
1994年出版の古書。トルコ固有の歴史的文化に関しては、ほとんど詳細な記述はなかった。1980年代後半からの世界的な政治的・社会的状況の変化につれて揺れていた当時のトルコの状況が多く記述されている。
【外国人労働者となって】
豊かになりたいと願う人たちの中には、この国で働いて夢をかなえることをあきらめた人も多い。そういう人が選んだのが海外への出稼ぎだった。1960年ごろから始まった外国への出稼ぎ移民の流れは、1973年にヨーロッパがオイルショックに見舞われるまで続いた。200万以上の人たちが、ドイツやオランダやスイスやオーストリアに移民としてわたった。最初は単身で出かけた彼らもしだいに家族を呼び寄せて、今では2世や3世が育っている。 (p.25)
ドイツへの移民が一番数は多かったらしい。何故ドイツなのか? その明確な理由は書かれていないけれど、おそらくは、中東からドイツへと輸送される石油のパイプラインがトルコ国内を通るため、国家エネルギー安全保障上、ドイツはトルコとの関係を深めざるをえなかった筈である。
ドイツ側は、外国人労働者に帰国奨励金までつけて、なんとか祖国に戻ってもらうように努力した。・・・(中略)・・・。しかし、トルコ人たちはそれほど帰国しなかった。帰ったとしても、祖国でもあいかわらず失業率は高いし、医療、教育、そしてさまざまな社会保障がドイツほど整っていなかったからである。 (p.143)
【カブトムシではなくカメ】
ところで、フォルクスワーゲンはドイツ語で民族車の意味である。ゲルマン民族車、すなわちドイツ国民車、つまり大衆車の意味。大学時代、ドイツ語を習い始めてフォルクスワーゲンの意味を知ってから、「カブトムシはカッコイイ」 と思えなくなってしまった。「亀」なんかじゃあ最初からカッコイイというイメージにならない。
ちなみにフォルクスワーゲンは、トルコではカブトムシではなく「亀」(カプルンバー)という。 (p.72)
トルコに生息する亀は、陸亀のように背高ノッポなのだろうか? ところで、フォルクスワーゲンはドイツ語で民族車の意味である。ゲルマン民族車、すなわちドイツ国民車、つまり大衆車の意味。大学時代、ドイツ語を習い始めてフォルクスワーゲンの意味を知ってから、「カブトムシはカッコイイ」 と思えなくなってしまった。「亀」なんかじゃあ最初からカッコイイというイメージにならない。
【やけどしそうに熱い親切】
トルコの人たちの親切というのは熱い。さわればやけどしそうなくらいに熱いのである。トルコ語でも、こういう人間をスジャック(熱い)という。彼らは親切にすることから何も求めない。決して。なかには、見返りを期待している人もいないわけではないが、そういう人物はメフメット(著者の友人)にいわせると「きたねえ奴」であり、「トルコ人の風上にもおけねえ奴」なのである。 (p.78)
著者が中古車を買うときに手伝ってくれメフメットの行動の実例が詳細に書かれているけれど、確かにこんなに熱い親切を実行する人は日本にはいない。
【子どもは宝物】
とりわけ女性たちは、ほとんど条件反射的に、満面の笑みをたたえながら(他人の赤ちゃんを)抱きしめてしまう。日本ではちょっと考えられないけれど、若い大学生くらいの男の子であっても、女性よりは控えめながら、赤ん坊を抱き上げたり手をとってあやしてくれる。
日本では、見ず知らずの大学生の男の子が、赤ん坊に駆け寄ってほおずりなどしようものなら、親の方が恐怖におののくに違いない。 (p.84-86)
こんな状況なので、どの家族であれ大きくなっても親子の絆は濃密なのだという。本質的には愛情なのだろうけれど、親離れ子離れできていないということなのだろうかとも思えてしまう。日本では、見ず知らずの大学生の男の子が、赤ん坊に駆け寄ってほおずりなどしようものなら、親の方が恐怖におののくに違いない。 (p.84-86)
【トルコ人の意識】
トルコという国は、頭がヨーロッパに向いていても胴体がアジアに向いているようなところがある。だから近隣のアラブ諸国に対しても、人々のあいだには 「うちはヨーロッパに近いんだ、ああいう連中と一緒にしてくれるなよ」 という意識と 「トルコはイスラム世界の一員なんだ、だけど、アラブの産油国みたいに金で堕落した連中とはちがうんだ」 という意識が混ざっている。 (p.100)
地理的にヨーロッパと中東アジアの結節点なのだから、そうなるのが当然だろう。
【トルコ人の日本認識】
彼らの世界認識の中に、ほとんど日本との関係を見つけることはできないのである。ただ、いくつかの事件を通じて、日本に好感を抱いているのはたしかだ。
かってオスマン帝国の末期、明治天皇への親書をたずさえて日本に行ったオスマン帝国海軍の軍艦エルトゥールル号が串本沖で沈没したときに、住民たちが手厚く救護したこと、そして日露戦争で日本がロシアに勝ったという話はかなりのトルコ人が知っている。 (p.101)
オスマン帝国海軍の沈没船救助の話を知っている日本人は、どれほどいるのだろうか?かってオスマン帝国の末期、明治天皇への親書をたずさえて日本に行ったオスマン帝国海軍の軍艦エルトゥールル号が串本沖で沈没したときに、住民たちが手厚く救護したこと、そして日露戦争で日本がロシアに勝ったという話はかなりのトルコ人が知っている。 (p.101)
チャンちゃんは全く知らなかった。
《参照》 『救出 日本・トルコ友情のドラマ』 木暮正夫 (アリス館)
《参照》 『救出 日本・トルコ友情のドラマ』 木暮正夫 (アリス館)
【中央アジアの人々】
中央アジアのトルコ系共和国の人たちは日本人とそっくりな風貌をしている。私は2日間の滞在で、ウズベク人かと3度問われ、カザフ人かと2度問われた。 (p.180)
中国においても中央アジアに近い地域の方が日本人に似てくる。広大なユーラシア大陸全域から見れば、北京と西安は近い。それでも、日本よりの北京は漢民族的で、中央アジアよりの西安は日本人にやや似ていると思えるものである。
【ナターシャ】
ナターシャ。トルコ人たちはソ連からやってきた女性たちをこう呼ぶ。 (p.181)
なら、ソ連からやってきた男性たちはニコライなのかと、かってに想像したけれどそんなことは何も書いてない。ソビエトが崩壊した頃に、たくさんのロシア人がトルコにも流入していた。
「ディスコ ナターシャ」という歌がある。
「ロシアから女たちがやってきた。おれたちを道から外させちまった。モスクワっ子のナターシャ。国境が開いた。女たちがやって来た。買い物が始まった。家族にゃ喧嘩がはじまった。そんでもってそのうち仲直り。」 (p.182)
「ロシアから女たちがやってきた。おれたちを道から外させちまった。モスクワっ子のナターシャ。国境が開いた。女たちがやって来た。買い物が始まった。家族にゃ喧嘩がはじまった。そんでもってそのうち仲直り。」 (p.182)
【トルコから照らし出す日本】
トルコのように、様々な文化の結節点に位置しながら、結局それらの文化や技術を蓄え咲かせることができなかったのみならず、経済的にも発展の遅れた国家になってしまったことを考えると、日本の固有さは、吹き溜まりに位置する島国であったことに依拠するのだと改めて気づく。
日本は、極東に位置している島国だったからこそ、世界中のいかなる文化圏とも異なった固有の文化国家を形成しえたのであるということを・・・・。
トルコのように、様々な文化の結節点に位置しながら、結局それらの文化や技術を蓄え咲かせることができなかったのみならず、経済的にも発展の遅れた国家になってしまったことを考えると、日本の固有さは、吹き溜まりに位置する島国であったことに依拠するのだと改めて気づく。
日本は、極東に位置している島国だったからこそ、世界中のいかなる文化圏とも異なった固有の文化国家を形成しえたのであるということを・・・・。
<了>
《トルコ関連》