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 松坂屋が誕生したのは、名古屋城完成の年前の慶長6年(1611)。最初は「いとう呉服店」として誕生した。それからおよそ400年の歴史になる。2006年10月初版。

 

 

【創業者は織田信長の小姓】
 尾張の国那古野城に生まれた一代の風雲児織田信長には、三人の「蘭丸」という同じ名前の小姓がいました。(p.10)
 森蘭丸、伊藤蘭丸、早川蘭丸の三人。
 小姓(こしょう)というのは、主君のそばに使える少年のこと。
 伊藤蘭丸は父親も蘭丸を名乗り、信長の近習(主君のそばに使える侍)を務めました。
 この蘭丸少年が後に、伊藤源左衛門と改名、松坂屋の創始者となるのです。(p.10)
 伊藤蘭丸は、主君亡き後、清洲で商人の家の食客(居候)となっていたけれど、しばらくして、徳川家康は、尾張の中心を清洲から名古屋へ移すよう加藤清正に命じ、これを実現すべく「清洲越し」と呼ばれる新しい城下町づくりが始まった。これを機に、伊藤蘭丸は商売を始めることを決意したらしい。
 城下町名古屋の本町に、呉服と小間物の店が開業しました。この店が「いとう呉服店」のはじまりで、後の「松坂屋」へと発展するのです。(p.13)

 

 

【いとう呉服店当時の接客】
 買い上げ金額の多い客には、松竹梅鶴亀の形の「らくがん」という菓子をだします。
 さらに高額な客には、表座敷でお膳付きのご馳走を出し、もてなしました。
 そんなようすは当時の川柳にもうたわれています。
 「呉服店 よろけて出るわ 立派なり」
 つまり、呉服店から酔って出てくる客は、上等の客だということです。(p.24)
 金額に応じて飲食接待があるなんて、今ではちょっと考えにくい。

 

 

【「呉服」と「太物」】
 江戸時代の松坂屋(いとう呉服店)の扱った商品は「呉服」と「太物」でした。「呉服」というのは当時では絹製品のことをいい、「太物」は綿や麻製品をいいました。(p.28)
 へぇ~。

 

 

【M&Aによる大繁栄】
 元文5年(1740)尾張徳川藩から、藩主の「お召服御用」を拝命、尾張藩の御用達店となります。(p.31)
 明和5年(1768)―― 江戸の上野下谷広小路に三代つづいた「松坂屋」という呉服店を、在庫品や売掛金一切を含め4516両で買収し、このときから屋号を「いとう松坂屋」と改称しました。(p.32)
 4516両が、現在のお金でいくらになるのか分からないけれど、江戸時代にかなり規模の大きいであろう企業買収が行われていたという事実に、ちょっとビックリ。
 広重作の「名所江戸百景下谷広小路の図」には、デ~~ンと「いとう松坂屋」がでっかく描かれている。
 大阪の「ゑびす屋呉服店」を買収して「ゑびす屋いとう呉服店」を開業し、大阪進出をはたしたのは明治4年(1871)とある。
 「伊藤とかけて仙台銭と解く」 その心は? 「田舎出来でも日本通用」
 〈解説〉 江戸時代の通貨だった「寛永通宝」は、当時、仙台近くの石巻で鋳造されていました。ここで造られた仙台銭が全国に流通しているように、尾張名古屋出身の松坂屋も全国に流通している、ということで、当時の松坂屋の知名度の高さがうかがわれます。 (p.43)

 明治元年(1868)10月13日。この日、明治天皇は、京都を出て東京へおつきになりました。
 このとき、天皇家から松坂屋に「呉服御用達」が下命され、翌年1月には改めて御用達を命じられました。(p.54)

 

 

【松坂屋は三井財閥ではない(?)】
 そもそもこの本を手にしたのは、「伊勢の隣にある松坂を出身地とした三井財閥(三井高利)の傘下にある呉服店なのだろうから」、という思いだった。
   《参照》   『日本人の技術はどこから来たか』 石井威望 PHP新書
             【三井財閥の創始者・三井高利】

 ところが、伊藤源左衛門は、その系譜にある人物であるとは書かれていない。
 しかし、当時、徳川幕府や天皇家指定の呉服店を営めるような人というのは、織田方の小姓であれ、日本の中枢と縁の深い一族だったと考えていいだろう。そもそも「呉服」の由来は「中国の呉の服」であり、このことだけからでも徳川人脈・天皇家人脈と縁があることがうかがえる。そのことは、下記のリンクを辿って白峰さんの著作にある【古代ユダヤと秦一族の繋がり】を読めば概要は分かるだろう。
    《参照》   『なぜ日本中枢の超パワーは「天皇」なのか』 中丸薫・ベン・アミー・シロニー 《後編》
              【明智光秀と徳川家康】

 

 

【松坂屋と竹中工務店】
 江戸末期の安政年間の7年間で13回にも及ぶ地震があり、なかでも安政2年(1855)10月に襲った地震は最大の被害を出したという。松坂屋も灰燼に帰し、焼け跡を板塀で囲み、被災者救援の米の炊き出しを行ったと書かれている。
 江戸の惨状を知った名古屋の大工棟梁竹中藤右衛門(のちの竹中工務店の前身)は ―― 職人を集めろ、資材を全部港へはこべ! 職員全員と再建資材を積み込んだ船は、一路、江戸へ向けて波浪を切った ―― (p.49-50)
 松坂屋と竹中工務店の縁は、400年前の名古屋から、ずっと続いているらしい。
 いまだにカネ狂いしている投資家さんたちにとって、このような情報は結構役立つのである。

 

 

【店員の制服】
 明治になってから、「いとう松坂屋」は、呉服店から百貨店へと形態を変えて発展してゆく。ここからが、この本の中で一番面白いところかもしれないけれど、チャンちゃんにとって、そんなことはどうでもいい。
 昭和8年には店員の制服は洋装となりました。(p.87)
 昭和8年は1933年。第二次世界大戦の前。その頃の日本人は、みんな和服だった。
 この本はマンガで書かれているから、現代の百貨店も、店員さん全部のユニフォームを 『はいからさんが通る』 みたいな和服に変えちゃったらいいじゃん、とかって思ってしまう。

 

 

【「いとう呉服店少年音楽隊」】
 明治44年(1911)3月、海軍の楽長を招いて結成された「いとう呉服店少年音楽隊」は、その後、「松坂屋管弦楽団」から「松坂屋シンフォニー」と改称、・・・中略・・・。その後、「中央交響楽団」と改め、やがて、ビクターに移り、現在の「東京フィルハーモニー交響楽団」へと発展しました。(p.127)
 これも、へぇ~である。

 

 

【ゴジラに壊された松坂屋】
 東宝映画「ゴジラ」(昭和29年)では、銀座店がゴジラに破壊されてしまう、とんでもない場面がありますが、それほど松坂屋が銀座の象徴としてのイメージが強かったということの証明でしょう。(p.149)
 元ヤンキースの松井が銀座松坂屋へ行ったら、カルトな店員に狙撃されるだろう。あるいは、テーマ音楽をかけて歓迎されるかも。

 

<了>