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 私がこの本を読んだのは高校2年生の時。内容の詳細はすっかり忘れているが、自分にとっては特別な本なので、書いておくことにする。


■きっかけ
 当時、おそらく太宰治の 「人間失格」 を読んだ頃であったように思うのだが、「何のために生きてるんだろう。こんなこと(受験勉強)するために生きてるんじゃない」 と思い、クレゾールをいっきに飲んだことがある。気がついたら病院のベッドで、カタルになって爛れていたであろう喉をゼーゼーさせながら息をしようとしている自分に気付き、死にたかった筈の思いとは裏腹の自分に錯乱しそうになったことを今も忘れない。
 そんな未遂の直後に、真っ赤な鉄骨の背後に真っ青な空と真っ白な入道雲の写真カバーの付いた文庫本が目に入った。それが表題の本だったのである。


■「おおい雲」の印象
 会話の多かったこの小説に登場する人物、描かれている世界、全てが明るかったのである。それ故にチャンちゃんの人生の中で、最も強く印象残る、忘れざる1冊である。この明るさに魅せられて 「青年の樹」 を読み、大学に進んだ1年の自己紹介を兼ねたクラス文集には 「石原慎太郎の 『おおい雲』 や 『青年の樹』 の主人公のように生きたい」 と書いたほどである。


■大学時代
 ところが、その後、石原慎太郎の小説を大学生時代に読むことは全く無かった。チャンちゃんが読んでいたのは、高橋和巳や三島由紀夫や大江健三郎などだった。同じアパートに住んでいた先輩達の影響を受けてのことである。後に当時の文壇全体を語る評論を読んだとき、石原慎太郎とこれらの3者は対極的な位置にある作家である、と書かれていた。確かにそうであろう。そもそも自殺を企てたようなチャンちゃんは、「おおい雲」で明るい光を浴びてはいても、魂の趨勢として、人間の明るい側面よりも暗い側面に目が向いてしまっていたようである。


 ついでながら、今、この3人の作家のことを自分なりに回顧し、短く総括しておくならば、こうであろうか。


◇大江健三郎
 ノーベル文学賞を受賞したからといって、「同時代論集」ならまだしも、大江健三郎の最高につまらない小説群をもう一度読む気はさらさらない。

 今、明白に覚えていることは、同時代論集全巻を通読していた後半になって、チャンちゃんは読んでいる箇所の数行先に書いてあることが何故か分かるようになっていた。同一の著者の文章を読み続けていると、著者の意識に同化することがありうるのだ。チャンちゃんは普通の人間である。誰であっても起こりうると思う。
  《関連》  『心ゆさぶる平和へのメッセージ』村上春樹(ゴマブックス)
          【大江健三郎の『同時代論集』 】


◇高橋和巳
 高橋和巳の小説にチャンちゃんは多いに魅せられたけれど、暗澹たる自己否定の世界にまで他者を誘う気持ちはさらさら無い。

 「生涯にわたる阿修羅として」 そんなタイトルの評論集があった。これに触れて文学クラブの同人誌に “阿修羅” をタイトルに含む作品を2つ書いたりもした。
    『阿修羅を越えて』川田隅(石灰灯)
 高橋和巳は、いかんせん暗いのである。そして重いのである。当時はそれが良かったのであるけれど・・・・。


◇三島由紀夫
 三島由紀夫の 「金閣寺」 は、絢爛という文字の形と意味そのもののようなえもいわれぬ世界であり、この小説で文学が芸術であるという印象を私は始めて持てたのである。 「豊饒の海 『奔馬』 」 の主人公は、高橋和巳の小説の主人公同様、純粋な魂がチャンちゃんを大いに引きつけたりもした。

 三島由紀夫は、「(川端康成の) 次に (ノーベル文学賞を) もらうとするなら大江であろう」 と語っていたそうであるが、なぜ現実にそうなったのか、チャンちゃんにはその理由が皆目分らない。三島由紀夫は、チャンちゃんが彼の作品群を読んでいたとき、既に自決していてこの世にいなかったけれど、今でも日本という国家のために、霊界で檄を飛ばし続けているように思えてならない。
  《関連》  『心と脳に効く名言』茂木健一郎(PHP)
          【三島由紀夫に関する言いぐさ】
  《参照》  『宇宙のしくみを使えば、すべてがうまくいくようになっている』高橋呑舟(徳間書店)《前編》
          【著者と三島由紀夫の縁】

  《参照》  『ぴんぽんぱんふたり話』美輪明宏・瀬戸内寂聴(集英社)

          【『英霊の声』】 ~ 【能動的な死】

 


■社会人になって
 社会人になってから、私は相変わらず石原さんの小説は読んでいない。小説以外のいくつもの著作を読んだ。興味がビジネス関連に移ってしまったからだと思う。


◇芸術家(政治家)石原慎太郎
 政治外交問題に関する、筋の通った石原さんの態度・見解は大好きである。そして、都知事になってからもしばしば 「物書きとしては・・」 と自分のことを言っている石原さんがさらに好きである。高校生時代の死に損ないのチャンちゃんに光を与えてくれたから、石原さんのことは何でも無条件に肯定するという無闇な決め付けをしているのではない。人間としての生き方が好きなのである。政治家として果敢に進みつつも、石原さんの心の中には、いつでも芸術家としての魂があることがわかるからである。
 一昨年であったろうか、テレビのニュースで、何かの選考で1位になったと思われる男子高校生に、石原さんが青年の頃描いたであろうスケッチブックを渡している映像が映った。その高校生は全く無表情に受け取っていた。石原さんの青年に注ぐ愛情が全く伝わっていなかったようだった。その高校生には残念ながら共鳴する芸術家の魂が無いように思われた。あるいはただ単に純粋な魂の持ち主ではなかったのか。私だったら涙が止まらなかったであろうに・・・・。

 

<了>