本当に欲するところのもののために尽くすことこそ 「此れ我が国体の精華」 であり、教育の淵源もそこにあるのだと言われているのである。 (p.204)
 

<了>