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 近年、テレビで活躍している若手の評論家である著者。対中国時事問題に関してのはっきりした物言いや、中国近未来の予測の的確さを耳にしていたので、その名前を記憶していた。10年前に発行されていたこの本を古書店で発見。社会学的な評論集であるけれど、宗教学的な論考も多々あり、ざっとではあるけれど一通り読んだ。

 

 

【スウェーデン王国の憂鬱】
 理想の福祉国家、フェミニストの天国と謳われてきたスウェーデンで、政府主導のもとに1935年から76年までに約6万人が不妊手術を受け、そのうち少なく見積もっても約1万2千人が強制的に受けさせられていたという衝撃的な史実が明らかになりました。・・・(中略)・・・。対象者は知的障害者、精神障害者をはじめ、ジプシー(差別的な呼称。現在はスィンティ・ロマと言う)、混血児、常習犯罪者、売春婦にまで及んでいて、「健常な」 スウェーデン人を残そうという 「民族浄化」 の優生思想に基づいて行われたことは明らかです。 (p.85-86)
 不妊法が制定された理由も、福祉国家を維持するために、不健康な人、劣った人が増えないようにする、つまり社会保障の必要な人を少なくして、経済的、社会的コストを抑えるということでした。 (p.88)
 高福祉国家を維持するために血を流させたのは、「健常ではない自国民」 だけではない。
 スウェーデンの現在は有数の武器生産国、輸出国です。・・・(中略)・・・。その記事(ワシントン・ポスト紙)は、国際世論の場で和平と核廃絶を訴えていたパルメ首相が、核兵器開発の秘密委員会の責任者であったことを暴露しています。
 障害者や異民族などの存在を否定しておいて、健康で純潔のスウェーデン人のみのユートピアをつくろうとした。スウェーデン型福祉国家というのは様々の血塗られた犠牲の上に成り立った極めて 「清潔な」 国家なのです。 (p.93)
 間接的にではあれ、他民族の血まで流させて維持された国家財政である。もっともこのようなことは、欧米諸国というか、日本以外の国々では普通のことではあるけれど・・・・。
 スウェーデンというのは、まさに 「国家と個人しか存在しない国」 です。近代主義の終着点にある国ですね。 (p.98)
 「国家と個人しか存在しない国」 とは、家族という意識が希薄な国であることを意味している。数世代が共に暮らした家族制が崩れれば、福祉を国が分担するようになり、財源確保のために高税率国家になってしまう。
 スウェーデン人は世界で一番やさしい国民だと言われるんですね。・・・(中略)・・・。そのことをスウェーデン人に直接聞いてみると、意外な答えが返ってきたそうです。
 「違う。私たちはお互いが自立し、人間関係がドライだからこそ福祉を充実させたのです」 と。 (p.101)
 優しく思いやって福祉を・・・と思っているなら、日本人はスウェーデン型福祉を真似てはいけない。

   《参照》  『男の世紀は終わった』 安田千惠子 (堀内出版)

             【合理的なスウェーデン人】

 ところで、年金の財源が破綻している日本。財源確保のために政治家が本気で諸々の悪制を摘出するならば、その努力に応じて、天与の財源が日本国に降り注ぐのであろう。

 

 

【マンガすら読めない若者に、PCは更なる凶器となる】
 にわかには信じ難いかもしれませんが、予備校で現代文を教える教師たちが報告してくれます。予備校生や大学生たちは自発的に活字を追って、一続きの物語を楽しむことができなくなっているというのです。 (p.132)
 何であれ僅か10分程度の集中すらできない。落ち着きがない。投げやりである。礼節を弁えない。姿勢が悪い。これらは、マンガすら読み通せず、動画配信サイトに蟻集する若者達に共通する性格である。
 こんな体たらくの日本の若者達でありながら、
 現実には、国語の時間数が減らされて、小学校にまで英語教育を導入しようだとか、パソコン教育なんかに振り向けられかねない。そういう事態なんです。 (p.133)
 パソコン教育の授業が、ツールとしての使い方から離れてしまい、インターネット使用を放任してしまえば、単なる狂気を呼ぶ凶器になるだろう。
 著者はこうも書いている。
 インターネットに長時間 「ハマって」 いると、現実の空間感覚や時間感覚が狂ってくるというのは、私自身の経験からも、私の周囲のヘヴィ・ユーザーたちからの証言からも明らかである。 (p.24)
 インターネットにハマるという程ではなくとも、PC使用に長時間晒されるだけで十分な弊害となっていることを、敏感な人なら自ずと知っている。
 

 

【自由主義の真義】
 私は、近代的な意思自由というか、自由主義の考え方の神髄は、予定説を前提としないと成り立たないんじゃないかと考えています。ここを理解しないと、なぜ人間が自由でなければならないか、ということの解答が出てこない。人が自由であるべきなのは、神の予定があるからです。ほとんどの、大多数の日本人はここが理解できないから、自由主義の真義もわからない。 (p.246)
 リバティー(自由)がリベレイト(解放)から派生した言葉であることは周知のことである。独裁的な王権が恣にする圧政からの解放を望んだ民衆が自由を求めて革命を起こしてきた。王権は、神の予定を論拠にする教会権力と対立しつつ、それを制して神に代わる独裁的王権を確立していたのだから、自由主義の真義がそこにあることなど、既に大勢の識者が論述の中に著してきている。
 であるにせよ、そもそも日本人は、昔も今も意思自由な自由主義など実践してこなかったし、これからも実践することなどないだろう。 「自然は神なり」 を旨とする日本人は、このような西欧発の自由主義の真義など、強いて分かる必要はないのである。知に偏した理解など、著者の様な、それを好む評論家たちが記述し納得しあっていればいいだけのこと。
            【freedom & liberty】

 

 

【評論家らしき著者の密教理解】
 大学時代は、龍樹の 『中論』 に熱中した。・・・(中略)・・・。密教にだけはついに親しむことはなかった。・・・(中略)・・・。「この私」 が神と化して、無限の全知全能を手に入れることができたとして、それが何だというのだ。他者も外部も存在しない 「無限」 や 「全知全能」 に永遠に内閉されただけのことではないか。つまり、それは 「死」 と同義ではないか。この程度の幻想で慰められたり、癒されたりするくらいなら、最初から悩まなければよいのだ。 (p.293)
 この密教に関する記述はヒド過ぎる。単なる 「食わず嫌の的外れ」 な記述である。文字で読んだだけで密教を否定的に語るのは、どんなに優秀な人物であれ、決してしてはいけないことである。密教は 「即身成仏」 を旨としているのだから、身体意識の変容を伴う実践宗教である。実践していたならば、「内閉」 などというような記述になど決してならない。頭だけの知性を売り物にする評論家は、密教を語りえないのである。
 そして、知性に偏した学者や評論家のような人々が仏教教学を読んで、最終的に熱中するのが 『中論』 になるのは当然である。そのような人の知性、そのような熱中、だからといって褒められたものではない。
 
 
<了>