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 「歴史とは、人、如何に生きるべきか、の秘伝である」 とする解釈の具体例が記述されている。
 歴史は見る角度によって多様な姿を現す。著者が観る歴史には、視角の固有さのみならず、意外な人々の繋がりが具体的に示されていて興味深い。そして、ここから学べることが多い。

 

 

【沢庵が書いた剣の極意書 「不動智神妙録」 】
 沢庵は、柳生但馬守に剣の極意書「不動智神妙録」を書き与えている。禅僧でありながら生死の実践から生み出された剣術の極意を、一言で喝破するだけの凄みがある。   (p.18)
 「たくあん漬け」 と 「沢庵」 の繋がりは知っていても、「沢庵」 と 「不動智神妙録」 の繋がりは全く知らなかった!!!
 このような経緯があったので、徳川三代将軍・家光が、剣術の指南役であった柳生但馬守に剣の極意について尋ねたところ、家光は柳生但馬守に勧められて沢庵に会うことになった。

 

 

【「たくあん」の由来】
 その時、昼食に出された香の物を見て、家光が尋ねた。
「それは、禅寺に伝わる 『蓄え漬』 です」
すると、家光は、
「いや、これは 『蓄え漬』 あらため、『沢庵漬』 と言うことにしましょう」
と、それを命名したのである。
 これぞ、現代に伝わる大根の漬物 「沢庵」 の由来である。

 

 

【鍛錬】
 武蔵は、その書( 『五輪書』 )の中で、
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」
 とし、『鍛錬』 という言葉の本質を説く。「鍛」とは金属を打ち鍛えること、「錬」は絹糸を練ることである。千日で荒々しい力が、万日で繊細さが宿るのである。  (p.42)

 

 

【徹底的に日本人らしいこころ根をもった男:信長】
人間五十年 下天の中をくらぶれば
夢 幻のごとくなり
一度生を得て
滅せぬ者のあるべきか 滅せぬ者のあるべきか


 信長の 『敦盛』 を舞い、恐れ、迷いを振り払い、今川義元に一太刀でも浴びせられれば・・・との思いを固めたときの心境を思いやると、透徹したものが伝わってくる。生というものを正面から見据え、厳しくも澄み切った死生一如のこころ根が生きている。
 般若心経に説かれる諸行無常の世界である。「空」観を無常観と感じられる日本人特有の感性が、そこにはある。信長という男、時代が生んだ異端児であるかのように言われているが、徹底的に日本人らしいこころ根をもった男に思えてならない。
 勝つこと負けること以上に大切なことを日本人は知っていた。どのように生きるかということである。負けて悔いることなく、勝っておごらず、敗者の心をも捉えてやまない勝者の姿に、真の美しさが宿る。勝負の場に臨む覚悟の決め方に、日本人独特の心がある。   (p.73-74)
 負け戦と分っていながら義を貫き死地へと向かう楠正成の話は、多くの人々が伝えていることであるけれど、異端児・信長について同様に書かれると、やや意外に思えてしまう。しかし、確かに織田信長も楠正成と同じである。
 日本人独特の “戦(いくさ)の美学”。死生一如に基づくものであるから、そこに勝ち負けへのこだわりはない。

 

 

【「日の子」と信じていた秀吉】
 秀吉は、古代からの日本の悲願を知っていた。任那復興の夢である。天皇を、東アジアを中心とした世界帝国の「大王(おおきみ)」にしようとしたのである。
 秀吉は日ごろ言っていた。
「俺は生まれたとき、太陽が身体に飛び込んだ」
 天下を取った実力者の誇大な言葉に、だれも異論はなかった。
 彼は自分を「日の子」と信じていたのである。日の子とは日子、すなわち彦である。ウミカチヒコ、サルタヒコ等々、ヒコのつく神は日の子なのである。自分は神と一体であると・・・・。
 この秀吉の精神的背景をなしたのが吉田神道なのであるから、歴史とは愉快でありながら、恐ろしい。 (p.87)
 武力によって大陸を制圧しようとした秀吉は、大陸との関係を交易によって円満に持ってゆこうとする商人的思考の利休を、堺に蟄居させ、ついで死を命じたのである。
 利休は茶の湯ばかりか人生も、『簡素』 を旨とするこころ根であった。そして、自分の意見を変えようとしない気骨さも、利休にはあった。   (p.34)
 絢爛たる安土桃山時代を創出した秀吉より、利休の方が遥かに日本人的である。

 

 

【秀吉の精神的背景をなした吉田神道】
 吉田神道の兼倶は主書 『唯一神道名法要集』 で聖徳太子の秘伝と称し、根本枝葉花実説を述べている。
 「根本が日本神道であり、その枝葉が中国儒教として伸び、ついに花実としてインド仏教が実った」という話である(西漸)。そして次に、「実の種は大地に落ちて、芽吹き枝葉を伸ばし、再び日本に帰ってくる。これが仏教東漸だ」と説く。「仏や菩薩は実は日本の神に基づいていた」というものである。 (p.86)
 『竹内文書』 の主旨に沿う吉田神道であるけれど、この思想は、武力を用いたアジア覇権へと直ちに結びつくようなものではない。日本人本来の精神性からかけ離れた異端児と観るに相応しい人物は、織田信長よりも豊臣秀吉なのかもしれない。

 

 

【徳川家康の旗印】
 家康の旗印は、『厭離穢土 欣求浄土』 である。
 苦悩の多い穢れたこの世を厭い、離れたいと願い、心から欣(よろこ)んで平和な極楽浄土をこいねがうことを意味する。平安中期の高僧。源信(恵心僧都)が著した 『往生要集』 の中の言葉である。  (p.100)
 今川義元が織田信長に首を取られ、もう先はないと自害しようとしたとき、大樹寺(愛知県岡崎市)の住職十三世登誉上人が、「厭離穢土 欣求浄土」という御仏の御心をわが心とせよと諭したのだという。
 家康まで考慮しても、戦国武将の中で、日本の精神性からかけ離れた異端児は、やはり秀吉である。