「はじめに言葉ありき」 ヨハネの福音書
この有名すぎる聖句は、古来より様々な解釈が為されてきた。
論理性や知性を差すという説もあれば、神の叡智という説もある。
そのどれもが天地開闢に直結する。
万物の創造原理ともいえよう。
数人の神道家は「言霊のことだ」と説明した。
言霊神法の奥義はあらゆる創造の源であり、原理である。
それ故、聖書との共通性を見出したのだろう。
はじめに言葉ありき
原文は
Εν αρχηι ην ο Λόγος (アルケーはロゴスなり)
ロゴスには多くの語義があるが、代表的なものは「法則、論理、理性、知性」である。
そこに曖昧なものが入り込む余地はない。
スピリチュアリストが好む感覚主義とは異なるわけだ。
日本では「言葉」と訳された。
これも間違いではない。
誤訳という指摘もあるが、ロゴスの示す言葉とは「神の言葉」である。
すなわち論理も叡智もすべて入っている。
いずれにしろ、多くの解釈・説があり、古くから様々な議論を呼んできた。
だが結論が出たとは言い難い。
なにしろ神の創造原理に関係するのだ。人の思考では理解不能だし、絶対的証拠を示すことは出来まい。
それは悟りのステージでもある。
そう、悟りだ。悟った人だけが分かる。
知能を超えた一切創造の原理をね。
「ではエンライトさんの説明は如何に? 聖書が示している『言葉』とはどんな意味ですか?」
分からん…
拙者は凡人だし…。
悟ってないし…。
頭はおバカだし…。(いじけるなよ)
ほんとは分かってるけどね。笑
ただ『言葉』を言葉で説明するのは難しい。
↑
ややこしいな。笑
敢えてそれでも説明する場合、人間の知能レベルに引き下げなければならない。
その時点で聖書の真理から遠ざかる。
仏教でもヒンズー教でも全て同じことだ。
音なき音。
言葉ではない言葉。
形ではない形。
それを無理やり言葉に翻訳する…という試みなのだ。
真理である筈がなかろう。
だが、人の生き様に影響を与えることは出来る。
ここにきて私の話はすべて「個」に収斂される。
万物の創造などと言ってられない。貴方という個の人生が充実すればいい。
人が発する言葉は喉のビシュッダーチャクラから生まれる。
最初は言葉ではない。形なきエネルギーだ。
「核」であり、言葉というバイブレーションとなる。
故に天地開闢の神話を人間レベルに置き換えるならば…、はじめに言葉ありきとは、私という個の創造物語でもある。
この宇宙に貴方という個が生まれた原理。
この宇宙で貴方の人生を創造してゆく原理。
貴方という一個の宇宙の在り方。
その全てがハートで決まる。
魂の声だ。
貴方が生まれてきた意味がそこにあり、その全てを真我が観ている。
魂(カラーナシャリラ。コーザル体)
…全ての願望とジャッジの源。
真我(アートマン。プルシャ)
…願望がなく、ジャッジもない純粋観照者。
真我の観照下において魂に基づく自己表現を行ない(喉のチャクラ)
魂に基づく判断・ジャッジを行ない(上腹部のチャクラ)
魂に基づく行動をする(下丹田のチャクラ)
その為には眉間のチャクラの「思考」がハートに直結している必要がある。
貴方の全ての間違いは思考のズレによる。
眉間のチャクラに狂いが生じているのである。
ならば答えは明白であろう。
眉間の奥を浄化し、修正し、活性化させれば良い。
それを忘れて(怠って)、他をいじくっても、只の対症療法である。
まず眉間に着手し、他のことにも着手する。
観照の灯りのもとに…。
然すれば、絡まった糸がほどけてゆく。
貴方の「はじめに言葉ありき」の物語は常に瞬間瞬間生まれている。
今この瞬間にも創造が行われている。
たとえ魂の決意から離れても、それも創作のひとつである。
たとえ苦しみが多い人生でも、シナリオという「因」を書き換えることは出来る。
すべて貴方次第である。あとは「縁」に任せよ。
エンライトメンター龍二(※天下之与太郎閣下による命名)の未発表原稿をアップしました。代理人