
著者は私学を主宰している教育評論家と紹介されている。国内外の名言や古典や文物を介したエッセイや対談が記述されている。
【徳川宗敬先生】
伊勢、大神宮の大宮司のおつとめを終えられたばかりの徳川宗敬先生を小石川、千石のご清居にお訪ねしたときでした。 (p.8)
本文の最初のページに、この方が写真つきで紹介されている。この本の内容には直接関係していない箇所だけれど、加茂氏と徳阿弥に関与する具体的な伊勢の大宮司さんのお名前なので書き出しておいた。《参照》 『隠れたる日本霊性史』 菅田正昭 たちばな出版
【盤古】
このわが国の三貴神の出生に類似した神話は、中国にもあるようです。その 『述異記』 によると、昔、巨人盤古が死んだとき、その頭は四岳となり、両目は日と月になり、脂は江海となり、毛髪は草木となったといいますから、わが国固有の神話とはいえないようです。 (p.89)
神話内容が似ているかいないか文献的にどうこういえても、重要なのは、日本神道と盤古が同系であるか否かである。 『根源への道』 佐田靖治著 (光泉堂)によると、盤古神は、霊統とすれば根源的な悪の位置にあるらしい。日本神道とは対極の位置にあるということである。
【『花伝書』 日本の教育の古典】
『花伝書』 では、「子どもにはあまり細かな物真似などさせてはいけない、しかし、ほんとうに上手であるなら、何をさせてもよいだろう。とはいえ、この時分の年齢の芸は、散ることのない “誠の花” ではない。ただその時々の散り行く “時分の花” である」。ここを間違えずに大事に稽古しなければいけないといっています。
世阿弥の子どもに対する深い観察が、全くルソーと同じではないかと思いました。世阿弥は室町時代の15世紀前期の人ですが、ルソーが 『エミール』 を書いたのは18世紀です。3世紀の隔たりがあるのですが、わが国では世阿弥によって、この場合、稽古ですが、一種の教育論が完成していたことに驚きました。
おっしゃるように、ほんとうに 『花伝書』 は日本教育の古典ですね。『エミール』 よりもっと古典ですよ。 (p.138)
世阿弥の子どもに対する深い観察が、全くルソーと同じではないかと思いました。世阿弥は室町時代の15世紀前期の人ですが、ルソーが 『エミール』 を書いたのは18世紀です。3世紀の隔たりがあるのですが、わが国では世阿弥によって、この場合、稽古ですが、一種の教育論が完成していたことに驚きました。
おっしゃるように、ほんとうに 『花伝書』 は日本教育の古典ですね。『エミール』 よりもっと古典ですよ。 (p.138)
【ロックを否定するルソー】
童謡やお伽噺を用いた幼児教育を排して、幼少時から理詰めの教育をすると、数年を経て強烈な反動を生じる事例は、しばしば報告されている。ロックの手法より、ルソーの教育方法の方が正しいのは言うまでもない。
ところで、ルソーのあの長ったらしい面白くもない 『エミール』 を全て読み通したことのある人々は一体どれくらいいるのだろう。日本人は、世阿弥のコンパクトな 『花伝書』 から学べばいいのである。
教育哲学者ロックは、「子どもと論じ合って、子どもの “理性” を養え」といっていますが、ルソーによれば「それこそナンセンスだ。なぜなら、理性はまだ子どもの心や頭の中には存在していないからである。人間のあらゆる能力の中で、理性は最も遅く発達し、その上に最も厄介なものなのだが、大人や教師達は、子どもの能力を発達させるために、この一番後でできる理性を利用しようとしている。これでは、終わりから始めるようなものだ。もし、子どもたちに理性が分かっているのなら、子どもたちはその上、教育される必要はないだろう」とまで言っています。
「子ども時代は、教訓と言葉はほとんどと言っていいほど役には立たない。それどころか、かえって有害である。子供は全てを感覚とイメージで物事を知る。その繰返しの中で感覚を鍛え、イメージを膨らませてゆく。大切なのは、その感覚を感動にまで高めてゆくように導いてゆくことであり、この感動の素晴らしい土壌が、やがて成人した時、人間として最も貴重な良心の花を咲かせることになるだろう。そのような自然の中に子どもを育てるのが一番正しい教育である」と、ルソーは確信をもって語っているように私は受け止めます。(p.146-147)
ルソーが意味する “自然” は、日本人が意味する “自然” とは同じではないけれど、ルソーの教育法は、日本人の習慣的な教育に関する考え方とほとんど同じらしい。「子ども時代は、教訓と言葉はほとんどと言っていいほど役には立たない。それどころか、かえって有害である。子供は全てを感覚とイメージで物事を知る。その繰返しの中で感覚を鍛え、イメージを膨らませてゆく。大切なのは、その感覚を感動にまで高めてゆくように導いてゆくことであり、この感動の素晴らしい土壌が、やがて成人した時、人間として最も貴重な良心の花を咲かせることになるだろう。そのような自然の中に子どもを育てるのが一番正しい教育である」と、ルソーは確信をもって語っているように私は受け止めます。(p.146-147)
童謡やお伽噺を用いた幼児教育を排して、幼少時から理詰めの教育をすると、数年を経て強烈な反動を生じる事例は、しばしば報告されている。ロックの手法より、ルソーの教育方法の方が正しいのは言うまでもない。
ところで、ルソーのあの長ったらしい面白くもない 『エミール』 を全て読み通したことのある人々は一体どれくらいいるのだろう。日本人は、世阿弥のコンパクトな 『花伝書』 から学べばいいのである。
<了>