
文学博士である著者が、「日本」 に関する導入書として青少年向けに記述した「良書」である。
三上晃という名の高校生が、登山中の事故で知り合った杉山という人物からの啓発を受けて、「日本」 について学んでゆくというストーリー展開。会話主体の記述で、政治や宗教などの問題に関して、わかりやすく 「日本」 を説明してくれている。
【啓発の出典】
三上晃という名の高校生が、登山中の事故で知り合った杉山という人物からの啓発を受けて、「日本」 について学んでゆくというストーリー展開。会話主体の記述で、政治や宗教などの問題に関して、わかりやすく 「日本」 を説明してくれている。
【啓発の出典】
「なんでもかんでも一方的に教えるのはよろしくない。孔子も 『論語』 で言っているだろ、<憤せずんば啓せず、悱せずんば発せず>ってね」
「エッ? なんですか、それ。またわかりません」
「相手が心から知りたいと思っているとか、言いたいけどどう表現していいかわからない、という状態にならなければ、教え導いてあげないよ、という意味さ。<啓発>という熟語はそこからきているのさ。
教師はね、待つことが必要なんだ。なんでも知っていることを教えればいいというものじゃない。今の教育は大学でも教えすぎじゃないか、知識の詰め込みというか・・・・」 (p.27)
<憤せずんば啓せず、悱せずんば発せず> を別の言葉で言えば、<求めよ、さらば、与えられん> なのだろうか。そんな実例の一つが、下記の杉山和一である。「エッ? なんですか、それ。またわかりません」
「相手が心から知りたいと思っているとか、言いたいけどどう表現していいかわからない、という状態にならなければ、教え導いてあげないよ、という意味さ。<啓発>という熟語はそこからきているのさ。
教師はね、待つことが必要なんだ。なんでも知っていることを教えればいいというものじゃない。今の教育は大学でも教えすぎじゃないか、知識の詰め込みというか・・・・」 (p.27)
【杉山和一】
杉山和一は江戸時代初期の慶弔十五(1610)年に、現在の三重県の津の藩士の子として生まれた。幼くして流行病を患って失明したため、家督を義弟に譲り、江戸に出て針術を修行する。ところが、生まれつき性格が魯鈍で、記憶力も悪いため、師匠から教えられたことが覚えられない。ついには放逐されてしまう。
さすがに和一は悲憤慷慨、もうこの上は神仏の加護にあずかるほかないと、江ノ島の天女の祠に詣でて、岩の洞窟に籠もること7日間、食を絶って祈祷した。疲労困憊して絶命寸前の恍惚状態にあるとき、管と針を授けられたという。その後、和一は実際に管を作って試し、刻苦勉励してついに独自の針術を会得する。江戸では治療を乞う者が門前市をなし、非常な名声を博した。ついには盲人の最高の位である検校の位にのぼり、将軍家綱の侍医をつとめるまでになる。杉山流針術は一世を風靡し、その伝統は今日に続いている。 (p.48)
さすがに和一は悲憤慷慨、もうこの上は神仏の加護にあずかるほかないと、江ノ島の天女の祠に詣でて、岩の洞窟に籠もること7日間、食を絶って祈祷した。疲労困憊して絶命寸前の恍惚状態にあるとき、管と針を授けられたという。その後、和一は実際に管を作って試し、刻苦勉励してついに独自の針術を会得する。江戸では治療を乞う者が門前市をなし、非常な名声を博した。ついには盲人の最高の位である検校の位にのぼり、将軍家綱の侍医をつとめるまでになる。杉山流針術は一世を風靡し、その伝統は今日に続いている。 (p.48)
【freedom & liberty】
明治時代以降、西欧の書籍から翻訳された新しい日本語(翻訳後)について、日本人は消化しきれていないのではないか、という内容の記述の中で、「自由」という語が例として挙げられている。
欧米人が認識する自由、ことに民主主義の理念とされる自由の意味は、それとは余りにも違うよ。Freedom の方は個人的自由のニュアンスが強いけど、liberty といえば、教皇や王や政府の権力とか、社会の圧力からの支配・強制・拘束を受けずに、自己の権利を執行できることを意味する。西欧には自由を勝ち取る長い歴史が繰り広げられてきたんだ。 (p.114)
多くの日本人と同様に私も、渡部昇一先生の書籍の中で、上記と同じ単語から西欧の歴史を学んでいる。その時、私が思ったのは、日本は、権力(幕府など)に強制されて統一された国家なのではなく、権威(天皇)のもとに自ずと結束してきた国家なのではないか、ということであった。だから多くの日本人が想像する自由には、 liberate (解放) → liberty の意味がのっけからないのだと。
【鴨長明と吉田兼好の出自】
「鴨長明は京都の神社の神官さんの息子でしたよね」
「京都の下賀茂神社だったかな」
「はい、それなのに出家して、仏教の思想がたっぷりの 『方丈記』 を残しています。吉田兼好も・・・・」
「そうそう、兼好は有名な神官の卜部家の出身だよ。そこは反本地垂迹説の拠点だ」
「そうですよね。なのに、出家して兼好法師と呼ばれています。二人とも隠遁して作品を遺していますが、なんというのか、とても神仏習合的な人間だとわかって納得しました。」 (p.191-192)
中世の文学から日本の文化を学ぶなら、このような作者に関する出自を知っていないと意味がない。この二人のようにルーツが神道になくても、日本仏教の開祖たちは意識的にも無意識的にも神道の影響を受けている。そのような基本的なことを理解していなかった学生時代の私は、「日本は仏教国です」などと言っていた。今、思うと顔から火が出そうなほどに恥ずかしい。「京都の下賀茂神社だったかな」
「はい、それなのに出家して、仏教の思想がたっぷりの 『方丈記』 を残しています。吉田兼好も・・・・」
「そうそう、兼好は有名な神官の卜部家の出身だよ。そこは反本地垂迹説の拠点だ」
「そうですよね。なのに、出家して兼好法師と呼ばれています。二人とも隠遁して作品を遺していますが、なんというのか、とても神仏習合的な人間だとわかって納得しました。」 (p.191-192)
【儒教】
<魄>に関して、インド仏教にも仏舎利信仰があるが、これは解脱した聖人だからこその特異例で、一般人は焼いた骨を川に流してしまい墓などは作らない。即座に輪廻転生すると考えるからであり、また、必ずや人間に転生するとは考えていない。
また、韓国でキリスト教が広まったのは、韓国のキリスト教が祖先祭祀を認めているからだという。それって、日本と中国の仏教と同様に、宗教的な変節ではないかと思うのだけれど、これと似たような事例が過去の中国にもある。
大阪大学名誉教授の加地先生が書かれた 『沈黙の宗教 - 儒教』 という本がある。・・(中略)・・かいつまんでポイントを説明しようね。
① 中国人はインド人と異なり、<この世>を楽しいところと見る。その前提に立って、儒教は死および死後のことを説明した。
② 人間は精神と肉体から成り立っている。精神を主宰するものを<魂>、肉体を支配するものを<魄>という。死者は消えてなくなるのではない。人間が死ぬと<魂魄>は分裂する。<魂>は天へ浮遊し、<魄>は地下へ行く。<魂>の字には雲の、<魄>の字には白骨のイメージがある。
③ 死者は生者が呼ぶことによって招くことができ、再生する。一定の儀式によって呼ばれた<魂>と<魄>は依代(形代)に依りつき、言葉を発することで、懐かしい遺族と再会できる。
④ <魄>の宿る白骨をきちんと管理するために墓が必要とされる。死後の肉体(骨)を捨てたり流したりすることは考えられない。後に白骨の代替物として木の板でつくった神主(しんしゅ)が生まれ、それが位牌ともなる。
⑤ この神主に<魂>と<魄>を依りつかせる招魂再生儀礼が儒教の祖先祭祀であり、中国仏教はこれを取り入れた。日本仏教もそれに従う。 (p.226-227)
東アジア文化圏(中国・韓国・日本)に共通する儒教と言う場合は、祖先祭祀のシャーマニスティックな儀礼に限定して考えることがポイント。孔子の語った 『論語』 がそれぞれの国にどう根付いたかという視点で見るならば、東アジア共通とは決していえない。ここに、神道国家日本の特異性が現れてくる。① 中国人はインド人と異なり、<この世>を楽しいところと見る。その前提に立って、儒教は死および死後のことを説明した。
② 人間は精神と肉体から成り立っている。精神を主宰するものを<魂>、肉体を支配するものを<魄>という。死者は消えてなくなるのではない。人間が死ぬと<魂魄>は分裂する。<魂>は天へ浮遊し、<魄>は地下へ行く。<魂>の字には雲の、<魄>の字には白骨のイメージがある。
③ 死者は生者が呼ぶことによって招くことができ、再生する。一定の儀式によって呼ばれた<魂>と<魄>は依代(形代)に依りつき、言葉を発することで、懐かしい遺族と再会できる。
④ <魄>の宿る白骨をきちんと管理するために墓が必要とされる。死後の肉体(骨)を捨てたり流したりすることは考えられない。後に白骨の代替物として木の板でつくった神主(しんしゅ)が生まれ、それが位牌ともなる。
⑤ この神主に<魂>と<魄>を依りつかせる招魂再生儀礼が儒教の祖先祭祀であり、中国仏教はこれを取り入れた。日本仏教もそれに従う。 (p.226-227)
<魄>に関して、インド仏教にも仏舎利信仰があるが、これは解脱した聖人だからこその特異例で、一般人は焼いた骨を川に流してしまい墓などは作らない。即座に輪廻転生すると考えるからであり、また、必ずや人間に転生するとは考えていない。
また、韓国でキリスト教が広まったのは、韓国のキリスト教が祖先祭祀を認めているからだという。それって、日本と中国の仏教と同様に、宗教的な変節ではないかと思うのだけれど、これと似たような事例が過去の中国にもある。
16世紀に中国のマカオ(澳門)に広まったキリスト教。中心地にあるセドナ広場・ドミニク教会に隣接して中国伝説に出てくる「女媧廟」が建てられていたのを見た時、当時の澳門キリスト教会は中国文化融合布教策を採っていたらしいことを思いやや奇異に思ったのだけれど、“あるいは、融合ではなく復権かも・・・” という思いも浮かび上がった。ことの真相は分らないけれど、「伏儀と女媧」 の伝説は、洋の東西で通底するものであるという趣旨の書籍を読んだことがあったからだ。
<了>