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 政界・財界・マスコミ界のど真ん中に位置する赤坂。具体的な人名まではっきり書かれている。書かれている人の中には、心臓が止まりそうになる人もいそうだ。
 この様な書籍が一般市場に出回るようになれば、赤坂の花柳界は必然的に凋落してゆくのではないかと思うけれど、不文律を守る気のない著者の想いが既にこの書籍として結実しているのだから、今更どうこう言うこともない。


【名妓に美人なし】
 私の父が、「とくに美人でもないし、こんな子ですけど・・・・お座敷に出られるようになるんでしょうか?」 と置屋の経営者である元相撲取りのお父さんに心配そうに聞くと、
 いやいや、このくらいあか抜けないイモっぽいほうが育てがいがあるってもんですよ。昔から “名妓に美人なし” って言うんです。ワッハッハッ。それに赤坂は国会議員の先生が多いし、意外とこういうイモがいいと言う変わったお客もいるんです。どうぞご心配なく」    (p.2)
 ふ~ん。かもね。
 千代喜久さんは、赤坂で一二を争う名妓だったということらしい。

 

 

【種まきじいさん、橋本龍太郎】
 そんな永田町のアイドル、龍太郎先生は、若手の芸者衆の憧れの的だったんです。・・・(中略)・・・。でも、手が早くて、芸者衆の間で種まきじいさんって言われてたの知ってます?  (p.33)
 種まきじいさんは中国でも本領発揮していたので、弱みを握られて中国政府の走狗となっていたのは余りにもよく知られていた事実である。神国の国政を預かる者でありながら不埒。万死に値するのは言うまでもない。

 

 

【 “ミツグ君四天王” の一人、静香はぜんぜん静かじゃない!】
 亀ちゃんは、お座敷にいらっしゃる政治家の中でも、角栄先生、金丸先生、宗男先生とともに “ミツグ君四天王” のひとりでした。個人的に 「これ気持ち!」 と言ってチップをさりげなくくれたりする、・・・(中略)・・・。
 ひと昔前だったら、亀ちゃんみたいなタイプが間違いなく総理大臣になっていたのになぁ~。・・・(中略)・・・と思う反面、毎日あのうるさい、だみ声を聞くのも嫌だなぁ~と思う私でした。  (p.56-57)
 こちらは、「種まきじいさん」 ではなくって、“ミツグ君” という 「金まきじいさん」。
 静香という名前は、姓名鑑定上、名前の逆になるそうである。

 

 

【セクハラ三人衆】
 永田町の愛すべきセクハラ三人衆といえば、相沢英之先生が大政、村上正邦先生が小政、そして森の石松が山口敏夫先生でしょう。   (p.77)
 ブランデーのお湯割りをいただいていたら 「おや? 何だ」 と、私の着物の身八つ口からすべりこむように大きな手がはいってきました。私は、心の中でヒイッと悲鳴をあげましたが、その巧みな指遣いについウットリとしてしまいました。
 でもいつだったか、相沢夫人の司葉子さんも同席されたときの先生は、すまし顔できどった感じでした。こんなに美しい妻がいても、悪ふざけをしたいのが男ってものなんですね!   (p.79)

 小政の村上正邦先生の読書記録を付けておこう。エロいのも大和心の裡ということか。

   《参照》  『大和ごころ入門』 村上正邦・佐藤優 (扶桑社)

 

 

【一流になる人の共通点】
 マジメに一生懸命商談をする人、日ごろのストレスをうまく発散する人、疲れていても顔に出さない人、私たちと遊んで、やる気のエメルギーを吸収しようとする人など、一流になる人は料亭に来ている目的がしっかりしているのです。
 また、トップに上りつめる人は、そんなに高い服でなくても、ピシッときめていたり、いつも靴がピカピカに磨かれているものです。自分にも気を配って、どことなく気品があるのよ。
 いくらお金を持っていても、遊んでいるときこそ、その人の品性や育ちがよく出ると思います。皆さんお気をつけあそばせ。  (p.191)

 

 

【料亭で遊ぶとどれだけかかるの?】
 まだバブルの弾けないころは、一人十三万円は軽くかかったと言われています。
 基本的には、お料理をコースでいただき、飲み物、お座敷の使用料、使用時間、税金、サービス料込みで、一人約五万円はかかります。これが赤坂の相場です。
 しかし、芸者の花代は別料金になります。芸者一名を呼ぶと、最初の2時間は一万五千円からで、3時間なら二万から二万五千円ほどかかります。芸者2名を呼んだら最低でも5万かかると思ってください。(p.198-199)
 つまり、バブルが弾けた現在は、客一人が芸者を呼んで2時間遊べば六万五千円ということになる。バブル期のちょうど半額だ。

 

 

【芸者の歴史】
 芸事が職業として日本史に登場するのは、平安末期から鎌倉時代に歌い舞った遊女の一群の「白拍子(しらびょうし)」が元祖といわれています。その後、遊女の中から歌舞管弦を使ってお客の前で踊ったのが、芸者の始まりなのだそうです。  (p.194)
 なお、明治初期、芸者が政府によって公認されたころ、1等は新橋、2等は日本橋、霞町、新富町、数寄屋橋、3等は烏森、吉原、4等は深川、神楽坂で、赤坂は5等だったそうである。けれど、現在は官庁街の近くにあるため、赤坂は一流の仲間入りをはたしていると、著者は書いている。
 
<了>

 

              【芸者のルール】