
ここで語られている美学は、一般的な日本人から見れば、4歳のころから映画を見続けてきたという、かなり特殊な経験を持つ映画評論家個人の美学である。あくまでも西欧的な映画に多大な影響を受けてきたであろう著者の個性的な美学である。
【映画は愛の学び舎である】
と語る著者の文章を読みながら、私のスイッチはONになったりOFFになったりめまぐるしく変化した。そもそも愛をどう捉えるかは十人十色なのだから当然といえば当然であるが、正直なところ基本的な部分でかなり違和感を持った。
【違和感の出処】
私は昔も今もそれほど映画が好きではない。見てよかったと思う映画も幾つかありはするけれど、映画を賞賛・絶賛する人々を極度に醒めた目で見ている。私が映画を見る様になったのは遅く、社会人になってからであり、社会勉強の目的からだった。こんな私と、4歳の頃から映画と共に人生を過ごしてきた著者とが、同じであるはずは無い。
私は、葉室頼昭さんの 『神道 見えないものの力』(春秋社) の中に書かれている、日本の家庭のあり方そのもののような田舎の普通の家庭環境の中で育った。西欧の映画に現れる家庭環境との類似性はほとんどないのである。
ゆえに、著者が語る以下のような解釈が、まったくデタラメに思える。
「だから 『シェルタリング・スカイ』 を御覧なさい。『ラスト・タンゴ・イン・パリ』 を御覧なさい。愛に、セックスに、正面からぶつかっていって、もがいている。やっぱりヨーロッパは愛に対して深いな。」 (p.98)
【映画で全てを学べるわけではない】
著者は、このようにも書いている。
「ドンファンというのがいるでしょう。色魔ね。僕は認めてあげたい。ただ、ドンファンは相手を見損なったの。自分の“愛を捧げるほど価値のある相手にめぐりあえなくて”、次々に相手が変わっていった。だから、あれは、色事師というよりはかわいそうな男ね」 (p.86)
家族心理学の事例研究報告を読み、また霊界の存在を当然のこととして受け入れている私は、このような著者の見解を前世紀の解釈であると思っている。
《参照》 『愛を引き寄せる法』 上之二郎 (KKロングセラーズ)
【学ぶまで・・・】
恋愛関係において現れる人間関係は、家族関係の中で満たされなかった心理的な補償作用によるものが多いのであって、“愛を捧げるほどの価値ある相手にめぐり合えなくて”、とする解釈はたいそうな虚飾である。また、人間の心理は、「類は友を呼ぶ」 という法則に即して、心の揺れを加速する霊界に振り回される傾向は顕著である。
映画は、どこまでも目に見える現象を映像化しているだけである。自ら、他の書物に当たるなどして学ばない限りにおいてエンターテイメントの域を脱するものではない。
<了>